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昭和53年 (1978)

【デキゴト】
01・04 円の対ドル相場 1$=237.9円の安値を記録 年末は195.1円に…
01・10 総理府 初の 「婦人白書」 を発表 (女性労働人口 全体の37.4%)
01・10 園田外相訪ソ コスイギン首相と会談 領土問題対立で共同声明断念
01・14 伊豆大島近海で M7.0の地震発生 死者・行方不明25人
01・21 自民党旧田中派 「政治局友会」 結成 又候 派閥の復活始まる
01・24 原子炉を搭載した ソ連の宇宙衛星がカナダに墜落
02・05 別府大分マラソン 宋 茂 が 2時間9分5.6秒 の世界記録で優勝
02・06 警察機動隊 成田空港反対派の鉄塔要塞を撤去作業 (~8日)
02・14 円相場高騰関連 中小企業対策臨時措置法を施行
02・18 市民グループが 「嫌煙権確立を目指す人々の会」 結成
02・20 米経済学者 J・K・ガルブレイス著 「不確実性の時代」 刊行される
02・23 長崎県壱岐で 漁業被害対策として イルカ約1000頭を撲殺
02・25 S・スピルバーグ監督の映画 「未知との遭遇」 封切
02・28 関東地方に“春一番” 江戸川鉄橋で地下鉄東西線が脱線 21人重軽傷
03・01 北陸スモン訴訟 患者側勝訴 以後 東京・福岡も 相次ぎ勝訴
03・05 中国 新憲法を採択 (4つの近代化・台湾解放を明記)
03・06 大蔵省 全国銀行協会連合会代表に サラ金への融資自粛を要請
03・14 イスラエル軍 レバノン南部のパレスチナ・ゲリラ基地攻撃 一帯を占領
03・15 106年の歴史ある東京教育大が閉校 のち 「筑波大学」 に…
03・16 イタリアで <赤い旅団> モロ前首相を誘拐   5/9 射殺体で発見
03・20 初の国産発電用原子炉 「ふげん」 臨界に… 7/29~送電開始
03・26 成田空港で 反対派ゲリラが管制塔襲撃 機器類を破壊し開港延期に…
03・30 前橋高校の松本 稔投手 春夏全国高校野球史上 初の完全試合 達成
04・06 第1回 日本アカデミー作品賞に山田洋次監督 「幸福の黄色いハンカチ」
04・09 保守系候補 林田悠紀夫 京都府知事 当選 (保守 29年ぶりで府政奪還)
04・18 石油税法 公布 (エネルギー対策の税源)
04・21 大韓航空機 北極圏でソ連戦闘機に攻撃され不時着 日本人含2人死亡
04・27 アフガニスタンで軍事クーデター 大統領射殺 革命評議会 政権掌握
04・30  冒険家 植村直己 世界初 犬ぞりで 単独北極点到達
05・20 新東京国際空港 4000mのA滑走路のみで開港 反対派闘争継続宣言
05・23 ニューヨークで 初の国連軍縮特別総会 開幕
06・02 外務省公電漏洩事件の上告を 最高裁棄却 西山元
記者の有罪確定
06・12 宮城県沖地震発生 M7.5 死者28人 仙台中心にライフラインが破壊
06・14 元号法制化促進 国会議員連盟 設立 (10/17 閣議元号法制化を決定)
06・24 ジョージ・ルーカスの SF映画 「スター・ウォーズ」 封切
07・01 厚生省 日本人の平均寿命 男性72.69歳 女性77.95歳で世界1と…
07・11 京都で 山口組田岡組長 松田組系組員に狙撃されて負傷
07・11 環境庁 二酸化窒素など大気汚染環境基準を大幅に緩和
07・13 全国の郵便局で 「進学積立貯金」 の受付開始
07・19 防衛庁 栗栖統幕会議議長 記者会見で 「緊急時には自衛隊の
        超法規的行動もありうる」 と発言 (7/29 更迭)

07・16 第4回 サミット 西ドイツ・ボンで開催  インフレなき成長 「ボン宣言」
07・25 イギリスで世界初の体外受精児(試験管ベビー) 誕生 倫理的懸念
07・27 福田首相 防衛庁に 「有事立法」 の研究促進を指示
07・29 東京・両国の花火大会が 17年ぶりに 「隅田川花火大会」 として復活
07・30 沖縄県が交通ルールを改正して 車両運転 “左側通行” に変更
08・01 郵便貯金の オンライン化 開始
08・05 松本零志原作 アニメ映画 「さらば宇宙戦艦ヤマト」 封切
08・12 園田外相 日中の 「平和友好条約」 調印 47年の角栄訪中より 6年目
08・15 福田首相 靖国神社参拝 (内閣総理大臣と 肩書き記帳) 違憲と問題に…
08・21 岐阜県で サラ金苦の男性がダイナマイト自殺
08・22 植村直己 グリーンランド単独横断に成功
08・30 巨人 王 貞治選手 後楽園球場で前人未到の 通算800号本塁打
08・31 阪急・今井雄太郎投手 対ロッテ戦でプロ野球14人目の完全試合達成
09・03 サラ金の8割が 法定金利の倍以上で営業と 法務省が発表
09・05 福田首相 日本首相として初めて 中東産油4ヶ国訪問
09・05 米・エジプト・イスラエル 中東和平3ヵ国会談開催 (~9/17)
09・08 自衛隊のジェット機 埼玉・狭山市住宅街に墜落・炎上 乗員2人死亡
09・08 イランで王制打倒デモが過激に… 戒厳令布告 軍部発砲
       12/10 全国的にパーレビー国王の退位要求デモ 起こる
       12/26 首都テヘランで反国王デモ隊と市街戦  12/30 国王退位

09・18 埼玉県教委 稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文 解読結果を発表
09・21 統一神霊教会 埼玉県上川村で合同見合い 1610組が婚約式 ??
09・22 郵政省 NHKと民放6社に 音声多重放送予備免許を交付
10・04 プロ野球ヤクルトスワローズ 苦節29年目で初優勝
10・12 警察庁 初のサラ金実態調査結果 発表 (自殺130人 家出1502人)
10・16 青木 功 ゴルフ世界マッチプレーで 日本男子初の海外世界戦 制覇
10・17 靖国神社 東条英機らA級戦犯17人を 密かに合祀
10・22 鄧小平 中国副首相来日 (ざっくばらんな人柄が 好感される)
      10/23 「日米安保・自衛隊増強は当然」 と発言 天皇と会見
      天皇は 過去日中関係につき 「一時 不幸な出来事もあった」 と発言
10・23 日中平和友好条約が 発効
10・24 北海道有珠山で 泥流が洞爺湖温泉を襲い 3人死亡
10・26 新日鉄 4製鉄所の 9設備休止の合理化案を 労組に提示
11・03 国鉄 「いい日 旅立ち」 キャンペーンを開始
11・11 無限連鎖講 (ねずみ講)防止法 公布
11・21 江川 卓 と巨人が 野球協約の盲点 「空白の一日」 を突いて契約
11・22 三菱重工 2年間で1万人削減の合理化案を 労組に提示
11・25 全国サラ金問題対策協議会 設置
11・26 自民党総裁予備選挙で 大平正芳幹事長が 第1位
      11/27 福田首相 本選挙の立候補辞退を表明
「天の声にも変なのが…」
      12/1  自民党新総裁 大平正芳に決定 (三角大福 一回り)

11・27 第17回 日米安保協議委員会 「防衛協力のための方針」 を決定
12・05 日米農産物交渉妥結 (牛肉・オレンジの輸入枠拡大 ほか…)
12・06 福 田 内 閣  総 辞 職 
12・07 大平正芳内閣 成立 外務・園田 直 大蔵・金子一平
12・10 自民党推薦の 西銘順治 沖縄県知事に当選 (革新県政10年で幕)
12・25 ベトナムvsカンボジア(ポル・ポト)カンボジア東部で激戦 (~12/28)
12・26 イランのテヘランで 反国王デモ激化 暴動に発展 石油輸出停止
      12/28 テヘラン市内で市街戦 石油生産も全面停止
12・27 政府税制調査会 一般消費税の試案を 答申
12・28 俳優の田宮二郎が 自宅で散弾銃自殺 多額の負債

ファミリーレストランが盛況に   (都会では)ディスコがブーム
北朝鮮工作員による拉致事件多発   家庭内暴力 話題に…
窓際族が随所で発生    イギリスで世界初の試験管ベビー誕生

【物 価】
国鉄普通乗車券 上野~青森 6300円 新橋~大阪 5100円 入場券 80円
白米 10kg  3012円  銭湯 155円  瓶ビール 215円  かけそば 250円
朝日新聞セット 月決め 2000円   週刊朝日 180円

国家公務員 初任給 94,600円   大卒男子 初任給 105,500円
都市サラリーマン 平均月収 306,082円

【流行語】
フィーバー   不確実性の時代  男はタフでなければ 生きていけない
バカにしないでよ   窓際族   嫌煙族   サラ金地獄   ダサイ
田中軍団   SF映画   な~ちゃって…   アーウー   

【新製品】
カラーテレビ  アンビエンス音声多重   松下電器     218,000円
テープレコーダ   カセット デンスケ    ソ ニ ー        99,800円
流 し 台     ク オ リ テ        サンウエーブ       ――
ウ ォ ッ チ    エクシー・ゴールド     シチズン      270,000円
ワードプロセッサー 日本語ワープロ JW‐10  東  芝    6,300,000円

紙おむつ   風船ガム   うーろん茶   使い捨てカイロ

【ベストセラー】
不確実性の時代       J・ガルブレイス       講 談 社
不 毛 地 帯         山 崎 豊 子       新 潮 社
和 宮 様 御 留         有 吉 佐 和 子       講 談 社
黄 金 の 日 々         城 山 三 郎        新 潮 社
家 庭 教 育 論         広 中 平 祐       講 談 社

【流行歌】
夢 追 い 酒    作詞・星野栄一   作曲・遠藤 実    歌手・渥美二郎
与    作       作詞・作曲 原譲二 (北島三郎)     歌手・北島三郎
青 葉 城 恋 歌    作詞・星間船一   作曲・さとう宗幸   歌手・さとう宗幸
い い 日 旅 立 ち    作詞・作曲 谷村新司          歌手・山口百恵

【野 球】
プ ロ 野 球  優 勝   セ ・ リーグ = ヤクルト  パ ・ リーグ = 阪 急
           日本シリーズ   ヤクルト  4勝 3敗

「江川問題」 11月21日 ドラフト会議を翌日に控え、直前日は規定に拘束されない “空白の一日” とする巨人の解釈で 作新学園 江川 卓 選手と選手契約を結んだ。虚をついたようなこの契約は無効、とコミッショナーは断じ、阪神が江川を指名し 一旦阪神に入団したのち、巨人にトレードに出した。 …エガワる。

第50回 選抜高等学校野球大会  静岡・浜松商 2-0 福井商・福井
第60回 全国高等学校野球選手権  大阪・
PL学園 3-2 高知商・高知
 大阪代表PL学園は 9回ウラに 0-2 から逆転 劇的に優勝した。

【邦 画】
サ  ー  ド     東 陽一 監督(寺山修司・脚本) 永島敏行 峰岸 徹 島倉千代子
鬼   畜      野村芳太郎 監督   緒形 拳  岩下志麻 ほか  
冬 の 華      降旗康男 監督   高倉 健 池上季美子 ほか
ダイナマイトどんどん  岡本喜八 監督  菅原文太 北大路欣也 ほか

【洋 画】
家  族 の 肖  像    ルキノ・ヴィスコンティ監督  バート・ランカスター  シルヴァーナ・マンガーノ
未 知 と の 遭 遇   スティーヴン・スピルバーグ監督  リチャード・ドレイフアス ら
愛 と 喝 采 の 日 々 ハーバート・ロス監督 シャリー・マクレーン アン・バンクロフト ら 
ジ ュ リ ア        フレッド・ジンネマン監督 ジェーン・フォンダ ヴァネッサ・レッドクレイグ ら
ミスターグッドバーヲ探して  リチャード・ブルックス監督 ダイアン・キートン アンサン・トム ら
ナ イ ル 殺 人 事 件  ジョン・ギラーミン監督 ピーター・ユスティノフ ミア・ファーロー ら
ア ニ ー ・ ホ ー ル  ウッディ・アレン監督  ウッディ・アレン ダイアン・キートン ら
ス タ ー ・ ウ ォ ー ズ ジョージ・ルーカス監督 ハリソン・フォード マーク・ハミル ら

【この年】
 前年の 【この年】 に書き漏らした事項を 1~2取り上げる。福田は首相に就任するや、“派閥解消" を呼びかけ 自派を先行解散してしまった。已むなく各派もこれに倣ったが 政策集団などを作って 実態は温存された(
のちに 旧福田派も 「清和会」 として復活している)。また 前任三木武夫から申し送られたテーマだといって “開かれた党総裁選挙" を提唱、第34回 党大会で 制度改訂が為された。内容は かねて三木が主張していた通り、広く党員・党友による予備選を経て絞り込んだ候補を 国会議員と自民党県連代表が最終投票で決定するというものだった。福田にしてみれば深慮遠謀のつもりだったのかも知れないが、この公選規定が 2年後 大平との対決に思わぬ障害となる。

 もうひとつは “全方位(平和)外交" を志向し、8月にフィリピンで いわゆる 「福田ドクトリン」 を発表したことだ。第11回参議院選挙に勝利したのち 8月6日から 「東南アジア諸国連合 (ASEAN、豪首相やニュージーランド首相も参加) に出席 引き続き東南アジア6カ国を歴訪した最後の 8月18日に、マニラで演説した。
 
 ① 日本は 軍事大国とならないとの決意のもとに、東南アジア ひいては世界の平和と繁栄に貢献していく。

 ② 日本は 東南アジア地域とのあいだで、政治・経済のみならず 社会・文化など広範な分野において 心と心の触れ合う相互信頼関係の構築を目指す。

 ③ 日本は 対等な協力者として、連帯と強靭性の強化に向けたASEANの自主努力に 他の域外国とともに協力する。

 言ってみれば当然の発言だったのだが、昭和49年にバンコクやジャカルタで 前代未聞の反日デモ・反日暴動に遭った田中角栄を反面教師とし 心配りのきいた姿勢を示した。たとえば ② の “心と心の触れ合う… といったフレーズは、事務方の原稿になかったものを 福田が書き加えたものだったという。

 また 昭和40年代後半、南ベトナム、ラオス、カンボジァ など非共産主義国が雪崩を打って崩壊し ASEAN諸国に緊張が高まっていた環境を背景にして、これら地域の安定と繁栄のために 国際政治の有力なアクターとして積極的、能動的に貢献する姿勢を鮮明にしたという点で 「福田ドクトリン」 は高い評価を以って迎えられた。福田のスピーチを目の前で聴いたマルコス大統領は、「われわれは久しく 日本がこういう姿勢で登場してくることを待っていた」 と コメントしている。

 福田首相はこののち サミットへの出席、アメリカとの経済摩擦の抑制、中国との平和友好条約調印、対ソ関係の調整、中東産油国への訪問など、多彩な外交活動を展開した。

 国内政治では安定経済成長をベースに 定住圏環境の整備を盛り込んだ 「第3次 全国総合開発計画 (三全総)」 を発表、内閣改造を行なって 駒を並べ替えた。官房長官に安倍晋太郎、園田 直を外務大臣に横滑りさせ、経済企画庁長官に宮沢喜一、対外経済担当として元駐米大使 牛場信彦を当て、政調会長だった河本敏夫を閣内に入れて通産大臣に、総務会長には中曽根康弘を配した。いまだに横這いの状態にある経済の活性化、対中国 平和友好条約調印のための布陣である。

 田中内閣時代 地価の高騰と物価の上昇、かてて加えて襲来した外患 “オイルショック” によって昂進したインフレの対処を乞われ 「全治3年」 と請け負ったにも拘らず、4年が経っても 沈み込んだ景気は一向に浮揚しなかった。勢い財政に手段を委ねざるを得なくなる。総需要抑制は棚上げ、予算の中に公共工事の比重が高まっていき 挙句 赤字国債が増加し始めた。いったん広げた国家予算の枠は なかなか圧縮困難である。後年 累増していった赤字国債の軌跡を振り返ると、昭和40年 佐藤内閣の初発以来、わが国の赤字財政の元凶は 皮肉にも 安定成長論者だった福田赳夫に帰するといわざるを得ない。

 或いは 既に一大勢力になっていた田中派 「建設族」 を抑えきれず、彼らそれぞれの地元への利益誘導工作が 予算編成を壟断していたからかも知れない。

 10年以上も昔、彼も閣議に連なった佐藤内閣の初期に 建設候補地が千葉県北部と決まり、以来 反対農民たちとの軋轢 (あつれき) を繰り返してきた 「新東京(成田)国際空港が やっと開港した。5月20日のことである。農民たちの反対運動に加担した 学生運動や極左活動家の、長い 「成田闘争の経緯」 については 次回 「昭和エピソード」 で採り上げる。

 53年の年明け早々 1月14日に伊豆大島で M7.0の地震が起こり、死者・行方不明25人の被害が出たが、6月12日には 宮城県沖でマグニチュード7.4の地震が発生、仙台市を震度5の激震が襲った。当時人口50万人以上の仙台市域では、死者 16人、重軽傷者 10119人、家屋の全半壊 4385戸、部分壊が86010戸という損害を受けた。この都市地震は ブロック塀の倒壊で多数の死者を出し、また 驚いて屋外に飛び出し ガラス片や落下物での負傷者が多かった。 いっぽう 季節が初夏で 地震にはまず火の始末という意識が定着していたせいか、火災は僅か8件と 極めて少なかった。だが 電気・ガス・水道といったライフラインに大きな損害が出た。

 「サラ金地獄」 という言葉が流行った。“プレイ  ナゥ ペィ レイター” などといわれて 手軽に借金できる反面、年利フタケタは ザラという高金利、その上 業者の取立ては常識を超えたものだった。大蔵省は 全国銀行協会連合会の代表に サラ金への融資自粛を求め、警察庁も実態調査に乗り出したところ 1年間の自殺者は180人、蒸発・家出者は 2203人を数えた。この実態に基づいて 「サラ金規制法」 が提案されたものの廃案となり、その後も 2回の廃案と4回の継続審議を経て 成立したのは、5年後の昭和58年4月のこと。業者から献金を受けていた国会議員の抵抗によって、法規制が実現するまでに犠牲者の数は ヒトケタ撥ね上ってしまった。

 10月17日には 靖国神社が、密かに 東条英機ら A級戦犯17人を合祀している。

 昭和47年に起こった 「外務省機密公電漏洩事件 (毎日新聞 西山記者が、外務省女性事務官を篭絡 (ろうらく) して 沖縄返還に係る機密をスッパ抜いた)」 につき、最高裁は上告を棄却 西山記者は有罪が確定した。

 プロ野球のドラフト会議を翌日に控え 巨人は、作新学園 江川 卓投手と ドラフト外の選手契約を交わした。会議の前日は 拘束されない “空白の一日" という解釈だった。虚をついた巨人のやり口に憤りの声が挙がった。セ・リーグ会長は契約を無効と断じたが、22日のドラフト会議に巨人側は欠席、阪神が江川を指名した。結局 コミッショナーの強い要望に沿う形で、江川はいったん阪神に入団したのち 小林 繁投手とトレードによって 巨人に移籍した。このことから “強引に 無理を押し通すことを 「エガワる」 という動詞形の流行語になった。

 覇権論争など 停滞していた中国との関係は、外相に就任した園田 直が訪中して 復活を果たした 鄧小平副首相や黄華外相などと話を詰め、角栄の日中国交回復後6年目にして 8月12日 「日中平和友好条約」 に正式調印した。そして 10月、最高実力者となった鄧小平が 「条約批准書」 を携えて初来日した。文化大革命の嵐の中で 失脚と復活を繰り返し “不死鳥”と呼ばれた 異色で小柄な政治家は、まことに ざっくばらんな人柄で 日本人に好感を与え 天皇とも会見、「日米安保・自衛隊の増強は当然」 と 発言したりした。同時に 日産自動車、新日本製鉄、松下電器 などを精力的に見学、中国の遅れを率直に認め 先進国日本から積極的に学ぼうとする姿勢を明確にした。彼は こののち、中国の近代化を強力に推進する。

 福田首相は9月5日から 日本の総理大臣として初めて、中東産油4カ国を訪問したが、そのうちイランでは王制打倒のクーデターに遭遇している。パフレヴィ国王との会談中 窓外に銃声を聞いたという。イランの王朝は独裁圧制を敷いていたが、石油の価値が上がるにつれて シャー・パフレヴィに対する批判が高まり、紛争が頻発した。そして パリに追放されていた イスラム・シーア派のホメイニ師が帰国するに及び、革命派が勢いを増して イラン・イスラーム共和国が成立した。ホメイニ師は 急進的な最高指導者に就任した。

 奇妙なデキゴトが記録されている。9月21日 統一神霊教会なるものが、埼玉県上川村というところで合同見合いを行ない なと そこで1610組の婚約が成立したというのだ。主催者は 世界基督教統一神霊教会という宗教法人らしいのだが、開祖は金鮮明(ムン・ソンミョン) といい キリスト教とは関わりもなく 勝共連合とか、原理研とか さまざまな貌を持ち、洗脳儀式、ニセ募金活動、高麗人参販売、霊感商法 を行なったりして 得体が知れない。

 もっと奇妙なことは、この宗教団体に 岸信介、安倍晋太郎・晋三親子、福田赳夫、保岡興治 など 政治家が深い関わりを以っているらしいことである。中曽根康弘など この団体の儀式・大会に祝電を打つ代議士も数多く、鳩山由紀夫の名前が出てきて戸惑う。陣笠議員なら 献金目当てと思うが、一国の首相を勤めるほどの政治家の名前が羅列されると、一体ナゼなのだと疑念を持つ。教団の活動初期の 本部的建物を 渋谷区松涛の岸 信介邸の隣りに構えていたというから、その関わりはただ事ではなさそうである。彼らを庇護していた者には 右翼の笹川良一や児玉誉志夫らもいたという。韓国における庇護者は 朴正煕大統領だったというから、或いは 岸 信介の満州人脈に繋がるのかも知れない。

 福田に就いて更にいえば、"日本の宝石王" といわれる大谷貴義という人物との関係も気に懸かる。政財官界や 闇の世界に隠然とした影響力を持つとされ、児玉誉志夫と並ぶフィクサー といわれている男だ。大谷の息女は、茶道 裏千家14世 千宗室の三男に 嫁いでいるが、福田は 作家吉川英治と共に媒酌人を務め、更に大谷本人の死去に際しても葬儀委員長になっている。

 さて昭和51年 大福連携で総理の座についた福田だったが、組閣当初の低人気から見れば 政権運営にさしたる疎漏もなく、それなりに評判が上がってきたこともあって欲が出た。かつて岸 信介が 大野伴睦にやったと同じように、大平との約束を棚に上げ 党総裁再選に意欲を見せ始めたのだ。当然 大平側は2年で政権を譲るとした密約の履行を求めたが 話し合いは決裂、総理・総裁の座は 予備選から始まる 「総裁選挙」 で決着をつけることになった。普通 形勢は現職に有利に働く。政治評論家の細川隆元は 「福田に決っとる!」 と断言し、福田もまた 「世界が福田を必要としている…」 と 自信満々で 「予備選に負けたら 本選には出ない」 と豪語した。

 総裁選に立候補したのは、福田、大平のほかに中曽根康弘と河本敏夫。大平にとっての難点は、予備選大票田の東京に 支持層を殆ど持たないところにあった。持ち点102の東京では中曽根が強く、福田、河本と続いて、大平はゼロに近かった。大平、田中派の代議士に 関東地方出身者がいなかったのだ。

 そんな劣勢を 角栄の号令一発、バックアップしたのが田中派である。まず 門外不出と言われていた党員名簿を 竹下 登が持ち出し、大平選挙対策本部長に就いた 後藤田正晴が、所属 国会議員秘書260人を動員 ヘリコプターを使って撮影した写真を元に 市街地図上に党員宅をチェック、最短距離をとって行動することで 2人1組 3日間で約2万軒の党員を訪問するという “ローラー作戦" と 電話作戦を敢行した。そして 豊臣秀吉が墨俣の一夜城を築城したごとく、大平陣営は東京に橋頭堡を築いた。

 その結果 総裁予備選挙は、大平正芳が784 (約55万票) 福田赳夫 638 (約45万票) と 150ポイント(10万票) 近く 大平が福田を引き離し圧勝、福田は本選挙の出馬を断念して 「天の声にも ときには変な声もある…。敗軍の将 兵を語らず」 と捨て台詞を残して 政権を退き、12月7日 大平内閣が成立した。

 この一連の政変を “第2次 角福戦争" と呼び、角栄が 「キングメーカー」  後藤田が 「日本のアンドロポフ」 と 言われるようになった。

「総理大臣の犯罪」 の付録として “ヤクオ ギャラリー” に
2050年の世界地図に “日本” は 存在するか
を搭載しました。是非ご覧ください。           奥 山  和

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