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昭和57年 (1982)

【デキゴト】
01・06 韓国で 独立以来36年ぶりに 「夜間外出禁止令」 解除
01・11 NATO外相会議が 対ポーランド経済制裁を宣言
01・13 ワシントン・ポトマック川の橋にボーイング737型機が衝突 78人が死亡
01・16 イギリスとバチカン 1535年以来450年ぶりに外交関係を樹立
01・19 エジプトとイスラエルが シナイ半島返還協定に調印 4/25 全面返還
01・20 井伏鱒二・尾崎一雄・井上 靖・ら 287人の文学者 反核アピール
01・26 東京地裁 ロッキード事件 "全日空ルート” 6被告に猶予つき有罪判決
             若狭得二会長 渡辺尚次元副社長ら……

01・28 自動車工業会 前年日本の自動車生産台数 1118万台で世界一と発表
02・08 東京千代田区 ホテル・ニュージャパン全焼 欠陥防火設備に非難集中
02・09 日航機 羽田空港着陸寸前に "逆噴射"  墜落 24人死亡
                      
2/28  警視庁 異常操縦による事故と断定 機長を精神鑑定に…
02・10 臨時行政調査会 第2次中間答申 (許・認可などの整理合理化)
           7/23 行政事務簡素化法公布 355の法律を改正・廃止

02・13 戒厳令下のポーランド・ボズナニで 学生・市民の軍政反対デモ
03・10 ソ連の無人探査機 「金星13号」 金星に軟着陸 成功
03・14 政府景気テコ入れ策 (公共事業前倒し執行 建設国債の増発など) 決定
03・21 「平和のための広島行動」 国連軍縮特別総会向けアピール 19万人参加
                   5/23 「東京行動」 開催 空前の40万人が参加

03・27 米ワインバーガー国防長官 来日
            日本のシーレーン防衛具体化と 防衛費12%増必要と 指摘

03・29 メキシコ南東部の エル・チチョン火山が大噴火 日本に冷夏をもたらす
03・- 中学・高校の卒業式 全国1528校で学校の要請により警官が立入り警戒
04・01 500円硬貨 発行  新硬貨の発行は15年ぶり
04・01 日本医師会会長に反武見派 花岡堅而 就任 25年間在任の武見は引退
04・02 アルゼンチン 領有権を主張してフォークランド諸島を占領
             5/20  イギリス軍 反撃して同島に上陸作戦を開始
              6/14 アルゼンチン軍降伏 撤退 フォークランド紛争
04・08 最高裁 「第2次家永訴訟」.の2審判決を破棄 東京高裁に差し戻し判決
04・09 西ドイツ各地で 「反核・平和の復活祭行進(~4/12)」  48万人動員
04・15 フランス ミッテラン大統領来日 鈴木首相と会談
          4/16 国会で演説 「仏の核保有は必要不可欠」 と表明

04・17 カナダ建国115年目で 憲法制定公布  カナダ連邦発足
04・22 運輸省が国鉄改革案 (26万人体制・2特殊法人に分割等) 発表
05・06 富士通 「マイ・オアシス」発売 75万円 ワープロ普及開始
06・01 中国 趙紫陽首相来日 目白の田中邸を表敬訪問
06・07 第2回 国連軍縮特別総会 開幕 (~7/10)
                            東西対立のため 「包括的軍縮計画」 合意ならず閉幕
     
6/10  国民運動推進連会議 国連軍縮総会に向けて集めた「反核署名2754万人分」提出
06・08 東京地裁 ロッキード全日空ルート 橋本登美三郎元運輸相らに有罪判決
         判決文に 所謂 「灰色高官(二階堂進・加藤六月ら)」 の名前公表

06・22 米FBI IBM機密情報不法入手容疑で日立製作所・三菱電機社員摘発
06・22 東北新幹線 (大宮~盛岡) 間 営業開始
06・25 文部省 昭和58年度教科書検定を終了
       “侵略 を“進出”と 改めるなど 一段と改訂強化 政府広報誌的に…

06・29 米ソ 戦略兵器削減交渉(START)ジュネーブで 開始
07・01 トヨタ自工とトヨタ自販が合併  トヨタ自動車 が発足
07・09 閣議 次年度予算概算要求枠を5%削減 (初のマイナス・シーリング)
07・23 
政府 国防会議で昭和58~62年度防衛力整備計画を決定
        約16兆円 「国民総生産 (GNP) 1%以内」 の方針 崩れる

07・23 九州北西部・山口県に豪雨 長崎市の死者行方不明299人
07・23 土光臨調会長 政府の米価引き上げに反対  内閣の姿勢 批判
07・26 中国 日本の教科書歴史記述に抗議 南北朝鮮・台湾・マレーシァも…
             8/26 日本 「政府責任で是正」 と表明
07・30 臨調基本答申提出 三公社の分割・民営化 二開発庁の統合を提起
07・31 日本共産党大会 宮本顕治議長 不破哲三委員長らを選出
08・03 韓国政府 日本教科書の「植民地支配」記述に抗議 是正を要求
08・05 広島で原水爆禁止世界大会開催 3万人参加
08・17 老人保健法公布 70歳以上の医療無料制は廃止 一部有料に…
08・24 公職選挙法改正 (参議院全国区に拘束名簿式比例代表制導入) 公布
08・30 日米安保事務レベル協議 米は「3海峡封鎖とシーレーン防衛役割」要請
09・02 国鉄リニアモーターカー 世界初 有人浮上走行に成功 (時速206km)
09・04 沖縄県議会 教科書検定で削除された 沖縄戦での日本軍による
            住民虐殺記述の回復を求める意見書を 採択 政府に要請
09・06 来日中のニクソン米元大統領 田中角栄を訪問
09・16 鈴木善幸首相 財政危機の実情を非常事態として 国民に負担増を要請
09・26 鈴木首相 来日中の中国趙首相に 教科書問題は政府責任で是正約束
10・01 改正商法施工 (総会屋への利益供与禁止・新株引受権付社債の発行)
10・12 鈴木首相 突然の退陣を表明
10・18 東京地検 岡田・三越前社長と懇意だとして
         独占的に商品を納入した竹久みちを 脱税容疑で逮捕

            10/29 警視庁 岡田 茂・三越百貨店前社長を 特別背任容疑で逮捕
11・01 本田技研 アメリカで小型自動車の生産を開始
11・10 ソ連 ブレジネフ書記長死去(75歳) 
11・12 ブレジネフ書記長の後任に アンドロポフ就任
11・12 拘禁中の ポーランド “連帯” ワレサ議長 釈放
11・13 米 対ソ経済制裁措置 解除を発表
11・15 上越新幹線 (大宮~新潟) 営業開始
11・16 鈴木内閣 総辞職
11・24 自民党総裁選挙 1位中曽根 2位河本 3位安倍 4位中川 2位以下辞退
11・27 中曽根康弘内閣成立 法相 秦野 章・蔵相 竹下 登・外相 安倍晋太郎
                  内閣官房長官・後藤田正晴
12・03 首相 所信表明で行政改革・財政の対応力回復 日米信頼関係強化を… 

12・04 アメリカ映画 スピルバーグの 「E.T.] 封切り 大ヒットとなる
12・09 参議院議員 梶原 清 田中派に入会  田中派総勢 110人に…
12・07 中曽根首相 国鉄再建対策推進本部を設置 (臨調答申に反応)
12・04 中国全民代第5回会議 国家憲法採択 (国家主席制・文革の影響払拭)
12・13 国連総会 核の凍結と不使用の両決議案を採択 (英・米・仏は反対)
12・14 全日本民間労組協議会(全民労協)結成 (41単産425万人
12・22 中曽根首相 衆議院予算委員会で 「非核3原則」 の厳守を明言
12・31 
第24回 レコード大賞に山本譲二の 「みちのくひとり旅」 が選ばれる

【世 相】
輸出総額 30年ぶりに対前年比 減少  軽・薄・短・小 コンセプトが売りに…
若者にエアロビクス 年寄りにゲートボール 流行する  日焼けサロン  
スーパー・ダイエー  ハワイ アラモアナのショッピングセンターを買収

【物 価】
国鉄 初乗り運賃・入場券 120円
    上野~青森 7900円 新橋~大阪 6600円 フルムーン・キャンペーン
    青春18 のびのび切符 (普通車・全国乗り放題)   白米10kg 3446円
瓶ビール 265円   かけそば 300円   週刊朝日 220円
大卒初任給 ………………  127,200円
国家公務員初任給 ……… 106,900円

【流行語】
逆噴射   心身症   森林浴   なぜだ!   産業スパイ   酎ハイ
三語族 = ウッソー  ホントー  カワイイー 
       or  ヤダァー  シンジラレナーィ  バッカミタイ
ほとんどビョーキ   ルンルン   ひょうきん   ねくら ・ ねあか   イマい

【新製品】
ラ ジ カ セ      ザ・サード RX‐C60    松下電器     市中価格
ワ ー プ ロ      マイ・オアシス       富 士 通    750,000円
ス テ レ オ    コンパクトコンポ ROXY7   ケンウッド    139,800円
パ ソ コ ン        PC‐9801        日本電気     298,000円
パ ソ コ ン        AS‐100S         キ ャ ノ ン     700.000円
パ ソ コ ン      パソコンテレビ       シ ャ ー プ     268,000円
腕 時 計   シチズン・プロバイダーDVA55‐0033   シ チ ズ ン    180,000円
自 動 車       ス タ リ オ ン       三菱自動車   2,735,000円
自 動 車        マーチ K10       日産自動車    860,000円
CDプレーヤー     CDP‐101        ソ ニ ー      168,000円
無印良品 …… 西友ストア

【ベストセラー】
悪 魔 の 飽 食 前・後       森 村 誠 一        角 川 書 店
プロ野球を
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積 木 く ず し            穂 積 隆 信        角 川 書 店

【流行歌】
北   酒   場        作詞・なかにし礼  作曲・中村泰士   歌手・細川たかし
三 年 目 の 浮 気         作詞・作曲 佐々木 勉       歌手・ヒロシ&キーボー 
さ ざ ん か の 宿       作詞・吉岡 治   作曲・市川昭介   歌手・大川栄策
マドンナたちのララバイ    作詞・山川啓介   作曲・大森敏之   歌手・岩崎宏美
渚 の バ ル コ ニ ー     作詞・松本 隆   作曲・呉田軽穂   歌手・松田聖子

【野 球】
プ ロ 野 球    優 勝   セ・リーグ = 中 日    パ・リーグ = 西 武
           第33回 日本シリーズ  優 勝 = 西 武  4勝 2敗
  ロッテの落合博満選手 三冠王を獲得
第54回 選抜高等学校野球大会      大阪・PL学園 15-2 二松学舎大付属・東京
第64回 全国高等学校野球選手権大会    徳島・
池田  12-2  広島商・広島

【邦 画】
蒲 田 行 進 曲     深作欣二監督  風間杜夫 松坂慶子 平田 満 ら
転  校  生       大林宣彦監督  小林聡美 佐藤 允 尾美としのり
疑   惑        野村芳太郎監督  桃井かおり 岩下志麻 柄本 明
遠 野 物 語      村野鐵太郎監督  仲代達矢 江波杏子 隆 大介 ら
生きてゐる小平次   中川信夫監督  藤間文彦 宮下順子 ら
誘 拐 報 道       伊藤俊也監督  萩原健一 小柳ルミ子 丹波哲郎

【洋 画】
E.  T.  ()   スティーブン・スピルバーグ監督  ヘンリー・トーマス ディ・ウォーレス
黄   昏 ()   マーク・ライデル監督  ヘンリー・フォンダ キャサリーン・ヘプバーン
炎のランナー ()   ヒュー・ハドソン監督  ベン・クロン  イアン・チャールソン
愛と青春の旅立ち () ティラー・ハックスフォード監督 リチャード・ギア デブラ・ウィンガー
レ ッ ズ  ()   ウォーレン・ビーティ監督  ウォーレン・ビーティ  ダイアン・キートン
フランス軍中尉の女 () カレル・ライス監督  メリル・ストリーブ ジェレミー・アイアン

【この年】
 権謀術数の限りを尽くした石田博英が、合従連衡で 石橋湛山を自由民主党の総裁に据え、第55代内閣を組閣したのは 昭和31年12月だったが、その石橋が病を得て 在職わずか65日 後事を 岸 信介に託した。直前 石橋と熾烈な総裁選を戦った岸は、石橋内閣の副総理格 外務大臣であったから 「よしきた!」 といったところで、総理大臣たるの心構えは十分に具わっていた。事実 彼は 周到な布石を打ちながら 米大統領アイゼンハワーと交誼 (
よしみ) を通じ、3年後には 「´60年 日米安全保障条約の改訂」 を為し遂げた。いささか趣きは異なるものの 棚からボタ餅のように、予期せぬ 「政権」 が転がり込んできた鈴木善幸は びっくりしただろう。だから とても、「よしきた…」 という心境にはなれなかった。

 政権とは奪い取るものである。鳩山一郎の執念的 "吉田 茂の引き摺り下ろし"、池田勇人に嫉妬した佐藤栄作の “禅譲要求"、田中角栄が "既成権力構造" のシンボル的存在 福田赳夫に挑んで展開した 壮絶な角逐・死闘、三木おろしに共同しながらも 忽ち “四十日抗争" を繰り拡げ、剰 (あまっさ)え 野党が提出した不信任案に便乗してまで 政敵 (大平) を追い込み憤死させた福田と三木…。戦後の自由民主党史を彩った政治家たちの 「政権争奪」 をめぐる相克は、凄まじいものがあった。佐藤長期政権のあと 自民党を支えて拮抗していた実力者を指して “三・角・大・福 と 称したものだが、田中角栄をはじめ 三木武夫、福田赳夫、そして大平正芳も、数々の政治ドラマの中で 既にいったんは主役の座に就き、さらに 「あわよくば 再び…」 と 虎視眈々 (こしたんたん) とした風があった。

 「君は 座死するつもりかッ!」 と 角栄の激を受け、再度 議会の解散に踏み切った大平は 過労が因で心筋梗塞に斃れ、自らの死を以って購 (あがな) ったかのごとく 衆・参両院選挙で自民党に大捷をもたらした。その結果を前にしては 次なる首班も 引き続き大平派から出すこととなる。裏方として選挙に関わってきた鈴木善幸は、大平の後継に宮沢喜一を推そうとしたのだが、田中角栄は首をタテに振らず、ほかに何人かの候補が取沙汰されたものの、結局 お鉢が善幸に回ってきたのである。

 いやしくも 一国の総理大臣たるものには、相応の見識・経綸がなければならないが、善幸は端 (はな) から 自らにその器量なしと告白して総裁職を受けたのだから、何をかいわんやである。財政緊縮のためと称し 防衛費の削減をもくろんで カーター政権からブーイングを浴び、いっぽう 自動車など対米輸出の増大でアメリカ議会を刺激、厳しい貿易交渉で自主規制を強いられた。文部省の教科書検定で  歴史記述に反動的改訂がなされ、中国、韓国、東南アジア諸国、沖縄県の人たちからの抗議が相次ぎ、政府は対応に忙殺されたが 終始受身に回っている。善幸が首相に就任した昭和55年7月から 56年、57年の 【デキゴト】 を振り返ってみても、青色で示した 政治・経済・国際 にかかる表記には 政府の主体的、積極的な行動は、殆ど見受けられない。強いて言えば 唯一 善幸の業績と見做されている 「第2次臨時行政調査会 (56年3月設置)」 ぐらいなものだが、これとて鈴木善幸自身の発案だったか、それとも 行政管理庁長官 中曽根康弘の入れ知恵なのか…? 「第2臨調」 については、項を改めて詳しく述べたい。

 もう少し 鈴木内閣発足当時の事情について触れる。野党提出の大平内閣不信任案に、同調も同然の行動をとった 党内反主流 福田・三木派は、資金的にも苦しく抗争に倦み疲れていたが、中曽根康弘は侮れぬ存在になっていた。更に 3桁の勢力を保持する田中角栄が 隠然と目白御殿から睨みを利かせ、事あれば "第3次 角福戦争" も辞せぬ構えだったから、ボタ餅が咽 (のど) につかえて目を白黒させながらも 善幸が、 聖徳太子よろしく 「和を以って 貴しとなす」 と 党内を誘導したことは、ひとまず 正鵠を射たものと言える。

 ただ  “和” からエネルギーは生じない。後日の話だが 平成の時代に入り、かつて 「政権」 の争奪に死闘を繰り拡げた 三・角・大・福 が過去の人物となって、中曽根 → 竹下 → 宇野 と 政権たらい回しが始まってから以後は、 おしなべて世襲の政治家が劣化して小粒になり 政治の活力は萎えてしまった。和を唱えた本人が そのことを意図したとは思えないが、現在の政治衰退に至る嚆矢は 善幸が放ったといえなくもない。( ←… 余談

 とはいえ 政治は日々動いていき、刻々迫ってくるタイムスケジュールをこなしていかなければならない。内閣を構成する顔ぶれは、政策の百貨店と呼号した田中派の面々をはじめ  錚々たる実務家が揃っていたが、彼らが善幸に忠勤を励んだか といえば 必ずしも然らず、首相としての 彼のお手並み拝見といった姿勢。官房長官の宮沢喜一は 大平派内でも一格上の立場、もともと評論家的人物だったから 善幸に寄り添い くつわを取ってくれるわけでもない。せいぜい閣議の取り纏め役だ。大平に犬馬の労をとった伊藤正義は 例の ”軍事同盟" 問題で善幸に見切りをつけ 早々と閣外に去っていた。

 推測だが、結局 鈴木首相の日常を差配し 支えたのは、官僚だったと思う。事務方の官房副長官は 翁久次郎、閣議前日の 事務次官会議で政策はすべてコントロールできる。彼は厚生省の出身であるが、あるいは善幸が厚生大臣時代の知己かも知れない。もう一人 内閣一覧によれば総理府官房長官に菅野弘夫とある。両者の役割分担は判らないが、連携して 善幸の背後から糸を操り、日程を調整し、プロンプターを務めていたのではないか。

 昭和57年7月 第2臨調が 「基本答申(国鉄・電電・専売 等の分割民営化、行政の簡素化)」 を出す前に、土光会長は 米価の値上げに反対、政府の行革姿勢に強い怒りを投げつけた。総裁任期が近づいた10月はじめ 福田元首相が 「鈴木内閣は 国民の信頼に欠ける」 と発言、河本派 中川派もこれに同調した。かつては党内調整に長じていた善幸も、表に立って 財政改革・行政改革に采配を振るのは荷が重かった。善幸は10月12日 突然に退陣を表明して周囲を驚かせたが、記者会見で彼はこう述べている。

 「自分が (次期)総裁の座を競いながら 党内の融和を説いても、どうも説得力がないのではないかと……。この際 退陣を明確にし、人心を一新して 新総裁のもとに党風の刷新を図り、真の挙党体制を作りたい」 と。

 彼が総裁再選を諦めたのは、依然 水面下で続いていた 角福怨念闘争に嫌気が差したのかも知れない。それゆえ 又候(またぞろ) "和" のお題目を唱えようとしたとも思える。だが いっときの宥和は、争いに水を差すかも知れないが、政治の場に緊張が消滅すれば その陰から顔を覗かせるのは、"惰性" と "馴れ合い" である。重ねて言うが、政治権力とは 死を賭してでも闘って奪い取るものなのである。

 鈴木善幸引退表明のあと 自民党では後継の調整がつかず、中曽根康弘、河本敏夫、安倍晋太郎、中川一郎が総裁の椅子を争ったが、中曽根が1位になったので 2位以下は本選挙を辞退した。

Photo  左の図表をクリックしていただきたい。鈴木善幸を中心とした家系図が拡大する。善幸は 岩手県釜石近くの漁港で アワビ・スルメ漁と水産加工業を営む 網元に生まれた。水産学校を卒業して地元の漁業組合に勤務するうちに 些か左傾活動にかかわり、30歳代で社会党から出馬 衆議院議員になったが、吉田 茂の民主自由党に鞍替え 宏池会の一員に加わった。もっぱら 地味に党務裏方に励むごく平凡な代議士だったが、年季を重ねるうちに 郵政大臣や厚生大臣に起用されたこともあった。性分は調整役に向き 党総務部長を10期も務めている。田中角栄は水呑み百姓 馬喰を父に持ち 苦学して土建業から叩き上がったが、善幸もまた一介の水産技師に過ぎないため  政界に在っては知己縁故に乏しく、コンプレックスを抱いたこともあったという。

 その為か 一男三女の父親として 子供たちの良縁を願っていたが、あるとき同じ宏池会に属する 福岡県田川選出の田中六助が、やや婚期を逸していた善幸の三女千賀子と 九州麻生財閥の御曹司太郎との縁談を持ち込んできた。善幸に否やのある筈はない。仲人は 桜田武元経団連名誉会長、岩手県と福岡県、縁は異なものである。

 更に 善幸の長男俊一が トーメン・パリ社長 堤 平五の娘 敦子を娶った。平五の細君 京子は 元鉄道大臣小川平吉の孫だが、これで善幸は小川一族を通じて宮沢喜一と繋がった。麻生太郎の母方の祖父は吉田 茂、その娘桜子 (つまり太郎の叔母) は 外交官吉田 寛と結婚しており 寛は 岸信介・佐藤栄作の従兄に当たる。その後 麻生太郎の妹 信子が 髭の殿下 (三笠宮) 寛人親王に嫁したから、何と 鈴木善幸家は皇室にまで繋がってしまった。ご覧の家系図は 削りに削って作成したものだが、この一図内だけでも 元・現含めて4人の総理大臣の名前が見える。鈴木家の家柄がどうであったかは判らないが、名も知れぬ網元の小倅が、一代にして かくも華麗な閨閥を築き上げた。善幸は ある意味好運な人物ではある。

 昭和57年の 【デキゴト】 のトップに 「韓国で独立以来36年ぶりに “夜間外出禁止令” 解除」 とあって、へぇーッ そんなことが? と思った。独立当時といえば李承晩大統領の頃である。韓国を支配してきた日本の勢力が去り、「朝鮮戦争」 が 国土の南北を引き裂いて 治安も秩序も壊滅させた上、軍事政権が長く続いたことを考えれば、或いは 然()も…と 推測できぬものでもなかったが 調べてみた。´80年(昭和55年) に 朴正熙大統領が暗殺されて 全斗煥大統領の第5共和国政府になっていたが、朴事件で全斗煥自身が敷いた非常戒厳令拡大措置を収束するに当たり、四半世紀以上も続いていた 独立当時の 「夜間外出禁止令(午前0時~4時)」 を解いたのである。

 併せて驚いたのは、台湾ででも ´47年(昭和22年) 本土から移ってきた国民党 (蒋介石) 軍が、同胞である台湾人に対して起こした白色テロ “2・28 大虐殺" 時に発した戒厳令が、´87年(昭和62年) まで40年間も続き 台湾社会に重圧を加えていたことを知った。 両国とも 日本が植民地として統治していた地域であり、戦後 日本人同様 いや遥かそれ以上に、苦難が継続していたことに黯然 (あんぜん) とした。

 2月8日朝、羽田空港沖で着陸態勢に入った 福岡発JAL350便 DC‐8型機が失速し 滑走路手前の海上に墜落、乗客・乗務員 28人が死亡 149人が重軽傷を負う事故が発生した。原因は 心身症の病歴を持つ機長が、突然エンジンを逆噴射させるという 異常な操縦をしたためであった。警視庁は 機長の責任を追及しようとしたが、精神鑑定の結果 事故当時 “心神喪失状態” であったとして不起訴になった。あとには 「心身症」 「逆噴射」 という言葉だけが 流行語になったものだ。

 老舗百貨店でも 経営管理が疎かになれば、内部に膿が溜まるという事例が曝露 (ばくろ) された。 百貨店の王者 「三越」 日本橋本店で開催した “古代ペルシャ秘宝展” の展示物47点が 殆どニセ物であることが発覚、ワンマンといわれた三越・岡田 茂社長が 愛人竹久みちと組んで 乱脈な経営を行ない、私腹を肥やしていたというのだ。ペルシャ展のニセ物も竹久が持ち込んだものであり、そのほかにも 衣料・貴金属が大量に納入され 不良在庫の山が出来ていた。役員たちも危機感を抱き 9月の取締役会で劇的な社長解任を決定したのだが、その時 岡田社長が発したのが 「なぜだッ!」 という言葉だった。岡田社長は10月 特別背任容疑で、竹久は脱税容疑で逮捕された。

 東北新幹線 大宮~盛岡間 (465.6km) が 6月23日に、上越新幹線 大宮~新潟間 (270km) が 11月15日に、営業を開始した。角栄の得意や思うべしである。彼が ロッキード事件で逮捕・保釈された翌年 52年の正月こそ、角栄邸はひっそりとして 秘書と将棋をさして過ごしたというが、53年からは 年賀客が旧に倍して増え続け この年元旦の客は千人を超え、目白御殿の門前 市をなした。年賀客だけではない。前年のキッシンジャーに続いて 9月にはニクソン元大統領が田中邸を訪れた。中国の要人も 角栄を “井戸を掘った人” として 来日の度に表敬し、57年は趙紫陽首相が訪問している。だが ロッキード事件にかかる裁判は、じりじりと進行しており  元運輸大臣 橋本登美三郎や 元運輸政務次官 佐藤孝行に一審有罪判決が下され、包囲網が縮まった。

 この年は 大物俳優が物故した。2月11日 志村 喬 75歳 (生きる、七人の侍)、2月13日 江里チエミ 45歳 (テネシーワルツ)、8月12日 ヘンリー・フォンダ 77歳 (荒野の決闘、黄昏)、8月22日 佐分利信 73歳 (慟哭、お茶漬けの味)、8月29日 イングリッド・バーグマン 67歳 (誰がために鐘は鳴る、イタリア旅行)、9月14日 グレース・ケリー 52歳 (喝采、真昼の決闘、 モナコ王妃)…らである。それぞれ 生前の画面を想い しばし感慨に耽った。合掌。

 11月27日 第1次 中曽根康弘内閣が発足した。

2050年の世界地図に 日本は存在するか

 私は 「Yの昭和史」 で、自らの “来しかた” を振り返る作業を続けていますが、原則として  現在の政治には口を差し挟まずに参りました。けれども 長い自民党独善政権の有り様には  我慢ならぬものを覚え、官僚主導に堕してしまった 世襲議員の脆弱・無能に任せていては崩壊の淵に追いやられてしまって、大袈裟かも知れませんが、世紀半ばともなれば わが国が 果たして 「世界地図の上に存在」 するかどうか、おぼつかぬ思いに駆られます。

 現状は、あまりにも 酷(ひど)すぎます。

 そんな思いで、 柄にもなく 書き殴ってみたのが、「2050年の世界地図に 日本は存在するか ① ② ③ ④ ⑤ 」 です。 ① と ② は 世襲議員の野放図・無責任、③ ④ は官僚政治の狡猾と その危険性について触れ、⑤ は 素人考えながら 対処策じみた所感を申し述べました。(文章は 些か長くなりましたが……)

 自民党が いかに引き伸ばしを図ろうと、来るべき総選挙で 国会議員の世襲問題がまな板に載ることは間違いないでしょう。 官僚 (司直を含む) が 政権交代に悪辣な抵抗を始めていること、本来 木鐸を鳴らすべき立場のジャーナリズムが 去勢され 劣化してしまっているだけに、せめてブログの上ででも 憂いを共有し、あるべき国家像を思い描いていただきたいと 希(こいねが) っています。

                                 奥 山   和

 

  
















         

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