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2009年6月

昭和58年 (1983)

【デキゴト】
01・01 森林文化協会が「21世紀に残したい100自然」を選定 (釧路湿原 等)
01・09 自民党 中川一郎議員 札幌のホテルで 不自然な首吊り自殺
01・11 中曽根首相 訪韓 1/12 全斗煥大統領と共同声明 (日韓新時代) を確認
01・14 中曽根内閣 対米武器技術の供与を決定 武器輸出3原則修正に批判

01・16 共通1次試験終了 欠席率は過去最高 5.6%に…
01・17 中曽根首相 訪米 レーガン大統領と会談 1/18 「日米は運命共同体」と発言
      1/19 「日本列島不沈空母・海峡封鎖」 とワシントンポストに発言 物議に
01・22 シャープと慶應義塾大学 音声の出る 「英語電子辞書」 開発 発表
01・24 中曽根首相 施政方針演説で 「戦後史の大きな転換点」 と強調
01・27 青函トンネルの先進導坑が 着工19年目にして 貫通
02・01 老人保健法施行 (70歳以上の医療の無料制 廃止)
02・04 日本初の実用通信衛星 「さくら2号a」 打上げに成功
02・11 横浜市内の公園などで浮浪者を襲った少年を逮捕  2/12 中学生9人も…
02・12 日本vsEC通商会議 日本製VTRの輸出3年間自主規制 ´83は455万台
02・13 ゴルフの青木 功 ハワイアン・オープンで初優勝
02・15 清水寺貫主 大西良慶没 107歳 五つ子ちゃんの名付け親
02・23 「森の死」 で西独政府 火力発電所に「大規模燃焼施設亜硫酸ガス規制」
02・24 大蔵省 超長期国債 (期間15年) を発行
02・24 米議会戦時強制収容問題委員会 ´42年日系人11万の収容を不当と結論
02・26 東京・東村山市の中学校で 生徒が鉄パイプで職員室を襲撃 5教師負傷
03・10 文部省が 「荒れる教室」 の総点検を全国教育委員会に指示
03・14 臨時行政調査会 行政改革に関する最終答申を 首相に提出
      (増税なき財政再建 国債依存からの脱却など)   3/15 臨調解散
                5/23 臨時行政改革推進新議会設置 (会長土光敏夫)
03・23 レーガン大統領 宇宙を含む核ミサイル攻撃防御システム(SDI)開発指示
03・23 中国縦貫自動車道 開通 (吹田~下関)
03・28 警察庁 全国1225校の中学校卒業式に警官が警備と発表
04・03 米の中距離核ミサイル配備に反対 西独・伊・英・蘭で20万人集会 開催
04・04 NHK 朝の連続テレビ小説 (橋田寿賀子原作)「おしん」 放映開始
04・10 第 10 回   統 一 地 方 選 挙
      (社共推薦 奥田八二福岡県知事 社会推薦 横路孝弘北海道知事に…)

04・13 シカゴ市長に 初の黒人候補ハロルド・ワシントンが当選
04・19 自衛隊機 三重県で墜落 14人死亡  4/26 岩国基地でも墜落 11人死亡
04・25 千葉県浦安市に 東京ディズニーランドがオープン 初日2万人の入場者
04・28 軍政下の´70年代に数万人が死亡・行方不明とアルゼンチン政府が発表
04・30 中曽根首相 東南アジア諸国連合 5ヶ国などの歴訪に出発
05・08 サラリーマン新党結成 (代表・青木 茂)
05・11 チリでピノチェト軍政に抗議する 「第1回国民抗議デー」 が行なわれる
05・13 貸金業規正法・金利取締法 (サラリーマン金融規制2法) 改正公布
05・19 カンヌ国際映画祭で 今村昌平監督の 「楢山節考」 がグランプリ受賞
05・24 政府行政大綱を決定 71特殊法人の整理 141件の許認可整理を課題に…
05・25 フランスが太平洋ムルロア環礁で 大規模地下核実験を実施
05・26 秋田沖日本海中部地震(M7.7) 大津波発生 死者104人 家屋等被害甚大
05・28 第9回サミット米・ウィリアムズバーグで… 首相 レーガン戦略に協力と表明
06・03 プロ野球 阪急福本 豊選手 939盗塁を達成 ルウ・ゲーリックの記録を抜く
06・06 国債発行残高が 初めて100兆円を突破
06・08 中曽根首相 国有地の有効利用の検討を大蔵省に指示 (地価高騰の引金)
06・13 米惑星探査機パイオニア10号 海王星の軌道を通過し 太陽系を脱出
06・13 東京証券取引所で セブン・イレブン株10900円に…  初の1万円台銘柄
06・14 首相の私的諮問機関 「文化と教育懇談会(座長にソニーの井深 大)」発足
06・18 中国人民代表者大会 李先念を国家主席 鄧小平を軍事委員会主席に選出
06・23 愛知県警 戸塚ヨットスクール・戸塚 宏校長を傷害致死容疑で逮捕
06・16 日産自動車 アメリカで小型トラックの生産 開始
06・26 第13回 参議院選挙 自民68 社会22 公明14 共産7 民社6 自ク連2 etc
07・05 帝京大付属病院で 血友病患者が死亡 8/30 米研究者がエイズと診断
       7/8 アメリカがエイズ患者1700人 死亡者650人と発表
       7/11 厚生省 血友病患者用輸入血液製剤を非加熱継続に方針変更

07・15 熊本地裁 免田事件再審で死刑囚に無罪判決  7/28 無罪確定
07・20 山陰豪雨島根県で最高555mmを記録 家屋破壊3669戸 死者等117人
07・21 南極大陸で 地球上最低の気温 マイナス89.2度を観測
08・02 リニアモーターカーの実験で 最高時速 400kmが出る
08・21 比・アキノ元上院議員暗殺 8/31 葬儀100万人参加 各地に反政府運動
09・01 ソ連 領空侵入の大韓航空機撃墜 269人全員死亡 (日本人28人)
09・07 社会党大会 石橋政嗣委員長・田邊 誠書記長を選出
09・24 NHKの朝ドラ 「おしん」 の視聴率が 最高の63%に達する
10・03 三宅島雄山大噴火 溶岩流で島の南西部349戸焼失 4000人離島避難
10・09 ビルマのラングーンで爆弾テロ 韓国副首相ら 21人死亡 北朝鮮の仕業?
10・12 東京地裁 ロッキード事件の田中角栄に 判決
         受託収賄罪などで 懲役4年・追徴金5億円の実刑  直ちに控訴
10・15 西ドイツで 「反核行動週間」 始まる
         10/22  30万人 延長108キロの〈人間の鎖〉が米軍基地を包囲
10・25 アメリカ軍など カリブ海6ヵ国 グレナダに侵攻   キューバ化阻止
10・28 中曽根首相 田中角栄を訪問 「自発的辞職」 を勧告
                     実は 解散・総選挙日程につき相談

10・30 アルゼンチンで 急進党アルフォンシンが大統領に… 軍政終わる
11・08 プロ野球 ジャイアンツが 王貞治監督 の就任を発表
11・09 レーガン大統領来日 天皇と会見 中曽根首相と会談
             円安・ドル高 是正協議機関設置などで合意
             11/10  大統領 日本の防衛努力の強化を要望

11・10 奈良県明日香村キトラ古墳で 極彩色の玄武壁画が発見される
11・11 劇団・四季  東京で ミュージカル 「キャッツ」 を初演
11・18 愛媛大 松山市のゴミ焼却場から 猛毒のダイオキシンを検出
11・18 チリのサンチャゴで 100万人の軍政抗議集会が催行される
11・20 核戦争の恐怖を描いた映画 「ザ・ディ・アフター」 全米で40%の高視聴率
11・23 中国 胡耀邦総書記来日 「日中友好21世紀委員会」 設置で合意
12・18 第37回 総選挙 「ロッキード・田中判決解散」 自民250 社会112
        公明58 民社38 共産26 新自ク8 社民連3 無所属16
        新潟3区では 田中角栄が22万票で トップ 当選
        12/26 自民・新自ク 統一会派結成 かろうじて過半数に…

12・24 中曽根首相 「田中角栄氏の政治的影響を 一切排除する」 と声明 
12・27 第2次中曽根内閣成立 法相・住 栄作 蔵相・竹下 登 経企・河本敏夫
12・31 第25回 レコード大賞 大川栄策の 「さざんかの宿」 が選ばれる

【世 相】
戦後最長の不況 (昭和55年3月ごろ~昭和58年やや底を過ぎたか…)
アフリカで飢餓深刻化    サラ金の悪辣 社会問題に…
NHKの朝ドラ “おしん” 大人気   日本初 "試験管ベビー” 誕生

【物 価】
国 鉄 入場券 120円   瓶ビール 280円   かけそば 310円
たばこ ピース10本入り 100円   白米10kg 3488円
大卒初任給 …………………… 132,200円
国家公務員初任給 …………… 109,100円

【流行語】
おしん・家康・隆の里 (辛抱する人の代表として……)   不沈空母
タコが云うのヨ   義理チョコ   ジャパゆきさん   運命共同体
気くばり   ロン・ヤス   勝手連   ニャンニャンする
ちゃっぷぃ ちゃっぷぃ   いいとも

【新製品】
カ メ ラ       ゼンザブロニカGS‐1     タ ム ロ ン    276.000円
テレビパソコン    HB‐55 (テレビに接続)    ソ ニ ー     54,800円
ソーラ電卓      フィルム・カード      カシオ計算機      5,900円
腕 時 計        G‐SHOCK         カシオ計算機     11,400円
自 動 車       カローラE‐AE81        ト ヨ タ   1,320,000円
  〃        スプリンター・トレノ       ト ヨ タ    1,563,000円
  〃         ホンダ・シビック251    本 田 技 研   1,197,000円
ゲーム機       ファミリーコンピュータ    任 天 堂       14,800円
ワ ー プ ロ       書    院         シ ャ ー プ       不  詳
六甲の おいしい水 …………………………  ハウス食品        200円

【ベストセラー】
二 つ の 祖 国 上・中・下       山 崎 豊 子        新 潮 社
気 く ば り の す す め        鈴 木 健 二        グ ラ フ 社
迷走地図 上・下             松 本 清 張         新 潮 社
意識革命のすすめ           広 岡 達 朗        講 談 社
ア ド ル フ に 告 ぐ          手 塚 治 虫         文 芸 春 秋

【流行歌】
矢 切 の 渡 し       作詞・石本美由起   作曲・船村 徹   歌手・細川たかし
お 久 し ぶ り ね        作詞・阿久 悠     作曲・中村泰士   歌手・小柳ルミ子
釜 山 港 へ 帰 れ        作詞・作曲 黄善雨/訳・三佳令二   歌手・渥美二郎
ギザゲザハートの子守唄     作詞・康 珍化     作曲・芹沢広明   歌手・チェッカーズ

【野 球】
プ ロ 野 球   優 勝   セ・リーグ = 巨 人   パ・リーグ = 西 武
          第34回 日本シリーズ  優 勝 = 西 武  4勝 3敗

第55回 選抜高等学校野球大会        徳島・池田 3-0 横浜商・神奈川
第65回 全国高等学校野球選手権大会   大阪・
PL学園 3-0 横浜商・神奈川
前年初出場 夏の大会で優勝した“爽やかイレブン”池田高校は 春 再び連覇

【邦 画】
細     雪        阿部 豊監督  花井蘭子 高峰秀子 轟夕起子
戦場のメリークリスマス  大島 渚監督  坂本龍一 デヴィッド・ボウイ ら
東  京  裁  判       小林正樹監督  ドキュメント・フィルム 編集の長編
楢 山 節 考       今村昌平監督  坂元スミ子 緒形 拳
時をかける少女      大林宣彦監督  原田知世  高柳良一

【洋 画】
ガ ン ジ ー (英・印) リチャード・アッテンボロー監督 ベン・キングスレー キャンディス・バーゲン
フラッシュダンス () エイドリアン・ライン監督 ジェニファー・ビールス マイケル・ヌーリー
4 8 時 間 ()    ウォルター・ヒル監督 エディー。マーフィー ニック・ノルティ
ガープの世界 ()  ジョージ・ロイ・ヒル監督 ロビン・ウィリアムズ グレン・クローズ
ソフィーの選択 () アラン・J・パクラ監督 メリル・ストリーブ ケヴィン・クライン

【この年】
 “党内宥和” “挙党一致” を望んで退陣を表明した鈴木善幸の後釜は しかし、なかなか決まらなかった。総裁選挙には一応 中曽根行政管理庁長官、中川一郎科学技術庁長官、河本経済企画庁長官、安倍晋太郎通商産業相が 名乗りを上げていたが、党は話し合い・調整を狙って予備選を凍結、膠着したまま 事態は一向に進展しなかった。そんな中から、中曽根総理大臣 福田赳夫党総裁でどうかという苦肉の策が浮上してきた。「総・総分離案」 である。後任選定に腐心していた鈴木善幸と 二階堂幹事長が心を動かされ、立候補者たちを口説いた。中川・河本・安倍は 「已む無し」 と受諾したが、中曽根は経緯を田中角栄に相談した。田中は たちどころに福田復権の匂いを嗅ぎ取って断固反対、すったもんだの挙句、立候補4人の間で “迫力無き" 総裁予備選が争われた。

 下馬評では 河本有利と見る向きもあったが、そこはそれ 中曽根に対する田中派の強力なバックアップが功を奏し、中曽根 55万9672票(得票率57.5%) 河本 26万5078票(27.2%) 以下略 で 過半を中曽根が抑え、決選は 2位以下が辞退してしまったので、中曽根康弘が総裁に選出された。鈴木善幸が退陣表明後37日目 昭和57年11月23日のことである。(正式には 11月25日) 私は 中曽根が総裁選出後、田中派の溜まり場を訪れ、一人ひとりの議員に 合掌しながら謝意を表わして回っていた ニューズ画像を、今でも ありありと想い出す。

 中曽根は直ちに組閣に着手、11月27日 第1次中曽根内閣が成立した。構成は 田中派 6、鈴木派 4、中曽根派 2(中曽根首相を除く)、河本派 2、中川派 1、無派閥 2 であるが、大蔵、建設、自治、厚生、内閣官房長官等 主要ポストは田中派が抑えたから、鈴木善幸の 「角影内閣」 どころか 「直角内閣」 「田中曽根内閣」 じゃないかと揶揄された。参議院無派閥の法務大臣秦野 章 (元警視庁総監) も ベタベタの角栄ファンで、田中判決を書きたてるマスコミに対して 「このバカ騒ぎ」 「マスコミその他 寄ってたかってリンチを加えている…」 とか  「政治家に 古典道徳の正直や清潔などという徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれと言うに等しい…」 と 大暴言を放って唖然とさせた。だが 言われてみれば まことにその通りではある。この人物を田中派に数えれば、中曽根内閣は 田中派の大臣が35%を占めていることになり、ロッキード判決を目前にした角栄の ゴリ押しといわれても 頷 (うなず) けられなくも無い。

 但し 後藤田正晴については、中曽根が角栄に請うて 内閣官房長官に拉し来ったものだ。後藤田は 内務省入省が中曽根より2年早く、「クン付けで呼んでいた者の下には就けない」 と固辞したというが 中曽根は 自派に人材無しとして、強引に内閣の要石 (かなめいし) に据えた。後藤田は警察畑の出身、警察庁長官時代は 「あさま山荘事件」 「極左過激派学生のテロ」 「よど号ハイジャック事件」 などに対応し、その辣腕はつとに知られ、また 昭和53年 自民党総裁選挙に際しては、ヘリコプターを駆使しての首都圏ローラー作戦の指揮を取り、大平正芳に勝利をもたらした。その論功行賞で 議員2年生ながら、第2次大平内閣の自治大臣(兼 国家公安委員長・兼 北海道開発庁長官) として初入閣した。行・財政改革や、アメリカ・中国 東南アジア外交に意を用いようと考えていた中曽根にとっては、三顧の礼を尽くしたい存在だったのだ。事実 彼は、3次に亘る首相在任中 様々な局面で、後藤田に輔けられている。

 組閣を完了するや否や、中曽根は矢継ぎ早に動いた。土光臨調の基本答申 (7/30) に沿って 12月7日 「国鉄再建対策推進本部」 を設置、12月22日には 衆議院予算委員会で 「非核3原則の厳守」 を明言、明けて 昭和58年1月12日 韓国・全斗煥大統領を電撃訪問したのである。

 外交オンチだった鈴木善幸は随所でミスティークを犯し、対米・対韓外交は嘗てないほどギクシャクした状況に陥っていた。韓国は日本に対し60億ドルの借款を申し入れていたが 善幸はこれを高額すぎるとして拒否、ソウルは赴いた園田 直 外相が 「借りる側が びた一文負けられぬというのは可笑しい」 と失言して交渉は決裂、日韓間には 教科書問題もくすぶって テンンションが高まっていた。それゆえ 中曽根は首相としての初訪問先に 韓国を選んだのだろう。ソウルに着いた中曽根は、歓迎式典での挨拶を すべて韓国語で述べるというパフォーマンスをみせた。このことは韓国人を驚かせたし 全斗煥大統領との間にも友好的な雰囲気を醸し、結局 借款額は40億ドルで決着 教科書問題にも一定の諒解が成立して、両首脳により 「日韓新時代」 を確認する共同声明を発する成功を挙げた。

 日韓友好関係の構築・防衛費の増額・対米武器技術供与 を手土産に、中曽根は1月17日 当時最悪の状態に立ち至っていたアメリカに向かって出発した。このあたり  曾て 岸 信介が、アイゼンハワー大統領を初訪問するときにとった行動と よく似ている。三角大福の後塵を拝して やっと政権を手にした中曽根が、かねてより 構想していたことだったのだろう。衒 (てら) うこと無き中曽根康弘のパフォーマンスは更に続く。ワシントンに到着するや 新聞記者の質問に答えて 「日本は不沈空母だ」 と称し、翌日 レーガン大統領との会談では 「(千島・津軽・対馬の)3海峡の封鎖も辞せず」 「日米は運命共同体」 と 勇ましい話をブチあげ、とうとう お互いに “ロン” “ヤス” とファーストネームで呼び合う親密な関係を作り上げた。ただ それを喜んでよかったのやら 悪かったのやら、この後 日本は何事につけ アメリカの言いなりになっていくのだが、アメリカ側の姿勢といえば 日米貿易摩擦が激しくなり、円高への強制誘導など 通商・経済面では仮借なき要求を突きつけてきた。

 中曽根康弘は 群馬県の産。高崎市の生家は木材問屋で、使用人の数が 男女合わせて170人になんなんとする豪商だったという。旧制高崎中学→静岡高等学校→東大(旧帝大) 法学部に進み、内務官僚の道を歩んでいるが 学業の成績は優秀とは記されていない。この点 彼より13歳先輩に当たり、高崎中学で神童と呼ばれ 一高→東大法学部を抜群の成績で卒業し、大蔵省に入省した福田赳夫の履歴とは 見劣りがする。敗戦時は 海軍主計少佐だった由。随分 武勇伝(←Wikipedia) が伝わっているが、彼のことだから どこまでがホントの話やら……? もし 興味があるなら、どこかの図書館で 彼の 「回顧録」 でもひもとかれるがよい。

 昭和22年の総選挙に出馬・当選。同期に田中角栄、鈴木善幸(社会党) の名前が見える。中曽根自身は 「われこそ 保守本流」 と思っているふうがあるが、吉田 茂 系でも 岸 信介系列でもなく、強いて言えば 鳩山一郎の流れを汲む河野一郎派の分裂から生じた 傍流を歩いた。若い頃から 「いずれは総理大臣に…」 と広言して憚らず、その分 勉強に励んだようで 膨大な量の大学ノートを残したと聞く。傍流にあっただけに、必ずしも陽の当たる場所で過ごしたわけでもなく 幾度も修羅場を掻い潜って小派閥を維持し、マキャベリスト的な行動も多々あった。

 それは 彼に冠せられた渾名 (あだな) にも表われていた。実際 彼ほど様々な異名を持つものも少ない。最も膾炙 (かいしゃ) したのは、“風見鶏” だろう。屋根の上に立って くるくると回り、常に風の吹く方向に頭を向ける。言葉を変えれば 無定見・無節操の謂いでもある。改進党の若手代議士だったとき 国会で “天皇退位” を主張、答弁に立った吉田首相から 「非国民」 呼ばわりをされたり、鳩山一郎がソ連との間で “戦争状態に終止符” を打ち “シベリア抑留者の帰還" を謳った 「日ソ共同宣言」 に賛意を表わす50分間の演説を行ったものの、内容は 徹底してソ連を誹謗するものだったため 全文を 議事録から削除されるという珍事を招いた。とかく 派手に自己主張するものだから あの松村謙三すらが “緋縅の鎧を着けた若武者” と評したが、作家の平林たい子は "へらへらと燃える カンナ屑のような男” と斬って捨てた。田中角栄に言わせれば、“遠目の富士山 (遠くから見れば美しいが 近寄ればゴミの山)” “出たがりやの婆ぁ芸者” と手厳しい。創価学会の池田大作を “お題目を唱えるヒットラー” に譬えるなど、角栄の寸鉄は人を刺す。

 中曽根は 連続当選20回、半世紀以上にわたる長い政治家生活で 大小様々な、金銭にまつわる涜職・疑獄事件に顔を出してきた。コガネ虫ならぬ 糞転がしだ。最初は 昭和40年の 「九頭龍川ダム事件」 だったか。その後は 「殖産住宅事件 (ある種インサイダー取引だが、静岡高等学校時代の親友 東郷安民を見殺しにして難を免れたという)」 「角栄の総裁選挙で出馬見送り (田中派や対抗福田派から、約7億円のウラ金が…?)」 「ロッキード事件 ()」 「ダグラス・グラマン事件 (岸 信介や福田赳夫らと共に 被疑者に名を連ねたが、検察の追及を逃れた)」 「リクルート事件 (江副浩正により未公開株がバラ撒かれ 中曽根にも渡ったとされたが、結局 側近の藤波孝生が犠牲になった)」

 ロッキード事件は 米議会上院の外交委員会から 火種が飛んできたものだったが、収賄額は5億ドルに過ぎない。日本の検察は 本来、あれほど克明に暴いている立花 隆の 「田中金脈」 をこそ追求すべきであった。角栄が最高権力の座にあるときは 些細な土地取引の捜査でお茶を濁し、首相を辞してから 丸紅だ 全日空だと大騒ぎをした。ところが まったく同様の疑惑がかかった 「ダグラス・グラマン事件」 は、はるかに巨額が動き 防衛庁の戦闘機にかかる贈収賄が取沙汰されたのに、捜査の対象となったのは 仲介業者の "日商岩井" のみ、政府高官 (岸 信介、福田赳夫、中曽根康弘ら) は 事情聴取すら受けることなく見逃され、1人の自殺者を出し 有罪と判決されたのは日商岩井の海部社長ら 数人だけだった。政治家としては 松野頼三(慶応) が5億円の収受を認めたものの、時効が成立しているとして 議員を辞職するに止まった。

 いわゆる55年体制が成立し、自民党が一党独善政治を 恣 (ほしいまま) にしてきた約30年(昭和58年時点で…) 数々の汚職事件が世に問われたが、東大出身の政治家が 検察に尋問され司直に裁かれたという事例は、寡聞にして聴かない。学閥、閨閥無き 田中角栄は、被告人として法廷に引きずり出されたが、岸 信介や中曽根康弘ら 東大学閥に属する政治家と 司法検察 (東大出身者) との間には、かねて ある種の “黙契” でも存在するのではないかと思いたくなる。現に 前述ロッキード事件やその他の事件でも、有罪とされ 灰色と烙印を押された政治家は、橋本登美三郎(早稲田)、佐藤孝行(慶応)、二階堂進(南カリフォルニア大)、佐々木秀世(早稲田)、加藤六月(神戸大)、福永一臣(慶応)、藤波孝生(早稲田)など、地方国立大か私大出身者ばかりなのだ。

 率直に言って私は、中曽根が嫌いである。私も凡俗な人間に過ぎないから、嫌いな政治家が 二人や三人居たって 許されるだろう。佐藤栄作もその一人だった。もう故人だから あまり悪口を言うのは憚られるが、例えば共産党の質疑者に対して 傲慢無礼、木で鼻を括ったような態度で答弁するなど、共産党シンパでもない私でも 腹が立った。一番 大ッ嫌いなのは 小泉純一郎だ。昭和63年 竹下改造内閣の厚生大臣として 記者会見に出てきた小泉を見て、私は 「ナント 骨相の悪い男だ、たぶん ロクでも無い大臣でしかないだろう」 と思ったものだ。「第一印象で 人を評価するナンテ…」 と家人はたしなめるが、これまで私は 人を見てあまり誤ったことが無い。その後10数年経って、首相の座を射止めた小泉は 「自民党をブッ壊す!」 と威勢のいいことを言いながら、日本の社会と国民の生活をズタズタに引き裂いてしまった。ブッシュ大統領に媚び諂い、意固地に靖国神社参拝を繰り返して 東南アジア諸国から顰蹙を買っただけ、なぜ彼が あれほど "郵政民営化” に拘ったのか、ま  これは平成になってからの話である。

 小泉に比べれば、キザが背広を着たような中曽根のほうが  まだしも仕事をしただけマシである。

Photo  5月には ウィリアムズバーグ・サミットに出席した。左の写真に注目願いたい。各国首脳に伍して、中央にレーガン大統領と肩を並べている。主催国の大統領が中央に位置を占めるのは当然だが、新参の日本首相は あらかじめ列の端に予定されていた筈のところ、中曽根は シャッターが押される瞬間を狙って 真ん中にサッと割って入ったのである。その要領のよさは、まさに彼の真骨頂であった。その代わり 会議でも頑張ったらしい。少し長くなるが、その部分をWikipediaから引用する。

引用開始) …話題の中心は、ソ連がヨーロッパで中距離核ミサイルSS20を展開したことに対し、アメリカがパーシングⅡクルーズ・ミサイルを配置するべきか否か、であった。だが 積極的なのはレーガン米大統領と サッチャー英首相のみで、フランスのミッテラン大統領、西ドイツのコール首相、カナダのトルドー首相らは消極的な姿勢をとり、会議は決裂寸前の気配だった。

 そうした状況の中、中曽根は敢然と発言する。「日本は NATOの同盟国ではないし、平和憲法と非核三原則を掲げているから、 従来の方針では こういうときは沈黙するべきである。しかし ここで西側の結束の強さを示して ソ連を交渉の場に引きずり出すために、あえて賛成する。決裂して利益を得るのはソ連だけだ。大切なのは われわれの団結の強さを示すことであり ソ連がSS20を撤去しなければ、予定通りパーシングⅡを展開して一歩も引かないという姿勢を示すことだ。(中略) 私は断言したい。いまや 安全保障は世界的規模 かつ 東西不可分である。(中略) 私はあえて平和のために 政治的危機を賭して、日本の従来の枠から前進させたい。ミッテラン大統領も 私の立場と真情を理解し、同調してほしい」 これを聞いた首脳たちは 沈黙してしまった。間髪を入れずレーガン大統領が、阿吽の呼吸で 「とにかく声明の案文を作ってみる」 と提案して机のベルを押すと、すぐさまシュルツ国務長官が飛んできて、案文の作成に取り掛かった。(引用終了

 おそらく 予め演説の準備をしていたものではなく、中曽根としては 咄嗟の判断だったと思われるが、"風見鶏" の風を読むこと かくの如き場合もあった。

 余談に筆を取られているうちに またしても紙数をとった。まだ土光第2臨調の最終答申をはじめ、書くべき話題を残しているのだが、中曽根内閣は昭和62年まで まだまだ4年も続く。残余は 年を跨いで おいおいに詰めて行きたい。

 4月には 千葉県浦安に東京ディズニーランドがオープンした。初日に2万人の来園客があったというが 人気を呼び、リピーターや外国からの客足が跡絶えることなく 活況を維持している。その後 ディズニーは 香港やパリにも進出したが、日本ほどには成功していないと聞く。私の感想では フロリダ・オーランドのディズニーワールドが白眉だった。“ヤクオ ギャラリー” の 「魔法の王国をゆく(B)」に、その素晴らしさを 豊富な写真入でスケッチした。

同じく4月にスタートした NHKの朝のテレビ小説 「おしん」 が 異常な人気を呼び、9月24日には 最高視聴率62.9%を記録している。山形の寒村に生まれた少女 “おしん” が、様々な辛苦に耐えながら 健気に生きていく一生が描かれ 観るものの涙をさそった。原作は 橋田寿賀子、若者たちも感動し、財界首脳までが “忍耐・努力" の代名詞として用いるなど、世は さながら “おしんドローム” の様相を呈し、世界数十ヶ国で放映された。

 5月26日正午 秋田県沖日本海を震源とする マグニチュード7.7の地震が発生、秋田市、青森県深浦町で 震度5の強震を記録した。直後 東北、北海道、北陸の沿岸に津波が襲来して、大きな被害をもたらした。地震と津波による被害は、秋田、青森両県を中心に 死者104人、負傷者324人、家屋の全半壊5089棟に及んだ。

 7月15日 熊本地裁が 「免田事件」 再審で、免田 栄 死刑囚に 死刑確定後36年目にして 「無罪」 と判決した。四大死刑冤罪事件のひとつである。「Yの昭和史」 では これまで 名古屋の吉田老や、広島・加藤老、「弘前大学教授夫人殺人事件」の那須 隆さん などの冤罪を採りあげたが、こののち紙数が取れるとき 改めて司直のあり方を考えてみたい。

 夏の終わり 「大韓航空機撃墜事件」 が起こった。9月1日午前3時過ぎ、アンカレッジ経由ソウルへ向かっていた 大韓航空007便(ボーイング747型ジャンボ機) が、通常ルートを500kmも西へ逸れてソ連領空を侵犯 サハリン沖 高度10500mで、ソ連戦闘機にミサイルで撃墜された。日本人28人を含む 乗客・乗員269人全員が死亡するという痛ましい事件だった。ソ連は当初 旅客機撃墜の事実を認めなかったが 後藤田官房長官は、日米両国が傍受した ソ連戦闘機の交信記録を証拠に じわじわとソ連政府を追い詰め、終に9日になって ソ連はミサイル攻撃の事実を公表した。しかし 西側諸国の非難に対し 「領空侵犯はスパイ行為」 として、終始 高姿勢を崩さなかった。旅客機の送受信記録やボイスレコーダーなど “ブラックボックス” は深海に沈み 航路逸脱の原因は謎のままである。

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昭和57年 (1982)

【デキゴト】
01・06 韓国で 独立以来36年ぶりに 「夜間外出禁止令」 解除
01・11 NATO外相会議が 対ポーランド経済制裁を宣言
01・13 ワシントン・ポトマック川の橋にボーイング737型機が衝突 78人が死亡
01・16 イギリスとバチカン 1535年以来450年ぶりに外交関係を樹立
01・19 エジプトとイスラエルが シナイ半島返還協定に調印 4/25 全面返還
01・20 井伏鱒二・尾崎一雄・井上 靖・ら 287人の文学者 反核アピール
01・26 東京地裁 ロッキード事件 "全日空ルート” 6被告に猶予つき有罪判決
             若狭得二会長 渡辺尚次元副社長ら……

01・28 自動車工業会 前年日本の自動車生産台数 1118万台で世界一と発表
02・08 東京千代田区 ホテル・ニュージャパン全焼 欠陥防火設備に非難集中
02・09 日航機 羽田空港着陸寸前に "逆噴射"  墜落 24人死亡
                      
2/28  警視庁 異常操縦による事故と断定 機長を精神鑑定に…
02・10 臨時行政調査会 第2次中間答申 (許・認可などの整理合理化)
           7/23 行政事務簡素化法公布 355の法律を改正・廃止

02・13 戒厳令下のポーランド・ボズナニで 学生・市民の軍政反対デモ
03・10 ソ連の無人探査機 「金星13号」 金星に軟着陸 成功
03・14 政府景気テコ入れ策 (公共事業前倒し執行 建設国債の増発など) 決定
03・21 「平和のための広島行動」 国連軍縮特別総会向けアピール 19万人参加
                   5/23 「東京行動」 開催 空前の40万人が参加

03・27 米ワインバーガー国防長官 来日
            日本のシーレーン防衛具体化と 防衛費12%増必要と 指摘

03・29 メキシコ南東部の エル・チチョン火山が大噴火 日本に冷夏をもたらす
03・- 中学・高校の卒業式 全国1528校で学校の要請により警官が立入り警戒
04・01 500円硬貨 発行  新硬貨の発行は15年ぶり
04・01 日本医師会会長に反武見派 花岡堅而 就任 25年間在任の武見は引退
04・02 アルゼンチン 領有権を主張してフォークランド諸島を占領
             5/20  イギリス軍 反撃して同島に上陸作戦を開始
              6/14 アルゼンチン軍降伏 撤退 フォークランド紛争
04・08 最高裁 「第2次家永訴訟」.の2審判決を破棄 東京高裁に差し戻し判決
04・09 西ドイツ各地で 「反核・平和の復活祭行進(~4/12)」  48万人動員
04・15 フランス ミッテラン大統領来日 鈴木首相と会談
          4/16 国会で演説 「仏の核保有は必要不可欠」 と表明

04・17 カナダ建国115年目で 憲法制定公布  カナダ連邦発足
04・22 運輸省が国鉄改革案 (26万人体制・2特殊法人に分割等) 発表
05・06 富士通 「マイ・オアシス」発売 75万円 ワープロ普及開始
06・01 中国 趙紫陽首相来日 目白の田中邸を表敬訪問
06・07 第2回 国連軍縮特別総会 開幕 (~7/10)
                            東西対立のため 「包括的軍縮計画」 合意ならず閉幕
     
6/10  国民運動推進連会議 国連軍縮総会に向けて集めた「反核署名2754万人分」提出
06・08 東京地裁 ロッキード全日空ルート 橋本登美三郎元運輸相らに有罪判決
         判決文に 所謂 「灰色高官(二階堂進・加藤六月ら)」 の名前公表

06・22 米FBI IBM機密情報不法入手容疑で日立製作所・三菱電機社員摘発
06・22 東北新幹線 (大宮~盛岡) 間 営業開始
06・25 文部省 昭和58年度教科書検定を終了
       “侵略 を“進出”と 改めるなど 一段と改訂強化 政府広報誌的に…

06・29 米ソ 戦略兵器削減交渉(START)ジュネーブで 開始
07・01 トヨタ自工とトヨタ自販が合併  トヨタ自動車 が発足
07・09 閣議 次年度予算概算要求枠を5%削減 (初のマイナス・シーリング)
07・23 
政府 国防会議で昭和58~62年度防衛力整備計画を決定
        約16兆円 「国民総生産 (GNP) 1%以内」 の方針 崩れる

07・23 九州北西部・山口県に豪雨 長崎市の死者行方不明299人
07・23 土光臨調会長 政府の米価引き上げに反対  内閣の姿勢 批判
07・26 中国 日本の教科書歴史記述に抗議 南北朝鮮・台湾・マレーシァも…
             8/26 日本 「政府責任で是正」 と表明
07・30 臨調基本答申提出 三公社の分割・民営化 二開発庁の統合を提起
07・31 日本共産党大会 宮本顕治議長 不破哲三委員長らを選出
08・03 韓国政府 日本教科書の「植民地支配」記述に抗議 是正を要求
08・05 広島で原水爆禁止世界大会開催 3万人参加
08・17 老人保健法公布 70歳以上の医療無料制は廃止 一部有料に…
08・24 公職選挙法改正 (参議院全国区に拘束名簿式比例代表制導入) 公布
08・30 日米安保事務レベル協議 米は「3海峡封鎖とシーレーン防衛役割」要請
09・02 国鉄リニアモーターカー 世界初 有人浮上走行に成功 (時速206km)
09・04 沖縄県議会 教科書検定で削除された 沖縄戦での日本軍による
            住民虐殺記述の回復を求める意見書を 採択 政府に要請
09・06 来日中のニクソン米元大統領 田中角栄を訪問
09・16 鈴木善幸首相 財政危機の実情を非常事態として 国民に負担増を要請
09・26 鈴木首相 来日中の中国趙首相に 教科書問題は政府責任で是正約束
10・01 改正商法施工 (総会屋への利益供与禁止・新株引受権付社債の発行)
10・12 鈴木首相 突然の退陣を表明
10・18 東京地検 岡田・三越前社長と懇意だとして
         独占的に商品を納入した竹久みちを 脱税容疑で逮捕

            10/29 警視庁 岡田 茂・三越百貨店前社長を 特別背任容疑で逮捕
11・01 本田技研 アメリカで小型自動車の生産を開始
11・10 ソ連 ブレジネフ書記長死去(75歳) 
11・12 ブレジネフ書記長の後任に アンドロポフ就任
11・12 拘禁中の ポーランド “連帯” ワレサ議長 釈放
11・13 米 対ソ経済制裁措置 解除を発表
11・15 上越新幹線 (大宮~新潟) 営業開始
11・16 鈴木内閣 総辞職
11・24 自民党総裁選挙 1位中曽根 2位河本 3位安倍 4位中川 2位以下辞退
11・27 中曽根康弘内閣成立 法相 秦野 章・蔵相 竹下 登・外相 安倍晋太郎
                  内閣官房長官・後藤田正晴
12・03 首相 所信表明で行政改革・財政の対応力回復 日米信頼関係強化を… 

12・04 アメリカ映画 スピルバーグの 「E.T.] 封切り 大ヒットとなる
12・09 参議院議員 梶原 清 田中派に入会  田中派総勢 110人に…
12・07 中曽根首相 国鉄再建対策推進本部を設置 (臨調答申に反応)
12・04 中国全民代第5回会議 国家憲法採択 (国家主席制・文革の影響払拭)
12・13 国連総会 核の凍結と不使用の両決議案を採択 (英・米・仏は反対)
12・14 全日本民間労組協議会(全民労協)結成 (41単産425万人
12・22 中曽根首相 衆議院予算委員会で 「非核3原則」 の厳守を明言
12・31 
第24回 レコード大賞に山本譲二の 「みちのくひとり旅」 が選ばれる

【世 相】
輸出総額 30年ぶりに対前年比 減少  軽・薄・短・小 コンセプトが売りに…
若者にエアロビクス 年寄りにゲートボール 流行する  日焼けサロン  
スーパー・ダイエー  ハワイ アラモアナのショッピングセンターを買収

【物 価】
国鉄 初乗り運賃・入場券 120円
    上野~青森 7900円 新橋~大阪 6600円 フルムーン・キャンペーン
    青春18 のびのび切符 (普通車・全国乗り放題)   白米10kg 3446円
瓶ビール 265円   かけそば 300円   週刊朝日 220円
大卒初任給 ………………  127,200円
国家公務員初任給 ……… 106,900円

【流行語】
逆噴射   心身症   森林浴   なぜだ!   産業スパイ   酎ハイ
三語族 = ウッソー  ホントー  カワイイー 
       or  ヤダァー  シンジラレナーィ  バッカミタイ
ほとんどビョーキ   ルンルン   ひょうきん   ねくら ・ ねあか   イマい

【新製品】
ラ ジ カ セ      ザ・サード RX‐C60    松下電器     市中価格
ワ ー プ ロ      マイ・オアシス       富 士 通    750,000円
ス テ レ オ    コンパクトコンポ ROXY7   ケンウッド    139,800円
パ ソ コ ン        PC‐9801        日本電気     298,000円
パ ソ コ ン        AS‐100S         キ ャ ノ ン     700.000円
パ ソ コ ン      パソコンテレビ       シ ャ ー プ     268,000円
腕 時 計   シチズン・プロバイダーDVA55‐0033   シ チ ズ ン    180,000円
自 動 車       ス タ リ オ ン       三菱自動車   2,735,000円
自 動 車        マーチ K10       日産自動車    860,000円
CDプレーヤー     CDP‐101        ソ ニ ー      168,000円
無印良品 …… 西友ストア

【ベストセラー】
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【流行歌】
北   酒   場        作詞・なかにし礼  作曲・中村泰士   歌手・細川たかし
三 年 目 の 浮 気         作詞・作曲 佐々木 勉       歌手・ヒロシ&キーボー 
さ ざ ん か の 宿       作詞・吉岡 治   作曲・市川昭介   歌手・大川栄策
マドンナたちのララバイ    作詞・山川啓介   作曲・大森敏之   歌手・岩崎宏美
渚 の バ ル コ ニ ー     作詞・松本 隆   作曲・呉田軽穂   歌手・松田聖子

【野 球】
プ ロ 野 球    優 勝   セ・リーグ = 中 日    パ・リーグ = 西 武
           第33回 日本シリーズ  優 勝 = 西 武  4勝 2敗
  ロッテの落合博満選手 三冠王を獲得
第54回 選抜高等学校野球大会      大阪・PL学園 15-2 二松学舎大付属・東京
第64回 全国高等学校野球選手権大会    徳島・
池田  12-2  広島商・広島

【邦 画】
蒲 田 行 進 曲     深作欣二監督  風間杜夫 松坂慶子 平田 満 ら
転  校  生       大林宣彦監督  小林聡美 佐藤 允 尾美としのり
疑   惑        野村芳太郎監督  桃井かおり 岩下志麻 柄本 明
遠 野 物 語      村野鐵太郎監督  仲代達矢 江波杏子 隆 大介 ら
生きてゐる小平次   中川信夫監督  藤間文彦 宮下順子 ら
誘 拐 報 道       伊藤俊也監督  萩原健一 小柳ルミ子 丹波哲郎

【洋 画】
E.  T.  ()   スティーブン・スピルバーグ監督  ヘンリー・トーマス ディ・ウォーレス
黄   昏 ()   マーク・ライデル監督  ヘンリー・フォンダ キャサリーン・ヘプバーン
炎のランナー ()   ヒュー・ハドソン監督  ベン・クロン  イアン・チャールソン
愛と青春の旅立ち () ティラー・ハックスフォード監督 リチャード・ギア デブラ・ウィンガー
レ ッ ズ  ()   ウォーレン・ビーティ監督  ウォーレン・ビーティ  ダイアン・キートン
フランス軍中尉の女 () カレル・ライス監督  メリル・ストリーブ ジェレミー・アイアン

【この年】
 権謀術数の限りを尽くした石田博英が、合従連衡で 石橋湛山を自由民主党の総裁に据え、第55代内閣を組閣したのは 昭和31年12月だったが、その石橋が病を得て 在職わずか65日 後事を 岸 信介に託した。直前 石橋と熾烈な総裁選を戦った岸は、石橋内閣の副総理格 外務大臣であったから 「よしきた!」 といったところで、総理大臣たるの心構えは十分に具わっていた。事実 彼は 周到な布石を打ちながら 米大統領アイゼンハワーと交誼 (
よしみ) を通じ、3年後には 「´60年 日米安全保障条約の改訂」 を為し遂げた。いささか趣きは異なるものの 棚からボタ餅のように、予期せぬ 「政権」 が転がり込んできた鈴木善幸は びっくりしただろう。だから とても、「よしきた…」 という心境にはなれなかった。

 政権とは奪い取るものである。鳩山一郎の執念的 "吉田 茂の引き摺り下ろし"、池田勇人に嫉妬した佐藤栄作の “禅譲要求"、田中角栄が "既成権力構造" のシンボル的存在 福田赳夫に挑んで展開した 壮絶な角逐・死闘、三木おろしに共同しながらも 忽ち “四十日抗争" を繰り拡げ、剰 (あまっさ)え 野党が提出した不信任案に便乗してまで 政敵 (大平) を追い込み憤死させた福田と三木…。戦後の自由民主党史を彩った政治家たちの 「政権争奪」 をめぐる相克は、凄まじいものがあった。佐藤長期政権のあと 自民党を支えて拮抗していた実力者を指して “三・角・大・福 と 称したものだが、田中角栄をはじめ 三木武夫、福田赳夫、そして大平正芳も、数々の政治ドラマの中で 既にいったんは主役の座に就き、さらに 「あわよくば 再び…」 と 虎視眈々 (こしたんたん) とした風があった。

 「君は 座死するつもりかッ!」 と 角栄の激を受け、再度 議会の解散に踏み切った大平は 過労が因で心筋梗塞に斃れ、自らの死を以って購 (あがな) ったかのごとく 衆・参両院選挙で自民党に大捷をもたらした。その結果を前にしては 次なる首班も 引き続き大平派から出すこととなる。裏方として選挙に関わってきた鈴木善幸は、大平の後継に宮沢喜一を推そうとしたのだが、田中角栄は首をタテに振らず、ほかに何人かの候補が取沙汰されたものの、結局 お鉢が善幸に回ってきたのである。

 いやしくも 一国の総理大臣たるものには、相応の見識・経綸がなければならないが、善幸は端 (はな) から 自らにその器量なしと告白して総裁職を受けたのだから、何をかいわんやである。財政緊縮のためと称し 防衛費の削減をもくろんで カーター政権からブーイングを浴び、いっぽう 自動車など対米輸出の増大でアメリカ議会を刺激、厳しい貿易交渉で自主規制を強いられた。文部省の教科書検定で  歴史記述に反動的改訂がなされ、中国、韓国、東南アジア諸国、沖縄県の人たちからの抗議が相次ぎ、政府は対応に忙殺されたが 終始受身に回っている。善幸が首相に就任した昭和55年7月から 56年、57年の 【デキゴト】 を振り返ってみても、青色で示した 政治・経済・国際 にかかる表記には 政府の主体的、積極的な行動は、殆ど見受けられない。強いて言えば 唯一 善幸の業績と見做されている 「第2次臨時行政調査会 (56年3月設置)」 ぐらいなものだが、これとて鈴木善幸自身の発案だったか、それとも 行政管理庁長官 中曽根康弘の入れ知恵なのか…? 「第2臨調」 については、項を改めて詳しく述べたい。

 もう少し 鈴木内閣発足当時の事情について触れる。野党提出の大平内閣不信任案に、同調も同然の行動をとった 党内反主流 福田・三木派は、資金的にも苦しく抗争に倦み疲れていたが、中曽根康弘は侮れぬ存在になっていた。更に 3桁の勢力を保持する田中角栄が 隠然と目白御殿から睨みを利かせ、事あれば "第3次 角福戦争" も辞せぬ構えだったから、ボタ餅が咽 (のど) につかえて目を白黒させながらも 善幸が、 聖徳太子よろしく 「和を以って 貴しとなす」 と 党内を誘導したことは、ひとまず 正鵠を射たものと言える。

 ただ  “和” からエネルギーは生じない。後日の話だが 平成の時代に入り、かつて 「政権」 の争奪に死闘を繰り拡げた 三・角・大・福 が過去の人物となって、中曽根 → 竹下 → 宇野 と 政権たらい回しが始まってから以後は、 おしなべて世襲の政治家が劣化して小粒になり 政治の活力は萎えてしまった。和を唱えた本人が そのことを意図したとは思えないが、現在の政治衰退に至る嚆矢は 善幸が放ったといえなくもない。( ←… 余談

 とはいえ 政治は日々動いていき、刻々迫ってくるタイムスケジュールをこなしていかなければならない。内閣を構成する顔ぶれは、政策の百貨店と呼号した田中派の面々をはじめ  錚々たる実務家が揃っていたが、彼らが善幸に忠勤を励んだか といえば 必ずしも然らず、首相としての 彼のお手並み拝見といった姿勢。官房長官の宮沢喜一は 大平派内でも一格上の立場、もともと評論家的人物だったから 善幸に寄り添い くつわを取ってくれるわけでもない。せいぜい閣議の取り纏め役だ。大平に犬馬の労をとった伊藤正義は 例の ”軍事同盟" 問題で善幸に見切りをつけ 早々と閣外に去っていた。

 推測だが、結局 鈴木首相の日常を差配し 支えたのは、官僚だったと思う。事務方の官房副長官は 翁久次郎、閣議前日の 事務次官会議で政策はすべてコントロールできる。彼は厚生省の出身であるが、あるいは善幸が厚生大臣時代の知己かも知れない。もう一人 内閣一覧によれば総理府官房長官に菅野弘夫とある。両者の役割分担は判らないが、連携して 善幸の背後から糸を操り、日程を調整し、プロンプターを務めていたのではないか。

 昭和57年7月 第2臨調が 「基本答申(国鉄・電電・専売 等の分割民営化、行政の簡素化)」 を出す前に、土光会長は 米価の値上げに反対、政府の行革姿勢に強い怒りを投げつけた。総裁任期が近づいた10月はじめ 福田元首相が 「鈴木内閣は 国民の信頼に欠ける」 と発言、河本派 中川派もこれに同調した。かつては党内調整に長じていた善幸も、表に立って 財政改革・行政改革に采配を振るのは荷が重かった。善幸は10月12日 突然に退陣を表明して周囲を驚かせたが、記者会見で彼はこう述べている。

 「自分が (次期)総裁の座を競いながら 党内の融和を説いても、どうも説得力がないのではないかと……。この際 退陣を明確にし、人心を一新して 新総裁のもとに党風の刷新を図り、真の挙党体制を作りたい」 と。

 彼が総裁再選を諦めたのは、依然 水面下で続いていた 角福怨念闘争に嫌気が差したのかも知れない。それゆえ 又候(またぞろ) "和" のお題目を唱えようとしたとも思える。だが いっときの宥和は、争いに水を差すかも知れないが、政治の場に緊張が消滅すれば その陰から顔を覗かせるのは、"惰性" と "馴れ合い" である。重ねて言うが、政治権力とは 死を賭してでも闘って奪い取るものなのである。

 鈴木善幸引退表明のあと 自民党では後継の調整がつかず、中曽根康弘、河本敏夫、安倍晋太郎、中川一郎が総裁の椅子を争ったが、中曽根が1位になったので 2位以下は本選挙を辞退した。

Photo  左の図表をクリックしていただきたい。鈴木善幸を中心とした家系図が拡大する。善幸は 岩手県釜石近くの漁港で アワビ・スルメ漁と水産加工業を営む 網元に生まれた。水産学校を卒業して地元の漁業組合に勤務するうちに 些か左傾活動にかかわり、30歳代で社会党から出馬 衆議院議員になったが、吉田 茂の民主自由党に鞍替え 宏池会の一員に加わった。もっぱら 地味に党務裏方に励むごく平凡な代議士だったが、年季を重ねるうちに 郵政大臣や厚生大臣に起用されたこともあった。性分は調整役に向き 党総務部長を10期も務めている。田中角栄は水呑み百姓 馬喰を父に持ち 苦学して土建業から叩き上がったが、善幸もまた一介の水産技師に過ぎないため  政界に在っては知己縁故に乏しく、コンプレックスを抱いたこともあったという。

 その為か 一男三女の父親として 子供たちの良縁を願っていたが、あるとき同じ宏池会に属する 福岡県田川選出の田中六助が、やや婚期を逸していた善幸の三女千賀子と 九州麻生財閥の御曹司太郎との縁談を持ち込んできた。善幸に否やのある筈はない。仲人は 桜田武元経団連名誉会長、岩手県と福岡県、縁は異なものである。

 更に 善幸の長男俊一が トーメン・パリ社長 堤 平五の娘 敦子を娶った。平五の細君 京子は 元鉄道大臣小川平吉の孫だが、これで善幸は小川一族を通じて宮沢喜一と繋がった。麻生太郎の母方の祖父は吉田 茂、その娘桜子 (つまり太郎の叔母) は 外交官吉田 寛と結婚しており 寛は 岸信介・佐藤栄作の従兄に当たる。その後 麻生太郎の妹 信子が 髭の殿下 (三笠宮) 寛人親王に嫁したから、何と 鈴木善幸家は皇室にまで繋がってしまった。ご覧の家系図は 削りに削って作成したものだが、この一図内だけでも 元・現含めて4人の総理大臣の名前が見える。鈴木家の家柄がどうであったかは判らないが、名も知れぬ網元の小倅が、一代にして かくも華麗な閨閥を築き上げた。善幸は ある意味好運な人物ではある。

 昭和57年の 【デキゴト】 のトップに 「韓国で独立以来36年ぶりに “夜間外出禁止令” 解除」 とあって、へぇーッ そんなことが? と思った。独立当時といえば李承晩大統領の頃である。韓国を支配してきた日本の勢力が去り、「朝鮮戦争」 が 国土の南北を引き裂いて 治安も秩序も壊滅させた上、軍事政権が長く続いたことを考えれば、或いは 然()も…と 推測できぬものでもなかったが 調べてみた。´80年(昭和55年) に 朴正熙大統領が暗殺されて 全斗煥大統領の第5共和国政府になっていたが、朴事件で全斗煥自身が敷いた非常戒厳令拡大措置を収束するに当たり、四半世紀以上も続いていた 独立当時の 「夜間外出禁止令(午前0時~4時)」 を解いたのである。

 併せて驚いたのは、台湾ででも ´47年(昭和22年) 本土から移ってきた国民党 (蒋介石) 軍が、同胞である台湾人に対して起こした白色テロ “2・28 大虐殺" 時に発した戒厳令が、´87年(昭和62年) まで40年間も続き 台湾社会に重圧を加えていたことを知った。 両国とも 日本が植民地として統治していた地域であり、戦後 日本人同様 いや遥かそれ以上に、苦難が継続していたことに黯然 (あんぜん) とした。

 2月8日朝、羽田空港沖で着陸態勢に入った 福岡発JAL350便 DC‐8型機が失速し 滑走路手前の海上に墜落、乗客・乗務員 28人が死亡 149人が重軽傷を負う事故が発生した。原因は 心身症の病歴を持つ機長が、突然エンジンを逆噴射させるという 異常な操縦をしたためであった。警視庁は 機長の責任を追及しようとしたが、精神鑑定の結果 事故当時 “心神喪失状態” であったとして不起訴になった。あとには 「心身症」 「逆噴射」 という言葉だけが 流行語になったものだ。

 老舗百貨店でも 経営管理が疎かになれば、内部に膿が溜まるという事例が曝露 (ばくろ) された。 百貨店の王者 「三越」 日本橋本店で開催した “古代ペルシャ秘宝展” の展示物47点が 殆どニセ物であることが発覚、ワンマンといわれた三越・岡田 茂社長が 愛人竹久みちと組んで 乱脈な経営を行ない、私腹を肥やしていたというのだ。ペルシャ展のニセ物も竹久が持ち込んだものであり、そのほかにも 衣料・貴金属が大量に納入され 不良在庫の山が出来ていた。役員たちも危機感を抱き 9月の取締役会で劇的な社長解任を決定したのだが、その時 岡田社長が発したのが 「なぜだッ!」 という言葉だった。岡田社長は10月 特別背任容疑で、竹久は脱税容疑で逮捕された。

 東北新幹線 大宮~盛岡間 (465.6km) が 6月23日に、上越新幹線 大宮~新潟間 (270km) が 11月15日に、営業を開始した。角栄の得意や思うべしである。彼が ロッキード事件で逮捕・保釈された翌年 52年の正月こそ、角栄邸はひっそりとして 秘書と将棋をさして過ごしたというが、53年からは 年賀客が旧に倍して増え続け この年元旦の客は千人を超え、目白御殿の門前 市をなした。年賀客だけではない。前年のキッシンジャーに続いて 9月にはニクソン元大統領が田中邸を訪れた。中国の要人も 角栄を “井戸を掘った人” として 来日の度に表敬し、57年は趙紫陽首相が訪問している。だが ロッキード事件にかかる裁判は、じりじりと進行しており  元運輸大臣 橋本登美三郎や 元運輸政務次官 佐藤孝行に一審有罪判決が下され、包囲網が縮まった。

 この年は 大物俳優が物故した。2月11日 志村 喬 75歳 (生きる、七人の侍)、2月13日 江里チエミ 45歳 (テネシーワルツ)、8月12日 ヘンリー・フォンダ 77歳 (荒野の決闘、黄昏)、8月22日 佐分利信 73歳 (慟哭、お茶漬けの味)、8月29日 イングリッド・バーグマン 67歳 (誰がために鐘は鳴る、イタリア旅行)、9月14日 グレース・ケリー 52歳 (喝采、真昼の決闘、 モナコ王妃)…らである。それぞれ 生前の画面を想い しばし感慨に耽った。合掌。

 11月27日 第1次 中曽根康弘内閣が発足した。

2050年の世界地図に 日本は存在するか

 私は 「Yの昭和史」 で、自らの “来しかた” を振り返る作業を続けていますが、原則として  現在の政治には口を差し挟まずに参りました。けれども 長い自民党独善政権の有り様には  我慢ならぬものを覚え、官僚主導に堕してしまった 世襲議員の脆弱・無能に任せていては崩壊の淵に追いやられてしまって、大袈裟かも知れませんが、世紀半ばともなれば わが国が 果たして 「世界地図の上に存在」 するかどうか、おぼつかぬ思いに駆られます。

 現状は、あまりにも 酷(ひど)すぎます。

 そんな思いで、 柄にもなく 書き殴ってみたのが、「2050年の世界地図に 日本は存在するか ① ② ③ ④ ⑤ 」 です。 ① と ② は 世襲議員の野放図・無責任、③ ④ は官僚政治の狡猾と その危険性について触れ、⑤ は 素人考えながら 対処策じみた所感を申し述べました。(文章は 些か長くなりましたが……)

 自民党が いかに引き伸ばしを図ろうと、来るべき総選挙で 国会議員の世襲問題がまな板に載ることは間違いないでしょう。 官僚 (司直を含む) が 政権交代に悪辣な抵抗を始めていること、本来 木鐸を鳴らすべき立場のジャーナリズムが 去勢され 劣化してしまっているだけに、せめてブログの上ででも 憂いを共有し、あるべき国家像を思い描いていただきたいと 希(こいねが) っています。

                                 奥 山   和

 

  
















         

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