昭和60年 (1985)
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【デキゴト】
01・ー 昭和60年度政府予算で防衛費対前年度比+6.9% 伸び率顕著になる
01・01 目白 田中角栄邸の年賀客 例年を上回る600人が集まる
01・01 活動が偏向しているとして アメリカがユネスコを正式脱退
01・02 中曽根首相 LAでレーガン大統領と会談 SDI(戦略防衛構想 )理解と表明
01・08 ハレー彗星探査機 “さきがけ” 打ち上げ 国産初の人工惑星に…
01・09 両国に新国技館が完成 春日野理事長 (元横綱栃錦) が無借金で建設
01・13 中曽根首相 オーストラリアなど大洋州4ヵ国歴訪に出発 (~1/20)
01・17 社会党定期大会 ニュー社会党路線をめぐって論議
01・23 田中派の親竹下議員25人 勉強会として 「創政会」 旗揚げを決議
01・24 青森県中学校で授業中に 泥酔乱入した3年男子 教諭に暴行 重症
01・27 竹下 登 田中角栄に面談「創政会」の設立を報告 角栄「勉強会 結構」と…
01・28 日本福祉大のスキーツァー・バス 長野県笹平ダムに転落 25人死亡
01・31 ニュージーランド・ロンギ首相 核搭載米艦船の寄港拒否を声明
02・01 フィリピンで アキノ暗殺事件初公判 のちに無罪の判決が出る
02・07 「創政会」発足 金丸信ら衆・参40人が参加 田中派の1/3 角栄激怒
02・11 "建国記念日を祝う会” 主催の式典に 中曽根首相が初出席
02・10 社民連 新代表に江田五月を選出 書記長は阿部昭吾
02・21 中山素平 今里広記らが目白を訪問 電電公社民営化後のNTT社長に
総裁・真藤 恒 を推すも 角栄は頑なに北原副総裁に固執して譲らず
02・27 「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」 施行
02・27 竹下 登 らの「創政会」結成に怒った田中角栄 連日の深酒がたたり
「脳梗塞」を発症東京逓信病院に入院施術 言語能力・政治生命を断つ
02・27 グリコ森永事件犯人「かい人21面相」 「森永ゆるしたる」 と休戦状
03・10 チェルネンコ・ソ連共産党書記没(73歳) 後任に54歳のゴルバチョフ
03・10 世界最長約54kmの 国鉄青函海底トンネル本坑が貫通
03・14 東北・上越新幹線 上野~大宮間開通 上野が始発駅となる
03・11 ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長に就任 ペレストロイカを開始
03・17 科学万国博 「つくば´85」 開幕 人気パビリオンは富士通館
03・22 厚生省 日本初のエイズ患者確認と発表 非加熱製剤を投与されていた
04・01 日本電信電話株式会社(NTT) 日本たばこ産業株式会社(JT) 発足
04・09 中曽根首相 貿易摩擦緩和のため 自身でテレビに登場
国民に 「1人=100ドルづつ 外国製品の購入」 を呼びかける
04・25 民社党定期大会(~4/25) 佐々木良作委員長辞任 後任に塚本三郎選出
04・26 韓国 全斗煥大統領vsレーガン大統領 ワシントンで会談
全大統領 ´88年の 政権平和的移譲を約束
04・- 英国ケント州の牧場で 1頭の牛が異常行動と報告… “狂牛病" の発端
05・02 西ドイツ・ボンで第11回サミット 日本の市場開放などの共同宣言 発表
05・07 新国技館で元横綱栃錦(春日野理事長)の還暦土俵入り挙行
太刀持ち初代若乃花 露払い現理事長佐田の山 の豪華版
05・08 西ドイツの ワイゼッカー大統領 敗戦記念日に「歴史を記憶せよ」と演説
05・17 男女雇用機会均等法案 衆議院で可決 参議院へ
05・17 北海道 三菱南夕張炭鉱でガス爆発事故 62人が死亡 負傷者24人
05・30 厚生省が 帝京大学症例を含む血友病患者のエイズを 初めて認定
06・01 上野動物園のパンダ・ホァンホァン出産 ベビィはトントンと命名
06・08 淡路島と鳴門を結ぶ 1690メートルの "大鳴門橋" が開通
06・11 社会党 党の性格を国民政党とし 現実路線採用の 新宣言案を採用
06・11 米上院 ´80年代末までに 日本がシーレーン防衛態勢確立を要求 決議
06・12 ポルトガルとスペイン EC加盟条約に調印
06・18 年金暮らしの老人5万人から2千億円の詐欺商法を働いた
豊田商事の水野一男会長 報道陣の目前で2人組に日本刀で斬殺
06・22 田中角栄 平河町の事務所を閉鎖 田中派領袖の立場を放棄
06・23 成田空港でカナダ太平洋航空機の乗客荷物が爆発 作業員2人死亡
06・24 参議院 女子差別撤廃条約を承認
07・07 東京都議会議員選挙 自民党勝利・社会党大敗 投票率最低の 53.5%
07・10 京都市 古都保存協力税を実施 以後 拝観停止の寺院が続出
07・12 昭和天皇 歴代最長寿 (30756日=84歳95日) 在位60年に…
07・13 ロンドンとフィラデルフィアで アフリカ飢餓救済の史上最大
慈善コンサート 「ウィ アー ザ ワールド」 の大合唱 世界的に巻き起こる
07・26 アフリカのナイロビで「国連婦人の10年」最終年 世界婦人会議開く
07・27 中曽根首相 自民党の軽井沢セミナーで 「戦後政治の総決算」と主張
07・ー 悪法 労働者派遣法成立 人材派遣許容 日本の労働環境100年後退
08・04 全米各地から 平和と反核アピールの約4万人が ワシントンに集結
08・07 日本人宇宙士候補として 内藤千秋・土井隆雄・毛利 衛 の3人が決定
08・12 羽田発 大阪行きの日本航空ボーイング747SR ジャンボ機が
群馬県御巣鷹山に激突 単独事故として世界最大の520人死者
08・13 三光汽船 5千億円の負債により倒産 河本敏夫国務大臣が引責辞任
08・15 中曽根首相 歴代首相として初めて 「靖国神社」 に公式参拝
08・24 ユニバーシアード神戸大会開会 史上最多 参加106ヵ国(~9/4)
09・14 竹下蔵相に続き 安倍外相・宮沢総務会長も中曽根の総裁3選に反対表明
09・18 中国・柳条胡事件54周年記念日に 北京の大学生ら反中曽根デモ
09・19 メキシコ・シティでM7.8と7.5の連続大地震 7千人死亡250以上のビル倒壊
09・20 南北朝鮮の離散家族50人の相互訪問が実現
09・20 中国外務省 「中曽根首相の靖国参拝は 中国人民の感情を傷付た」と非難
09・21 任天堂 ファミコンゲーム 「スーパー・マリオブラザース」 発売
09・22 米・日・西独・英・仏 蔵相 中央銀行総裁会議 ドル高修正のため
為替市場への協調介入強化を合意 いわゆる 「プラザ合意」
以後 円高進行の契機となる
09・25 奈良・斑鳩町の藤ノ木古墳から 朱塗りの家型石棺発見
10・01 国勢調査結果 = 日本の人口 1億2104万8923人
10・10 ソ連最高会議代表団 中ソ関係悪化以来 初めて中国訪問
10・11 閣議 昭和62年4月を目途に国鉄の6分割 民営化を決定
10・18 中曽根首相 靖国神社秋季例大祭参拝を見送り
10・20 成田三里塚で 空港建設反対派と機動隊激突 負傷者多数
10・29 奈良・明日香村で 日本書紀の原資料と思われる木簡1082点発掘
11・02 阪神タイガース西鉄ライオンズを破り 初めて日本シリーズに優勝
11・03 圓地文子・黒澤 明・相良守峯・西川 寧・和達清夫 に文化勲章
11・19 レーガンvsゴルバチョフ 米ソ首脳ジュネーブ会談(~11/20)
相互訪問・戦略核50%削減・核不戦の決意 の共同声明
11・20 プロ野球ドラフト会議で PL桑田は巨人 清原は西武が交渉権を獲得
11・29 国鉄民営化反対 中核派が国鉄各線の信号ケーブル切断等ゲリラ活動
12・03 NTTが フリーダイヤル0120…のサービスを開始
12・20 衆議院内閣委員理事会 自民党提出の 「国家秘密法案」 を廃案
12・30 労働省 労働組合数が33年ぶりに減少したと発表
12・31 第27回レコード大賞に中森明菜の 「ミ・アモーレ」 小林明子に新人賞
― この年 鉄道営業キロ:26620Km 国道延長:50265Km
(高速自動車道路:3721Km) 自動車保有台数:4824万台
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【世 相】
● 金融の自由化進む ● 日本の対外資産1298億ドル (世界第1位)
● 小・中学校で いじめ増加 ● 新人類 = 流行語に ● ファミコン・ブーム
● 阪神タイガース21年ぶりに日本シリーズ優勝 (監督・吉田義男) トラキチフィーバー
● 激辛ブーム ● 昭和天皇在位60年 ● 青函トンネル 本坑が貫通
● イトーヨーカドー 全店にPOSシステムを導入 ● エイズの恐怖拡大
【物 価】
国鉄入場券 140円 上野~青森間 9200円 新橋~大阪間 7600円
ビール 一瓶 330円 かけそば 310円 白米(10kg) 3754円
大卒男子初任給 144,541円 国家公務員初任給 118、800円
一般サラリーマン月収 450,981円
【流行語】
パフォーマンス イッキ イッキ トラキチ 角抜き 投げたらアカン
ダッチロール やらせ 新人類 実年 ハナキン ハーレー彗星
ダブルポケット 家庭内離婚 分衆 金妻 フォーカスされる
【新製品】
カ メ ラ ミノルタα7000 ミノルタカメラ 88,000円
ビデオカメラ キャノンビジョン8 VM‐E1 キ ャ ノ ン 298,000円
〃 CCDーVS ソ ニ ー 280、000円
カラーテレビ TVM‐400PJ パイオニア オープン 価格
ステレオ 防磁バスレフ型 3ウェイ コロンビア 39,800円
ポータブルPC ラップトップ T1100 東京芝浦電機 オープン 価格
ウォッチ スポルテダイバー シチズンHD 45,000円
乗用車 アルシオーネ 富士重工業 不 詳
〃 スカイライン R31型 日産自動車 不 詳
〃 M R 2 トヨタ自動車 1,395000円
携帯電話 ショルダーフォン NTTドコモ 自動車電話車外持出型
バ イ ク FZ 750cc ヤマハ発動機 798000円
【ベストセラー】
豊 臣 秀 吉 上・下 堺 屋 太 一 PHP 研 究 所
真 田 太 平 記 ①ー ⑱ 池 波 正 太 郎 新 潮 社
首 都 消 失 上・下 小 松 左 京 徳 間 書 店
元禄御畳奉行の日記 神 坂 次 郎 中 央 公 論 社
女の器量は ことばしだい 広 瀬 久 美 子 新 潮 社
【流行歌】
ジ ュ リ ア に 傷 心 作詞・高野雅勇 作曲・芹澤広明 歌手・チェッカーズ
夫 婦 坂 作詞・星野哲郎 作曲・市川昭介 歌手・都はるみ
望 郷 じ ょ ん が ら 作詞・里村龍一 作曲・浜 圭介 歌手・細川たかし
ミ ・ ア モ ー レ 作詞・康 珍化 作曲・松岡直也 歌手・中森明菜
熱 き 心 に 作詞・阿久 悠 作曲・大瀧詠一 歌手・小林 旭
【野 球】
プ ロ 野 球 優 勝 セ・リーグ = 阪 神 パ・リーグ = 西 武
第36回 日本シリーズ 優 勝 = 阪 神 4勝 2敗
☆ 阪神 21年ぶりの優勝 また球団創設以来初 日本シリーズにも勝って日本一
☆ ロッテの落合博満が 2度目の三冠王を獲得
☆ 11・04 プロ野球労働組合 (選手会) 正式発足 初代委員長 中畑 清
第57回 選抜高等学校野球大会 高知・伊野商 4-0 帝京・東京
第67回 全国高等学校野球選手権大会 大阪・PL学園 4-3 宇部商・山口
【邦 画】
乱 黒澤 明 監督 仲代達矢 寺尾 聡 原田美枝子
そ れ か ら 森田芳光 監督 松田優作 藤谷美和子 小林 薫
火 ま つ り 柳町光男 監督 北王路欣也 大地喜和子 中本良太
さ び し ん ぼ う 大林宣彦 監督 尾美としのり 小林聡美
花 い ち も ん め 伊藤俊也 監督 十朱久代 西郷輝彦 加藤治子
【洋 画】
ア マ デ ゥ ス ミロス・フォアマン監督 F・マーリー・エイブラハム トム・ハルス
刑事ジョンブック/ 目撃者 ピーター・ウィアー監督 ハリソン・フォード
キリング・フィールド ローランド・ジョフェ監督 サム・ウォーターストーン ハイン・S・ニョール
イ ン ド へ の 道 デヴィッド・リーン監督 ジュディ・ディヴィス アレック・ギネス
愛と哀しみの果て シドニー・ポラック監督 ロバート・レッドフォード メリル。ストリーブ
コーラス・ライン リチャード・アッテンボロー監督 マイケル・ダグラス
【この年】
ことさらに政治の世界では 因果の連鎖が、後々の時代に 大きな影響を及ぼすことがある。起こった時点では さほどと思えなかった些細なデキゴトが、あとで生じた結果から遡ってみると 何年か前の小さな原因に端を発していたと知れる。
中曽根康弘憎し 政権から引き摺り下ろしてやろうと 福田赳夫や三木武夫と語らい 野党民社党や公明党にまで手を回して、田中派の大番頭 "二階堂 進” を 59年11月の任期切れが迫る自民党総裁選に 対抗馬として擁立しようとした鈴木善幸のクーデターは、肝腎の角栄が反対したため画餅に帰してしまった。中曽根に対する怨念を晴らそうとした ささやかな善幸の画策が、その後 自民党の長老政治の終焉を一気に加速させ 民社党の党首交代 (佐々木良作 → 塚本三郎) 公明党・竹入委員長の失脚にまでつながり、かてて加えて一枚板の鉄の結束を誇っていた130人の大所帯 「田中派」にも 田中対二階堂の間にヒビが走り、古老・外様と 生え抜き若手の間に 抜きがたい亀裂を生じせしめた 挙句 コトの成行きは田中角栄の脳梗塞発症・入院・政治生命の断絶までも もたらすことになったのだが、クーデターの張本人善幸にしてみれば 夢想だにせぬ展開だっただろう。
“三・角・大・福” といわれた時代から 自民党は明らかに 「世代交代」 期を迎えていた。既に安倍晋太郎は福田派を継承していたし 宮沢喜一もまた宏池会の会長についていた。“安・竹・宮” と称されたニューリーダーのうち 竹下 登だけが、角栄が自らの再起を期して 自派からの総裁推挙を拒んでいたため 総裁・総理の座を窺うわけにはいかなかった。そこで竹下とは縁続きでもある 金丸 信 が密かに動く。竹下と図ってごくごく隠密裏に 小沢一郎・梶山静六・橋本龍太郎ら若手40人を糾合 「創政会」 なる "勉強会” を立ち上げていた。金丸・竹下の動きは 派内の長老 二階堂や山下元利たち反竹下グループの反撥を招き、竹下は角栄のもとに “勉強会” 発足の説明に赴くことになるが、このとき角栄は 「…勉強会 おおいに結構…」 と太っ腹なところを見せはしたものの 謂わば 派中派の結成であり、竹下らの下克上 (げこくじょう) に 心中 穏やかならぬものがあった。怒りは連夜の深酒を呼び 遂に 「創世会」 設立から20日後 角栄は自宅で脳梗塞に倒れ 東京逓信病院に入院してしまったのである。田中派は事実上崩壊し 6月22日 平河町の角栄事務所は閉鎖された。
「角栄 倒れる !」 ショッキングなニュースが、政界を駆け巡った。中曽根にとっても 田中角栄は強力な後ろ盾であったから、党内の権力バランスが崩れることを懸念した。その中曽根を 最大派閥を背負った 金丸 信 が全力で支え、世代交代を確実な流れとしたのである。だが 別の視点から中曽根の心中を憶測すれば、かつて 佐藤栄作が ライバルだった大野伴睦(昭和39年5月没) や 河野一郎(昭和40年7月没) らが 相次いで身罷 (みまか)ったとき 「悪いヤツが 皆死んじゃった」 とほくそ笑んだように、独擅場 (どくせんじょう)に立った自らの政治環境を意識して 暮夜密かに薄笑いを浮かべたかも知れない。事実 その後 中曽根の行く手を阻んだり 足を引っ張る者はいなくなり、栓を抜いたサイダー瓶 (シャンパンと言う程のこともない) のように 勢いよく噴きだした。
7月 自民党の軽井沢セミナーで 「戦後政治の総決算」 を主張、総裁選出後の第2次内閣改造に当たっては 積極的にニューリーダーを起用し 内閣官房長官に再び 後藤田正晴を据えた。4月1日には 旧電電公社・専売公社の民営化が成り NTTとJTがスタート、更に10月11日の閣議で 昭和62年を目途とする 国鉄の6分割民営化を決定している。また7月には 戦後 労働基準法で一貫して禁じられてきた労働者の派遣を解禁 「労働者派遣法」 を制定して、『人材派遣業 (戦前まで横行していた "口入れ屋” 稼業)』 を容認した。そして この年 8月15日には総理大臣として初めて 「靖国神社」 を公式に参拝している。
もともと 保守的志向性の強い中曽根は、任期中に日米間の軍事協力を推し進め レーガンが唱えた 「戦略防衛構想 (SDI)」 に賛同 研究に加わったり 日米三軍合同演習を行なったりしたほか、米軍の日本駐留経費を大幅 (4桁億円) に増額したが これがいわゆる 「思いやり予算」 として今日にまで尾を曳いている。アメリカに倣って 「中期防衛力整備計画」 を樹て 防衛予算を18兆4千億円に増やした上、総理大臣を議長とする 「安全保障会議」 を新設 「国家機密法(スパイ法案 結局廃案となったが)」 を提案しようともした。更に 第2臨調の答申に基づいて行政改革を推進するプロセスで 予ねて左翼的労働運動の牙城であった国鉄の労働組合を 実質的に解体して、わが国労働運動そのものの力を殺ぎ取ってしまった。昭和60年を境にして日本の社会は 中曽根政治によって大きく右傾化し、新自由主義的政策が浸透していくにつれて 政・官・財トロイカの相互利益・誘導癒着が 貧富の格差をますます助長していった。
それにしても 中曽根の対米追従ぶりは目に余った。 ロン・ヤス関係だからだとしても レーガンの言いなり放題である。日米の恒常的貿易摩擦は 上院議員がハンマーで日本車を叩き毀す程の過激さは影を潜めていたものの、自動車・テレビ・半導体等が 自主規制の枠を護りながら引きつづき出超状態にあった。これを是正するために 60年 中曽根vsレーガン間で合意されたのがMOSS (市場志向型分野別) 協議である。エレクトロニクス・電気通信・NTT調達・医薬品・医療機器・オレンジ牛肉など農畜産の分野などで ハード及びソフトの輸入が アメリカに有利な条件で促進されるようになった。4月9日には 中曽根首相自身がテレビに出演して 「貿易摩擦緩和のために 国民1人当たり100ドルづつ外国製品を買いましょう」 と呼びかけたが、あれは中曽根の自発的行動だったのだろうか。
レーガンが鳴物入りで実施したレーガノミクスは この時期 危殆 (きたい) に瀕していた。軍備費を増額しながらの大型減税 強いドルを維持するための高金利許容と それからの反転が、いっときの好況を現出してアメリカ国民の過剰消費癖を誘発し、貿易・財政収支に巨額の双子の赤字を積み上げ とうとう純債務国にまで凋落 (ちょうらく) してしまった。と同時期 逆に日本は対外純資産が1298億ドルに達して "世界一" になった。ドルの価値は次第に低迷の度を増し 相対的に 出超サイドにあった日本の円が高くなる。プレトンウッズ 体制を放棄して 基軸通貨たるドルの金兌換を廃止した “ニクソン・ショック” 後、各国通貨の流動化によって為替市場が始まったとき 円の対ドル交換レートは 1ドル357円73銭だったが、中曽根内閣が発足した昭和57年(´82) 11月27日には250円30銭になっており この年昭和60年4月1日には 1ドル当たり252円45銭を記録していた。
第2期に入ったレーガンは ´85年(昭和60年)2月 “強いドル” の信奉者であったリーガン財務長官(元メリルリンチ会長) を外し、側近のジェイムズ・ベイカー大統領首席補佐官を財務省に送り込んだ。レーガンとベイカーは 双子の赤字を抑え ドルの暴落という最悪の事態を阻止するために 思い切って経済政策を転換すべく、先進諸国と語り合って 9月22日 ニューヨークのプラザ・ホテルにG5財務・大蔵大臣と中央銀行総裁を招集して "為替レート安定化に関する合意" を取り付けた。´70年代末のようなドル危機の再発を恐れていた 英・仏・独に異存はなく、狙いは明らかにアメリカの対日貿易赤字の解消であり 実質的に 「円高・ドル安」 に為替相場を誘導する内容であった。これが 「プラザ合意」 である。“歴史的” とされるこの会議は 事前に取り決めが終わっており、日本側は何ら抵抗することもなく 中曽根が唯唯 (いい) として応諾していたから
プラザ・ホテルでの会議所要時間は僅か20分のセレモニーで閉幕した。日本の代表は 竹下大蔵大臣と澄田日銀総裁のみ、竹下は 盟友の金丸 信にすら 事前に会議内容を漏らさなかったという。それほどプラザ合意は 屈辱的売国行為だったと言え、且つ 自らの非を棚に上げたレーガンの 日本に対する内政干渉にも等しい横暴な仕打ちだったのである。
「プラザ合意」 発表後24時間にして 円レートは235円から一気に約20円上昇した。一年後の昭和61年9月22日には 153円60銭まで円高が進行したが、このことは 燃費のよい日本の小型車輸出価格が、アメリカ市場で一年のうちに1万ドル (235万円) から 6500ドル (約100万円) に値下がりしてしまったことを意味する。アメリカのディラーには為替差益が発生し 販売価格値引きにゆとりを生じただろうが、日本のメーカーは 多少売り上げ台数が伸びたにせよ 1台あたりの値段は、製造原価に拘わらず43%の減収になるわけで 採算が取れる筈がない。軒並み巨額の損失を被った。これは 自動車産業だけに止まらず、輸出依存度の高い わが国製造業全般に通ずることだった。為替レートが円高に触れることは 輸入品が安く手に入るわけだから、鉄鉱石やゴム等 原材料が安価に輸入できるメリットもあるので 企業は 生産の合理化など血の出るような経営努力で、この急場を凌がざるを得なかった。
円高はまた 穀物や飼料 その他、生活物資の輸入にも有利に作用した筈だが、輸入量が俄かに倍増するものでもなく 市中物価が一斉に半値になってデフレを呼び込む結果を恐れてか、スーパーの値札が大きく変わった記憶はない。
当時 日本政府が抱え込んでいた アメリカ国債は如何ほどだっただろう?
公式に発表されていた訳でもないので、調べるうえで手掛りは乏しかったが、諸説ある中で 「…米国債発行残高の 海外保有残高2兆ドルのうち、4割を日本が占めており……」 とする資料が 複数 目についた。あとに述べる事情もあって、8千億ドルのうち 3千億ドルをプラザ合意以前から買って(あるいは買わされて) いたとすると 、1ドル平均230円換算で 69兆円の対米債権 (貸金) を持っていたことになるが 合意発表後一夜にして5兆8650億円 (8.5%) が宙に消えてしまったと言える。マクロ・ミクロに経済問題を取り上げておられて 啓発されるところ多い "晴耕雨読” さんのブログに次のような要旨の文章があった。『先進 G5は、ドルの為替相場を安定的に支えるために協調介入し とりわけ日本は金利を引き下げることに合意した……のだが、それは表向きの話だ。日本は プラザ合意後 ドル安が進み輸出量が増えても、受け容れたドル(貿易黒字→余剰ドル) をそのまま輸入 または海外投資に振り向けて 「ドルのアメリカ還流」 に回わさせようとしたのである。日本国内で設備投資などに使う場合 ドルは銀行で円に両替しなければならず、最終的に日本銀行がドルを吸い上げて 「外貨準備」 に累積されてしまうが、アメリカはこれを米国財務省証券 つまり 「米国債」 の購入に当てるよう求めた。アメリカは手を汚すことなく多額のドルが還流してくるので 貿易・財政の双子の赤字を減少することが出来る』 "晴耕雨読" さんは、「プラザ合意」 の真の目的はここにあったと指摘なさっていて その後の日本政府経済政策と考え合わせ、首肯 (しゅこう) できた。
2009年の今日では 経済成長著しい中国が、米国債保有第1位 (日本は第2位) になっているそうだが、中国政府は 売りたくなればいつでも売却する と アメリカを牽制している。長期に亘って持ち続けなければならぬ “しがらみ” は 無いと言うのだ。だが日本の場合 政府は万事についてアメリカの意向を 窺い 推し測った。紙くず同然と知りながら レーガン政権が退場した後も、輸出で稼いだドルで 安い金利の米国財務省証券を買い続け、アメリカ財政の建て直しに貢献し続けたのだ (クリントン政権2期目 I Tバブル効果もあって、米国財政収支は 瞬間的に±ゼロとなった)。日本が勝手に アメリカ国債を売っぱらうなど以ての外で、後に首相の橋本龍太郎が訪米したとき 記者の質問に 「(売りたいと) 誘惑に駆られたことがある」 と答えて 翌日のニューヨーク市場のドルが大きく動き、物議を醸したことがあったぐらいだ。事ほど左様に 日本政府は、アメリカのがんじがらめになってるのである。
話を元へ戻す。第3次中曽根内閣で大蔵大臣に就任した宮沢喜一は、行過ぎる円高を鎮静化するために 強力な "ドル買い” 介入を行なうとともに、相次ぎ公定歩合を引き下げ (当時としては) 史上最低の 2.5%とする金融緩和政策をとった。レーガンの思惑どおりだ。中曽根はそのあとバブルを発生させ 緊縮政策に転じるが、それら失敗の経緯は次年度以降に譲る。
3月11日 ソヴィエト連邦・共産党書記長としてミハイル・ゴルバチョフが登場してきた。プラウダ紙が 死亡した前任者チェルネンコよりも 大きな写真を用いて報道したというから、連邦内でも期待されたのだろう。就任するや たちまち刷新人事を連発したが、長年ソ連の外交を牛耳ってきたグロムイコ元外相を 最高会議幹部会議長に祭り上げ、新外相に盟友グルジア党第一書記だったシュワルナーゼを抜擢 (ばってき) して驚かせた。二人はタッグを組んで ´86年 アフガニスタンからのソ連軍撤退、中ソ関係改善、共産圏諸国への援助縮小、アメリカと中距離核戦力廃止などに道筋をつけた。ゴルバチョフは自ら電話をとって アンドレイ・サハロフ博士に追放解除を伝えるなど 反体制派の名誉回復にも努力している。このほか 「ペレストロイカ」 「グラスノスチ」 と称する革新や 突発したチェルノブイリ原発事故など、書くことは多くあるが 次年以降の記事とする。
(ゴルバチョフに関しては、ヤクオ ギャラリーの "ひとり旅も また愉し” の「旅先で出会ったそっくりさんたち 1と2」に詳しく書いておいたので ご覧いただきたい)
昭和60年は 日本国内でも デキゴト 繁多であった。それらの中で大小の幾つかを時系列で振り返ってみよう。
まず最初は 初春らしく彗星の話題。1月8日 日本の宇宙科学研究所が ハレー彗星探査機 “さきがけ” の打ち上げに成功した。ハレー彗星は太陽系を76年間の超楕円形軌道で周回する 岩と氷の塊だが、´86年の地球接近に際し 国際観測活動に参加した “さきがけ” は 彗星軌道699kmのところを横切り 太陽風磁場やプラズマ観測を果たし、その後 人口惑星になった。
3月14日 新幹線の上野~大宮間が開通して、東北新幹線及び上越新幹線の始発駅が "上野" になった。田中角栄の夢が実現したわけだが 彼はこのニュースを病床で聞き、胸中は如何ばかりだっただろうか。 また国鉄はその4日前3月10に 昭和36年に斜坑の掘削開始以来24年目にして 「青函トンネル」 の本坑貫通を成し遂げ 61年3月には営業を開始した。最終総工費 約9000億円、全長53.9km、海底部分の総距離は 今日(2009年) では、英仏海底トンネルに次ぎ世界第2位である。計画当初では 青函連絡船に代わる旅客輸送 北海道~本土間の物流路線として大いに期待されたものだが、完成してみれば 既に航空機が人員輸送の9割を占めるようになっていて、現在は専ら狭軌の貨物列車が運行されている。軌道の幅員は 広・狭両用になっているそうだから、将来 東北新幹線が延伸されれば 北海道への旅客輸送がクローズアップされるようになるかも知れない。
“人間・居住・環境と科学技術" をテーマとする 「科学万博 つくば´85」 が、茨城県・筑波研究学園都市で開催された。期間 昭和60年3月17日から9月16日までの184日間に、2033万人の入場者を集め 成功を収めた。世界最大の観覧車や Sonyの2000インチ巨大テレビ・ジャンボトロン、H2ロケットの実物大模型、トマトとジャガイモを掛け合わせ 地中にジャガイモ・地上にトマトを実らせた「ポマト」 などが話題を呼んだ。出展は国内28機関と海外からも47ヵ国 38の国際機関が参加し、迫力ある音響と映像や さまざまなロボットが活躍して観衆を楽しませた。
この年8月12日 日本航空123便 羽田発 大阪・伊丹行 ジャンボ機が、群馬県御巣鷹の尾根に墜落 乗員・乗客524人のうち 520人が死亡 (4人生存) すると言う大惨事が発生した。事故機ボーイング747SR‐46は、羽田空港を定刻よりやや遅れて離陸後 18時24分相模湾上空に差し掛かったところで緊急事態に陥った。突然の衝撃音とともに垂直尾翼が 安定板の下部を残して吹っ飛んでしまったのである。その際 破壊片が ハイドロプレッシャー・システム4系統のパイプを断ち切り、ジャンボ機の操縦機能を奪い去ってしまった。機の進行方向は北を向き 空中をフラフラ漂流しながら富士山の東麓 (とうろく) をかすめ、山梨県から群馬県南西の山岳地帯へ迷い込み ピッチング(縦揺れ) や ローリング (横揺れ)、ダッチロール (蛇行) を繰り返しながら 機長は 「もうダメだ…」 という一言を残して18時56分 高天原 (たかまがはら) 山系御巣鷹の尾根に機首から激突大破、機体構造の原形を止めぬほどバラバラになって炎上した。現場は言語に絶する 凄惨な状況だったという。
普通 ジェット旅客機の空中事故は、発生後 数分で墜落するのだが 123便の場合 機長たちの懸命の操縦もあってか、異常飛行ながら32分間も滞空し続け 乗客の中には 揺れ動く機内で手帳などに遺書を書き綴った人もいる。お盆を前にしての帰省や、つくば科学万博・ディズニーランドから 帰る途中の家族連れもいて、殆ど満席の機内で 阿鼻叫喚 (あびきょうかん)の状態は起らなかったが 恐怖に曝された乗客のなかには、 著名な歌手や、プロ野球球団社長の名前も見えて 社会に大きな ショックを及ぼしたものだ。単機で500人を超える死亡者を出した航空機事故は世界最大、今も この記録は破られていない。
頂上まで あと一歩というところまで詰め寄ったことも 何度かはあったが、20年近く低迷してきた セ・リーグ "阪神タイガース” に吉田義男が監督として復帰 1番 真弓・・・ 3番 バース・ 4番 掛布・ 5番 岡田らが 強力なダイナマイト打線を構築した。特にシーズン早々の4月17日 対巨人戦 (甲子園球場) では、クリーンナップトリオが バックスクリーンに 3連続ホームランを放ったのは圧巻だった。主軸アンディ・バースはホームラン54本と 王貞治選手が持つ年間最多記録にあと1本と迫る活躍を示し、中西清起・福間 納・山本和行らリリーフ投手陣も踏ん張って 21年ぶりのリーグ優勝に貢献、11月2日には西武戦 (西武球場 第6戦) を制し 悲願の日本一を達成した。夏場8月12日に発生した日航機墜落事故で 中埜球団社長が急逝するという不幸に見舞われ 選手はユニフォーム姿で霊前に優勝を誓い、見事これを果たした。
Wikipedia で 「K・Kドラフト事件」 を牽いてみた。野球の名門校 大阪のPL学園高等学校の 桑田真澄・清原和博のK・Kコンビは、1年生のときから エースと四番打者として活躍 春・夏 5回の甲子園出場のうち 優勝2回、準優勝が2回、ベスト4位 1回という 高校野球史に伝説とも言うべき記録を残し、卒業後の進路が注目を集めていた。昭和60年のプロ野球ドラフト会議で 清原は、尊敬する王監督のもとでプレーしたいと 巨人入団を熱望、桑田は 早稲田大学への進学を表明した。その結果 清原に対するドラフト指名が競合するいっぽう 桑田への指名が回避されると思われたのである。
しかしドラフト会議で 巨人は 進学志望の桑田を1位に強行指名して交渉権を獲得、清原には 巨人を除く6球団が殺到する形となり 抽選で西武ライオンズに1位指名された。巨人を希望していた清原は 会見で涙を流したが 結局 西武に入団 桑田は早稲田進学を撤回して巨人と契約した。マスコミは その経緯を不透明と非難し 読売ジャイアンツと桑田家の間での密約説も出たが、前(さき) の “江川 空白の一日” の前科を持つ読売のことだったから 疑惑には真実味があった。Wikipedia の記事は誰が書いたのかは判らないが、些か 巨人寄りではないかと思われた。








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