昭和56年 (1981)
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【デキゴト】
01・01 ギリシャ ECの第2次拡大に加盟 (10番目)
01・09 東北地方日本海側で豪雪 多くの被害 死者・行方不明115人に…
01・11 環境庁 国際保護鳥“トキ”の人工増殖作戦開始 佐渡で5羽を捕獲
01・13 工業技術院 電子技術総合研究所 超伝導素子 SSDを開発
01・17 動力炉・核燃料開発事業団 東海村再処理工場の本格操業開始
01・20 レーガン米大統領就任 共和党政権発足
01・20 イラン 444日ぶりに アメリカ大使館人質を解放
01・25 中国 4人組裁判で 江青らに死刑判決 ´83・1/25 無期懲役に減刑
01・30 日産自動車 イギリスで乗用車生産を発表 (欧州に初の工場進出)
02・11 市川房江女史 過労による心筋梗塞で死去(87歳) 第二院クラブ創設
02・12 東京・中野区で 初の教育委員準公選 郵便投票開始 投票率 43%
02・14 新疆ウィグル自治区の楼蘭遺跡から 3800年前の少女ミイラ発掘
02・17 EC外相理事会 対日貿易摩擦対策で輸入監視制度 導入を声明
02・18 米レーガン大統領 経済再建計画を発表 (新自由主義・レーガノミックス)
02・23 ローマ法王 ヨハネ・パウロ2世来日 2/24 天皇と会見
2/25 広島で平和アピール発表 2/26 長崎を訪問
02・23 スペイン 治安警察過激派がクーデター 国会議事堂占拠 後 失敗
03・02 中国残留日本人孤児一行 初めて正式に来日
肉親探し (~3/16) 47人中 26人の身元が判明
03・05 自民党 衆議院予算委員会で ´81年度予算案を単独強行採決(29年ぶり)
03・11 国鉄 経営再建促進特別措置法施工令を公布
赤字ローカル線 77路線の廃止を決定
03・16 第2次臨時行政調査会 「第2時臨調 = 会長 土光敏夫)」 初会合
03・20 衆議院本会議で 「武器輸出3原則」 を再確認
03・20 神戸ポートアイランド博覧会 “ポートピア´81” 開幕 (~9/15)
04・09 鹿児島県沖 貨物船日昇丸 米原潜に当て逃げされ沈没 (原潜救助作業放棄)
04・14 スペースシャトル「コロンビア」 地球を36周回して無事 帰還
04・18 敦賀原子力発電所で放射能漏れ 再び発見 会社の秘匿体質 問題化
04・22 マザー・テレサ来日 28日離日まで各地で講演 大きな感銘を残す
05・01 対米 乗用車輸出自主規制で合意 (´81年度は168万台に制限)
05・04 鈴木首相訪米 ワシントンでレーガン大統領と会談
5/8 共同声明発表 「同盟関係」 シーレーン1000海里防衛を表明
05・10 仏 社会党候補ミッテラン 大統領に当選 6/21 仏総選挙 社会党圧勝
05・12 首相 日米共同声明の作成経過に不満 5/16 伊東外相 抗議辞任
05・16 中国・ベトナム国境で 大規模な軍事衝突 ベトナム兵150人戦死
05・17 ライシャワー元駐日大使 核積載米艦船の日本寄港 事実と証言
60年安保当時から口頭了解が存在 非核三原則論議が拡大
05・30 バングラデシュ 軍部左派がクーデター ジァウル・ラーマン大統領暗殺
06・05 衆議院外務委員会 核軍縮決議を採択 非核3原則を再確認
06・07 第4回科学者京都会議 湯川秀樹 中野好夫ら26人「核廃絶」訴える
06・07 イスラエル空軍機 イラク・バグダッド近郊の原子炉を爆撃
06・21 ポーランドのレフ・ワレサ “連帯”議長ら 総評の招きで来日
06・27 中国共産党 胡耀邦の主席昇格を決定 文化大革命を総括 否定
07・03 ニューヨーク・タイムズ 同性愛者に原因不明の癌…エイズの発見
07・20 第7回 先進7カ国 サミット カナダ・オタワで開催 ソ連の脅威論議
07・24 来日のキッシンジャー米元国務長官 目白の田中角栄邸を訪問
08・14 中央薬事審議会 “丸山ワクチン”の現段階承認は不適当と答申
08・15 鈴木内閣の全閣僚 そろって靖国神社 参拝
08・20 日韓外相会議 韓国側 日本政府に対し総額60億ドルの借款を要請
9/10 日韓定期国領会議で 上記 韓国の借款要求を正式に拒否
08・22 台湾でボーイング737型旅客機が墜落 作家 向田邦子(51歳)死亡
09・05 三和銀行女子行員 オンラインシステム悪用して1億3千万円を詐取
09・21 日本電気 国産初の10万円をきるパソコン PC‐6001を発売
09・27 フランス国鉄の新幹線 TGVがパリ~リヨン間で営業運転開始
10・01 前出の“丸山ワクチン” 有償治験薬として認可
10・06 エジプト サダト大統領 イスラム原理主義者により暗殺 (62歳)
10・10 西独ボンで中距離核ミサイル配備反対デモ 25~30万人が参加
この年 ヨーロッパ各地で 大規模な反核デモが広がる
10・16 北海道・北炭夕張新鉱坑内で ガス突出事故 93人死亡
10/23 鉱内火災発生のため 坑内に遺体を残して注水
10・19 京大福井謙一博士 フロンティア電子理論によりノーベル物理学賞 決定
10・28 ロッキード・丸紅ルート 角栄の元秘書榎本敏夫被告の前妻
5億円の授受を認める衝撃的 証言 「ハチの一刺し」
11・03 8年ぶり 海上自衛隊の観艦式 艦艇・45隻 航空機・55機が参加
11・05 ロッキード事件 東京地裁 小佐野賢治に偽証罪で懲役1年を判決
11・13 沖縄本島北部の森林で発見した 新種の鳥を 山階鳥類研究所が
「ヤンバルクイナ(学名ラルス・オキナワエ)」 と命名
11・18 ロサンゼルスで 三浦和義と妻が銃撃を受ける (ロス保険金疑惑)
11・30 鈴木首相 内閣を改造 自民党幹事長に灰色高官 二階堂 進
11・30 政府は租税特別措置の見直しなど 事実上の増税を指示 財界反発
12・11 三代目の南極観測船 “しらせ” 進水
12・13 ポーランドで戒厳令 「連帯」が弾圧され ワレサは軟禁される
12・15 北炭 夕張炭鉱 負債総額721億円で倒産
12・31 寺尾 聡 の「ルビーの指輪」 第23回レコード大賞に…
● 日本人の死因 第1位 = 癌 (昭和26年以来の 脳卒中 を抜く)
● ロッキード裁判 進行 ● 電話の加入者 4000万を突破
● 宅急便が 郵便小包取扱量を抜く ● 雑誌の総売上が書籍を抜く
● 国鉄 ディスカバー・ジャパン “いい旅チャレンジ20000km”
【物 価】
郵便料金:封書 60円 はがき 30円 更に 40円
国鉄最低料金 110円 上野~青森 7400円 新橋~大阪 6200円
瓶ビール 260円 かけそば 300円 白米(10kg) 3321円
大卒男子 初任給 120,822円 国家公務員初任給 106,900円
都市サラリーマン月額実収入 370,437円
【流行語】
なめネコ ノーパン喫茶 人寄せパンダ ハチの一刺し クリスタル族
ベンチがアホやから 野球がでけへん よろしいんじゃないですか
粗大ゴミ 濡れ落ち葉 俺もオレも めちゃんこ 軽薄短小 談合
ウッソー ホントー カワユーイ ぶりっ子 金ブーム
【新製品】
ディスクプレーヤー レザーLD‐1000 パイオニア 226,000円
ステレオ コンポ F‐780 A‐980 GT‐970 パイオニア 254,600円
ステレオ オートディスク VZ‐V3 シャープ 150,000円
カ メ ラ ペンタックス ME‐F 旭工学工業 75,000円
オーディオ ウォークマン WM‐2 ソ ニ ー 32,000円
パソコン FUJITSU MICRO8 富 士 通 218,000円
パソコン PC‐8801 日本電気 228,000円
パソコン PC‐6001(パピコン) 日本電気 89,800円
記録メディア 35型フロッピーディスク ソ ニ ー ?
自動車 スカイライン 2000GT 日 産 不 詳
自動車 ソ ア ラ ト ヨ タ 2,667,000円
【ベストセラー】
窓 ぎ わ の ト ッ トち ゃ ん 黒 柳 徹 子 講 談 社
人 間 万 事 塞 翁 が 丙 午 青 島 幸 男 新 潮 社
私 家 版 日 本 語 文 法 井 上 ひ さ し 新 潮 社
十 万 分 の 一 の 偶 然 松 本 清 張 文 芸 春 秋
しかり方の上手な親 下手な親 田 中 澄 江 青春出版社
【流行歌】
他 人 酒 作詞・作曲 遠藤 実 歌手・渥美二郎
ル ビ ー の 指 輪 作詞・松本 隆 作曲・寺尾 聡 歌手・寺尾 聡
街 角 ト ワ イ ラ イ ト 作詞・湯川れい子 作曲・井上大輔 歌手・シャネルズ
もしもピアノが弾けたなら 作詞・阿久 悠 作曲・坂田真一 歌手・西田敏行
恋 人 よ 作詞・作曲 五輪真弓 歌手・五輪真弓
【野 球】
プ ロ 野 球 優 勝 セ・リーグ = 巨 人 パ・リーグ = 日本ハム
日本シリーズ 優 勝 巨 人 ……… 4勝 2敗
第53回 選抜高等学校野球大会 大阪・PL学園 2-1 因幡・千葉
第63回 全国高等学校野球選手権大会 兵庫・報徳学園 2-0 京都商・京都
【邦 画】
泥 の 河 小栗康平監督 田村高廣 加賀まり子 芦屋雁之助
陽 炎 座 鈴木清順監督 松田優作 大楠道代 加賀まり子
駅(STATION) 降旗康男監督 高倉 健 倍賞千恵子 いしだあゆみ
幸 福 市川 崑 監督 水谷 豊 永島敏行 谷 啓
ええじゃないか 今村昌平感得 緒形 拳 桃井かおり 草刈正雄
【洋 画】
普 通 の 人 々 ロバート・レッドフォード監督 ドナルド・サザーランド ティモシー・ハットン
レイジング・ブル マーティン・スコセッシ監督 ロバート・デ・ニーロ ジョー・ベン
レイダース 失われたアーク スティーブン・スピルバーグ監督 ハリソン。フォード
グ ロ リ ア ジョン・カサヴェテス監督 ジーナ・ローランズ ジョン・アダムス
エレファント・マン デヴィッド・リンチ監督 ジョン・ハート アンソニー・ホプキンス
【この年】
1981(昭和56)年 1月20日 アメリカ第40代大統領に、ロナルド・ウィルソン・レーガンが 就任した。その2年前には イギリスに、初の女性首相マーガレット・サッチャーが登場している。’80年代を通して 米英両国に2人の超保守主義者の首脳が出現し、オイルショックのダメージを受けて スタグフレーションの進行に悩む世界経済に、新自由主義経済と サプライサイド経済学を基調とする経済政策 すなわち 「レーガノミクス」 と 「サッチャリズム」 を唱え、新思潮を打ち出したことは、不況とインフレの同時進行にあえいでいた各国にも (その当否は別として…)、大きな影響を及ぼした。
世界恐慌に対応して 20世紀前半 「ニューディール」 を推進したルーズベルト大統領の治績以来、経済政策の主流に立っていた ケインズ経済学のアンチ・テーゼとして出現していた ミルトン・フリードマンらシカゴ学派の学説が採り入れられるようになり、21世紀に入ってからも猶、世界の経済・社会生活に累及 (るいきゅう)した潮流について、私は経済に無知ながら 別に一章を設けたいと考えているが、奇しくもこの時期に サッチャーとレーガンが、世界政治に揃い踏みすることになったことを、この際 記憶にとどめておきたい。
レーガン大統領はアナウンサー・映画俳優の履歴を持ち、悪名高いマッカーシー上院議員の “赤狩り” にも協力した。カリフォルニア州知事時代には、「バイクに乗るものは その行為に危険性を承知している筈だから、ヘルメットの着用は自己責任…」 として 「ヘルメット着用義務州法」 を破棄するなど “自由主義者” の顔を見せている。また大統領選挙中、カーター政権下で起きた イランの “アメリカ大使館人質事件” について、レーガン陣営は イランと秘密裏に選挙戦終了まで人質拘束の継続を取引契約、レーガン大統領就任の当日に 444日ぶりの “人質解放” を演出した。レーガンは快活で弁舌もさわやか ウィットに富んだ演技力はアメリカ国民を魅了したが、と同時に 彼の持つ陰険な策士の翳が一部に懸念された(←外電)。
話題を日本政界に移し、時計の針を 昭和55年 大平内閣不信任成立のころに合わせる。当時は 大平・田中派主流と福田・三木派らがガチンコに対立し 党の分裂寸前に至っていたのだが、謂わば 大平正芳が自らの死をもってあがなったような 衆参両院選挙の圧勝により、背後の角栄の押しも手伝って 鈴木善幸が大平政権を継承した。善幸本人も 些か驚いたか、7月15日の自民党両院議員総会で総裁に選出されたときは、「もとより私は 総裁としての力量に欠けることを十分理解している。しかし 選考の本旨に思いを致し、その大役を受ける決意をした」 と 異例の挨拶を行なった。そして後刻 くつろいだ場では 「カネを一銭も使わずに総裁になったのは 僕が初めてじゃないか…」 と笑ったという。
ハプニング解散までもつれ込んだ党内派閥抗争が、大平の死去に奮起、一転して弔い合戦という 日本的結束を招来、初の衆参同日選挙に大捷を博するというサプライズを呼んで 国際的に無名の総理大臣を生んだ。当然海外では 「ゼンコー フー (Zenkoh who) ?」 という声が上がった。鈴木善幸は大平外交路線を踏襲し、最初は東南アジア諸国に赴き 昭和56年5月訪米して、レーガン大統領と “日米同盟関係・シーレーン1000海里防衛” を盛り込んだ 「共同声明」 を発表した。その後 '82(昭和57)年 ヴェルサイユ・サミット前に 参加国首脳を歴訪しているが、これは こののち外交に慣れない首相が就任するたびに、参加国に顔見世訪問する先例となった。
昭和56年に訪米した折 共同声明の中に 「日米の同盟関係……云々」 とあった表現にひっかかり、記者会見で 「日米安全保障条約」 を 「軍事同盟ではない」 と発言した。個人的なハト派的感覚が 然らしめたのかも知れないが、“外交オンチ” と言うほかなく 伊東正義外相は抗議 辞任してしまった。
硬骨漢 伊東正義について付言する。東大法学部卒業ののち農務省に入り、戦時中 “興亜院” に出向していたとき 大平正芳と無二の親友となった。戦後 中国大陸から引き揚げるが 住居は空襲で消失しており、しばらくは大平宅に仮寓していたという。農林事務次官当時は 農相河野一郎に臆するところなく遣り合って、河野から政治家向きと評価され 誘われたが、政界では “宏池会” に加わり 大平に兄事した。大平の急逝に際しては 官房長官の立場で臨時首相に就き、内閣を律儀に取り仕切った上 大平の葬儀を見事にこなした。後年 リクルート事件で竹下首相が退陣したあと 後継総裁に推され 「本の表紙を替えても 中身を変えなければダメだ」 と 断固拒否したエピソードは有名である。
国内的な政策としては 財政再建が課題であった。第1次オイルショックの際 日本は猛烈な物価騰貴に見舞われたが、製造業を中心に技術革新が進み 重点的投資が行われて 国土のインフラや 産業の基盤が充実した。その結果 景気はそれほど低迷することなく、欧米諸国に比べてスタグフレーションは深刻ではなかったものの、田中内閣以来続いた 公共事業を含む大型予算編成と、それに伴う 国債残高の急増で 債務償還と利払いが財政を圧迫、無視できないまでになっていたのだ。政府が取った緊縮政策と 民間の自動車や電気機器の輸出ドライブは カーター政権からブーイングを受け、ヨーロッパでは対日貿易摩擦対策として輸入監視制度が導入されたりした。アメリカ上院議員が 日本車を叩き壊している映像を、テレビがセンセーショナルに放映したのもこの頃だ。
実際 日本産業の基礎的実力は、´70年代から ´80年代にかけて着実に進歩・伸張していた。高速道路網は全国の主要都市をつなぎ、大量輸送はヒトもモノも鉄道から自動車に移行、電話回線も直通で日本中にいきわたり 加入者数は4000万にも達していた。都市部では 集合住宅も団地型から 瀟洒な高層マンションへと変化、ファストフードやコンビニエンスストアの出店が増加した。大量販売の時代は終わり 個々人の嗜好で商品が生み出され 個人の好みで社会生活が動いていく 「個別化」 「差別化」 の始まりである。【この年】 の 「新製品」 欄をもういちど見直していただきたい。乗用車からパソコン・ステレオ・カメラ・オーディオまで、日本の先端技術の結晶が 毎年のように生み出され発表されている。その性能・精度は、国際的に脅威と畏敬の的であった。かつての “安かろう 悪かろう” の時代ではなく 私の海外旅行の記憶でも、高速道 一般道を問わず 日本車が故障して 路肩に停車しているのを見たことはないし、MADE IN JAPAN のカメラや時計は羨望のまなざしで見られたものだ。爆発的輸出ドライブは 日本経済の実力の証明であり 発露だった。
財政再建の もうひとつの方策は、行政改革である。悪化する国家財政を改善する要諦は すべからく 「出るを制して 入るを図る」 にある。つまり政府自身が率先して自らの無駄を省き身を削る 「小さな政府」 を志向しなければならない。鈴木首相と中曽根行政管理庁長官は 「臨時行政調査会」 を設立することとし、前経団連会長 土光敏夫 に会長就任を要請した。土光は 「民間企業や家庭は減量経営を行ない 血の滲むような努力をしてきた。しかし 残念ながら 政府の対応は遅れている。このまま放置すれば わが国の行財政は、数年後には手がつけられない状況になる。政府 特に首相は、この調査会の意思を尊重するというだけでなく 勇断をもって実行してほしい。行政改革の断行は 首相の決意にかかっている」 と釘をさし 『増税なき財政再建をやり遂げる』 という言質を取って 「第2臨調会長」 を引き受けた。
粗末な自宅で メザシを菜に食事を摂るという人柄 真冬でも暖房を使わない質素な生活で人心を捉えた財界の鬼法師は、田中角栄ら政界大物の支持を取り付け 当時大蔵省も悲願の大型間接税の導入を棚上げ、歳出削減のルール作りに協力したという。土光臨調は 昭和58年3月 最終答申をまとめ “国から地方へ 官から民へ…”、わが国の進むべき道を示した。国鉄、電信・電話、専売公社の民営化は、その路線上で実現したものである。
第2臨調の主たる目的は、肥大化した行政機構を見直すこと、悪化した財政を 増税することなく再建すること、活力ある福祉社会を作ること、などにあり、欧米で進み始めていた 新自由主義的発想に汚染されたものではなかった。レーガノミクス思潮に影響されるのは、次の中曽根政権になってからである。いっぽう 民間企業では、昭和55年12月に外為法が改正され 外債発行が許可制から届出制に緩和されたこともあって、外国からの資金調達が容易になりつつあった。とりわけ大企業では 従来のメインバンクを通じての国内融資に頼る方法から転じて、規制の少ない 海外市場からの直接資金調達が活発になっていた。このため 間接金融の比重が低下して、銀行は借り手探しに腐心するようになり、その活路として 価格上昇が確実と見られる 土地を担保とした中小企業向け融資、不動産業への貸し出し、金利の低下で 預金より値上がりが期待できる 株式投資に資金の流れが移行した。これら 資金の短期回転はスパイラル現象を起こし、次第にバブルが膨らんでいった(注:´80年代を通じての傾向)。
田中角栄はこの年1月上旬に 自宅で倒れ、 救急車を呼ぶ騒ぎがあったが たいしたこともなく健康を取り戻し、7月には来日したキッシンジャー米元国務大臣を目白御殿に迎えたりした。ロッキード裁判の審議は進行形で 丸紅ルート 第146回公判では、元秘書榎本敏夫の前妻が “角栄の5億円収受” を裏付ける証言を行い 「ハチはいちど刺すと自分も死ぬという、私もその覚悟はしています」 と述べ “ハチの一刺し” は流行語になった。12月3日には 無派閥の代議士久間章生ら2名が、田中派に入会 勢力は109人に増えている。
この年3月 中国残留日本人孤児47人が、肉親探しのために来日した。昭和20年 ソ連の参戦で旧満州国(現 中国東北部) で 開拓事業に従事していた日本人が、戦火を逃れ “着の身 着のまま” 悲惨な逃避行の途中、幼子が親からはぐれ また親が現地中国人に養育を託すなどして、離れ離れになった多数の残留孤児が発生していたのだ。彼らの多くは 既に壮年
に達し ていたが、日本語も解せず 親の名前 兄弟の有無も知らなかった。第一回 昭和56年の来日は 厚生省が中心になった正式の “肉親探し” だったが、その陰には 日本の篤志家の努力があり 中国では 周恩来総理が、特に黒竜江省・吉林省 等を督励したと伝え聞く。孤児の来日は 以後も度重なり実施されたが、肉親と再会を果たせたものは 必ずしも多くはなく、また帰国できた人々にも苦難が待ち構えていた。彼らこそ 前 (さき) の戦争が残した犠牲者であり、手厚く迎えるべきだったと思うが 抜本解決には程遠いものがある。
中国にかかわる話題をもうひとつ。新疆ウイグル自治区の楼蘭遺跡から 何と3800年前の少女のミイラが、発掘されたというのである。後日になってからだが NHKのドキュメンタリー番組 「シルクロード」 で彼女を見る機会があった。 “楼蘭の美女” と呼ばれたミイラは、色白で彫り深く整った面立ち、高い鼻と長いまつげもそのまま残り つい先ほど眠りに就いたかのごとく安らかであった。容貌から類推すればコーカソイド系、麦藁帽子を冠り 盗掘も損傷もなく、小舟のような木製の棺に横たわっていた。
アメリカで 「エイズ (後天性免疫不全症候群)」 が発見された。Wikipedia では ロサンゼルスに住む同性愛男性から 初めて見つかったとある。ヒト免疫不全ウィルスに感染した免疫細胞が破壊され、後天的に免疫不全になるのだそうだ。現在では アフリカ・アジアにおいて数千万人の感染者がいるといわれ 死亡率も高い。今日では治療法も確立されており、早期対応が望まれる。
10月 北海道夕張 北端夕張新鉱坑口から 約3000メートルの斜坑でガス突出事故が起き、続いて坑内に火災が発生した。このため 作業中の160人と 救援隊10人が被災。77人は自力で脱出したが、救援隊を含む93人が犠牲となった。7日後 鎮火するために、59遺体を残したまま坑内に注水され、炭鉱災害史上 3番目の犠牲者を出し、12月 会社は負債総額721億円を残して 事実上倒産した。
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ヤクオ ギャラリーに 「総理大臣の犯罪」 の付録として、 世襲議員の弊害と 官主導政治の問題点、ならびに その改善策を 『2050年の世界地図に “日本”は存在するか』と題して 長いブログを搭載しています。是非ご覧ください。 奥 山 和
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