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2008年12月

昭和52年 (1977)

【デキゴト】
01・01 EC・カナダ・ノルウエー 200海里漁業専管水域設定・実施
       3/1 米ソも実施 (この年 相次いで主要各国が専管水域実施)

01・03 イギリスの経済危機救済のため IMFが39億ドルの貸付を決定
01・04 国鉄品川駅付近に放置の 青酸入りコーラを飲み 2人が死亡
01・27 東京地裁で ロッキード事件丸紅ルートの初公判
01・31   同   全日空ルートも初公判
02・05 EC 日本製ボールベァリングに暫定ダンピング関税を賦課
02・08 社会党定期大会 江田副委員長と社会主義協会派(左)の対立激化
02・10 米 200海里漁業専管水域問題につき 日米漁業協定に調印
02・15 仙台高裁 24年の弘前大学教授夫人殺害事件再審で那須被告無罪に…
02・22 中国 鄧小平の副主席復帰 江青ら四人組の永久追放を発表
02・23 宇宙開発事業団 種子島宇宙センターから初の静止衛星 “きく” 打上げ
03・03 「大慈会」 会長ら 元 「楯の会」 会員新右翼ら4人 散弾銃を持って
      経団連会館に侵入 土光敏夫会長との会見を要求 11時間で投降

03・04 ルーマニアでM7.2の大地震 首都ブカレストが瓦礫の山となる
03・09 自民党福田派が解散 (以後 自民党内で派閥解散が流行)
03・08 アメリカで 日本製カラーTVの輸出急増が問題化
              4/7 日米政府間交渉で 自主規制に合意

03・20 東京大学に 全盲の石川 准さん(20歳) が合格
03・21 インド総選挙でガンジー首相落選 人民党 デサイ内閣成立
03・23 三木首相に対する ニセ電話事件で 鬼頭史郎判事に罷免判決
03・26 江田三郎 前社会党副委員長 離党 社会市民連合 発足の意向
03・27 カナリア諸島空港 パンナムとオランダ航空ジャンボが衝突 575人死亡
04・16 映画 シルベスタ・スターローンの 「ロッキー」 封切
04・16 自民 野党の要求を容れて 異例の政府予算案修正 成立
04・17 成田空港建設反対同盟の 鉄塔撤去妨害に 2万3500人が参加
04・24 日本初の 高速増殖実験炉 「常陽」 が臨界に達する
04・25 日劇ダンシングチーム最終公演 41年の歴史に幕
04・26 革新自由連合 発足 (代表・中山千夏 青島幸男)
04・29 全日本柔道選手権大会で 東海大 山下泰裕 が史上最年少で優勝
04・29 ソ連 日ソ漁業協定破棄通告 5/27 暫定協定調印 (領土問題分離)
04・30 厚生省 柑橘類防かび剤 OPP使用輸入品を アメリカの圧力で承認
05・02 領海法 漁業水域(200海里)暫定措置法 公布 7/1 実施
05・02 共通1次試験手続きを一貫して行なう 「大学入試センター」 が発足
05・07 英国 ロンドンで 第3回 サミット開催 米・独・日 機関車牽引論が議題
05・06 新東京国際空港公団 滑走路南端に立った 反対派の鉄塔を強制撤去
05・08 三里塚・芝山空港反対同盟 3700人 鉄塔撤去に抗議 機動隊と
      衝突  
負傷者 400人    5/10 抗議集会では 1人 死亡
05・17 イスラエル総選挙で 労働党敗退 6/21 右派連合 ペギン内閣成立
05・24 慶応大商学部で入試問題漏洩 7/13 関与の2教授の解職決定
06・01 日本専売公社 (現JT) から 「マイルドセブン」 発売
06・06 全国 公害被害者が集会を開き 環境庁と経団連にデモ
06・12 全米女子プロゴルフ選手権で 樋口久子 が日本人初の優勝
06・15 講談社から 「手塚治虫漫画全集」 の刊行が開始される
06・15 和歌山県有田市で 集団コレラが発生 1人死亡  感染源は不明
06・16 ソ連で ブレジネフ書記長が最高会議幹部会議長に選出
07・07 広島高裁 大正4年の強盗殺人事件再審 加藤被告62年目に無罪判決
07・10 第11回 参議院選挙 自民63 社会27 公明14 民社6 共産5 新自ク3
         東京都議員選挙 与野党逆転

07・13 ニューヨークで25時間に亘る大規模停電発生 略奪・放火事件続発
07・14 静止気象衛星 “ひまわり”  米・NASA基地から打ち上げに成功
07・16 中国共産党3中総で 鄧小平が副主席に返り咲き 四人組を除名
07・23 文部省 新学習指導要領で “君が代” を国歌と規定 問題化
08・03 原水禁 統一世界大会を開催 (14年ぶり 原水協・原水禁の統一大会)
08・06 昭和新山観測に命を賭した三松正夫 有珠山の噴火を予知
08・06 福田首相 東南アジア6ヶ国訪問に出発
08・06 松本零士原作のアニメ映画 「宇宙戦艦ヤマト」 封切
08・07 北海道 支笏洞爺国立公園内の活火山 有珠山 が大噴火
08・18 福田首相 フィリピン・マニラで 「東南アジア外交3原則」 を発表
08・18 中国 「四つの近代化」 明記の新党規約を発表
09・03 巨人 王貞治選手 756本の本塁打世界記録を達成
09・05 王選手 内閣から 初の国民栄誉賞 第1号 を受賞
09・15 社会思想社が アレックス・ヘイリー著 「ルーツ(上巻)」 を刊行
09・27 米軍 ファントム戦闘機 横浜市の民家に墜落 死者2人 重軽傷7人
09・28 日本赤軍 日航機をハイジャック バングラディシュのダッカに強制着陸
      日本で拘留中の仲間9人の釈放と 身代金600万ドルを要求

09・29 政府 「人の命は地球より重い」 として要求を受諾 国際的に批難
10・01 米ソ 中東和平で共同声明 発表
10・04 政府税制調査会 赤字財政再建のため 一般消費税導入を提言
10・05 福岡地裁 昭和43年の 「カネミ油症事件」 で 原告全面勝訴の判決
10・07 ソ連 新憲法を採択 発効 (完全軍縮を目指し 人権・自由を重視)
10・10 うたごえ喫茶の草分け 東京・新宿の “灯” 1号店が 閉店
10・15 長崎市で2人組が特急バスを乗っ取り  10/16 主犯を射殺 1人逮捕
10・18 ルフトハンザ機 西ドイツ赤軍派にハイジャック 西独対ゲリラ特別隊突入
      乗客ら全員救出するも 9/5に誘拐されていた工業連盟会長 遺体で発見

10・24 大阪で 全国初の 「サラ金 被害者の会」 結成
10・29 東京スモン訴訟の 和解成立
10・30 東京 有名進学校生の父親が 家庭内暴力を振るう息子を絞殺
11.04  閣議 第3次 全国総合開発計画を決定 (定住圏構想)
11・19 サダト・エジプト大統領 イスラエル訪問  11/20 イスラエル承認
11・30 米軍 東京の立川基地を 32年ぶりに全面返還
11・ー 新潟の海岸で 中学1年の横田めぐみさん行方不明 北朝鮮の拉致と判明
12・05 中小企業倒産防止共済法を公布 (連鎖倒産防止・目的)
12・13 社会党大会 飛鳥田一雄委員長を選出
12・16 防衛庁 「初の国産近距離空対艦誘導弾」 発射テストに成功と発表
12・17 衆議院予算委員会 ソウル地下鉄汚職問題で日韓癒着を集中審議
12・21 閣議 次年度予算編成方針を決定 (国債依存度30%以内を放棄)
12・25 喜劇王 チャーリー・チャップリンが スイスで没す (88歳)

世界的に 経済水域 (漁業専管) 200海里時代に…
スエーデンとともに 平均寿命世界一 (男性 72.69歳 女性 77.95歳)
カラオケ流行  スーパーカブ流行  円高に……1$ = 240円
国内消費伸びず 企業は輸出に拍車

【物 価】
国鉄入場券 60円   都バス運賃 90円    銭湯 140円
白米(10kg) 2835円   瓶ビール 195円   かけそば 230円

国家公務員初任給 91900円   大卒男子初任給 101000円
都市サラリーマン平均月収  284907円

【流行語】
円高不況   祟りじゃ~   知的生活   翔んでる   カラオケ
よっしゃ よっしゃ   ルーツ   ダメだ これゃ   話がピーマン
ネッシー   ワンパターン   窓際族

【新製品】
カラーテレビ    13型 トリニトロン   ( ソニー )      9万9800円
電子レンジ     RC‐1500        (三菱電機)    12万4800円
卓上電算機     EL ‐8130       (シャープ)        8500円
電気掃除機     チリコン200      (日立製作所)    2万3800円
エアコン       白 く ま く ん      (日立製作所)    21万5000円
布団乾燥機     ほ す べ ぇ      (三菱電機)      2万2800円
家庭用食器乾燥機  ―           (三洋電機)      9万4000円
カ メ ラ      ジャスピンコニカ C‐35AF  (小西六写真)    4万4800円

【ベストセラー】
エ ー ゲ 海 に 捧 ぐ       池 田 満 寿 夫         角 川 書 房
ル  ー  ツ  上・下         アレックス・ヘイリー           社会思想社
天  声  人  語        深 代 惇 郎          朝日新聞社
八甲田山 死の彷徨        新 田 次 郎          新 潮 社
戒 厳 令 の 夜         五 木  寛 之          新 潮 社

【流行歌】
津軽海峡冬景色    作詞・阿久 悠    作曲・三木たかし    歌手・石川さゆり
北 国 の 春      作詞・いではく     作曲・遠藤 実      歌手・千 昌夫
勝手にしゃがれ     作詞・阿久 悠    作曲・大野克夫     歌手・沢田研二
花 街 の 母      作詞・関口義明    作曲・花笠 薫     歌手・金田たつえ

【野 球】
プ ロ 野 球   優 勝   セ・リーグ = 巨人    パ・リーグ = 阪急
                 日本シリーズ   阪 急   4勝 1敗
第49回 選抜高等学校野球大会        和歌山・箕島 3-0 中村・高知
第59回 全国高等学校野球選手権大会   兵庫・
東洋大姫路 4-1 東邦・愛知 
 延長10回 東洋大姫路に 大会史上 初の決勝サヨナラ本塁打 

【邦 画】
幸福の黄色いハンカチ  山田洋次監督  高倉 健 倍賞千恵子 武田哲矢 
竹 山 ひ と り 旅       新藤兼人監督  高橋竹山  林 隆三
はなれ瞽女おりん     篠田正浩監督  岩下志麻  原田芳雄
八甲田山死の彷徨     森谷司郎監督 高倉 健 北大路欣也 三国連太郎
青春の門 自立篇      浦山桐郎監督  田中 健  大竹しのぶ
ねむの木の  
  詩がきこえる    宮城まり子監督  宮城まり子 と ねむの木の子供たち

【洋 画】
ロ ッ キ ー     ジョン・G・アヴィルドセン監督  シルヴェスタ・スターローン  ほか
ネ ッ ト ワ ー ク    シドニー・ルメット監督  フェイ・ダナウェイ  ウィリアム・ホールデン
惑 星 ソ ラ リ ス   アンドレイ・タルコフスキー監督  ドナータス・バニオニス  ほか
鬼      火    ルイ・マル監督  モーリス・ロネ  アレクサンドラ・スチュワルト  
遠 す ぎ た 橋     リチャード・アッテンボロー監督  ロバート・レッドフォード  ほか
素晴しき放浪者    ジャン・ルノワール監督  ミシェル・シモン  シャルル・グランヴァル

【この年】
 理不尽な三木おろしで分裂選挙を戦い 惨敗を喫した自民党だったが、無所属当選した保守系議員を陣営に取り込んで 何とか体裁を整え、福田赳夫は やっと念願の政権を手中にした。党中党である “挙党協 (
挙党体制確立協議会)」” の代表に座った福田と 大平正芳、鈴木善幸、保利 茂、園田 直 らが5者会議を開いて ① 総理・総裁は不離一体のものとするが、福田は党務を大平に委ねる。 ② 52年1月の 次定期党大会において党則を改め、総裁の任期を 3年から2年に変える。 この②には、2年後に総理・総裁の地位を大平に譲る という合意が含まれていたが、“三木 憎し” の一念に凝り固まった田中派は 宿年の政敵 福田を首相に擬した大福提携に、異を唱えることはなかった。

 巷間 ロッキード選挙と言われた第34回総選挙は 自民党が国民のブーイングを浴びて敗退したが、当の田中角栄にとっては 辞職後初の選挙 保釈の身でありながらの立候補であったにも拘らず、新潟3区の選挙民は 角栄に16万8522票を献じ、ダントツの1位を許したのであった。

 第2次三木おろしが巻き起こった51年9月 三木武夫もいたずらに拱手していた訳ではなかった。9月10日 臨時国会召集を決める閣議を開いた三木は 反対する閣僚を罷免してでも解散総選挙を決意していた。さらに 反主流派 挙党協が総裁解任を強行するなら、脱党して “新党” を結成する覚悟でいた。そのために 腹心の河本敏夫通産相は 莫大な選挙資金を用意していたとか…。5時間に及んだ閣議の席上 河本は、「総理 決断!」 と 三度にわたって声をかけるが、司会役の井出官房長は困惑し 三木も決心がつきかねて一旦は休憩、結局 その機を逸した。河本は晩年まで このとき勝負に出なかったことを悔やんでいたという。「男は一度勝負する」 と名言を吐いた三木だが、最大の勝負どきをみすみす逃した。

 密室で決まった福田総裁の年齢は71歳 国民にとっては新鮮味に欠け、はなはだ評判の芳しからぬ滑り出しとなった。内閣成立直後の支持率は やっと28%という有様である。だが 彼は生来 諧謔 (かいぎゃく) 心のある人物だったようで 造語の名人。それまでにも 「…昭和元禄…」 とか 「…日本経済は全治三年…」 といった 気のきいたギャグを発してきたが、今回も 「…明治三十八歳…」 と若さをアピール 「さ 働こう内閣」 だと 老・壮・青 バランスの取れた内閣を編成、内外の課題に取り組む姿勢を示した。外務大臣に 議員2年生の鳩山威一郎、文部大臣に海部俊樹、厚生大臣に渡辺美智雄、労働大臣に石田博英、環境庁長官に石原慎太郎、束ねに 官房長官として園田 直を当てた。さすがにこの内閣には 角栄が強引に閣僚を押し込んだ気配はない。

 党の三役は 幹事長に大平正芳、総務会長に江崎真澄、政調会長に河本敏夫という重厚な顔ぶれ、大福分割で臨もうとした布陣である。福田、大平ともに恬淡とした紳士の付き合いで、政務、党務に徒 (いたずら) な波紋を投ずることもなく 協力し合ったといえる。

 政局や内閣の安定度は、政府提出の法案の成立割合で測られることが多い。例えば 田中内閣の第68回通常国会における 法案成立率は75.6%、第75回通常国会での三木内閣のそれは 68.4%だった。これに対し 出足は些か人気に乏しい向きもあったが、そこは "政策の福田"  大平執行部の野党対策よろしきもあって、無難に国会を運営 法案の成立割合は85.4%に達した。その中には いわゆる 「海上2法案」 なる重要法案も含まれていた。

 海上法とは 1975年 (昭和50年) 5月 国連が 海洋沿岸国の水域生物資源の最適な利用・保存・管理措置について、主権と義務を明確にすべく取りまとめた 領海12海里、経済 (漁業) 水域を200海里とする草案を指し、この年 カナダ、EC、ノルウエー、アメリカなどが 相次ぎ専管水域を設定する動きがあった。(因みに 1海里とは1852mである) 漁業国として世界に雄飛し、また 日本海や東シナ海 それらを繋ぐ狭隘な宗谷海峡 対馬海峡で、中国・韓国・北朝鮮と漁獲を競うわが国にとっても、漁業専管水域を定め 関係諸国と協調体制を確立することが、極めて重要とされたのである。とりわけ 対ソ連との漁業談合は難航 鈴木善幸農林大臣が訪ソして、200海里内52年漁獲割り当てを70万トンとするソ連案で 漸く漁業協定を締結した。

 与野党の勢力が伯仲し 運営が危ぶまれた通常国会を乗り切った福田内閣は、52年7月10日に実施された第11回参議院選挙でも 保革逆転を阻止した。各党の獲得議席は、自民63、社会27、公明14、民社6、共産5、新自由クラブ3 であったが、この参院選で 宮本顕治、江田五月、高橋圭三、八代英太 が初当選している。そして 同日選挙となった東京都議会選挙では、美濃部知事与党の社会・共産党が総崩れになり 自民は勢力を回復した。社会党は 相変わらず党内抗争に明け暮れており、右派で 現実的なビジョンを提起していた江田三郎 (副委員長) は、左派社会主義協会から猛烈な突き上げを受けて3月離党 菅 直人とともに 「社会市民連合」 を結成、折からの参議院選挙に全国区から立候補しようとした矢先に 突如急逝した。代わりに息子の五月が立候補して初当選を果たした。江田の動きとは別だが、革新市長の皮切りといわれた飛鳥田一雄横浜市長が、この年 招かれて市長任期途中で社会党委員長に鞍替えしている。もうひとり 前年、布施 健検事総長の名を騙って三木首相に電話をかけ ロッキード事件捜査にかかる指揮権発動を促し、裁判官を罷免された鬼頭史郎が 参院選に立候補し見事落選した。

 この年も 幾つかのデキゴトが起こって世間の耳目を集めたが、順不同ながら 若干回顧してみる。

 2月23日 種子ヶ島宇宙センターから 米ソに次ぐ世界3番目、日本が独自に開発したロケット技術で 静止衛星 「きく」 の打ち上げに成功した。地球から36000キロ離れた宇宙に衛星を放出すると 引力がバランスして静止状態になる。昭和30年 東大糸川英夫教授による、長さ23cmのペンシルロケット実験から始まったロケット技術は 数え切れないほどの失敗、試行錯誤を繰り返しながら気象衛星を軌道に乗せるところまで進歩したのである。ただ まだ不安定な部分もあり 第1号の気象衛星 「ひまわり」 は、7月14日 アメリカNASAのケネディ宇宙センターから デルタ2914型レロケットで発射され 実用化した。

 世界最大の航空機事故が発生した。スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島のロス・ロデオス空港で、オランダ航空とアメリカ・パンナム航空のジャンボ機同士が 滑走路上で正面衝突、乗員乗客582人が死亡するという大惨事だった。飛行中のパンナム機にテロリストが爆弾を仕掛けたというニセ通報が入り、ロス・ロデオスに緊急着陸しようとしたらしいが 2機の大型旅客機の事故とはいえ、犠牲者の数は未曾有のもので この記録はいまだに破られていない。

 殊更な難問奇問を排し “入試地獄" を緩和すべく、国立大学共通1次試験が 昭和54年から実施されることとなり 「大学入試センター」 が発足した。受験産業の出現や 偏差値序列の弊害も生じたりしたが、紆余曲折しながら現在に及んでいる。

 講談社が 「手塚治虫漫画全集」 を刊行すると発表した。これまでも幾度か全集発行が企画されたことがあるか、あまりに厖大なボリュームであるため 頓挫してきたものだ。数年をかけ 講談社本は400冊を超えて完結した。私は後年 それらを収めたDVD盤8枚を購入 少年時代に還って 毎日一時間づつをかけて読んだのだが、漫画の部分だけで約2年を要した。手塚さんが書いた論文や講演記録は 何れ改めて読み直そうと考えている(いまだ果たしていない)。

 この年11月 新潟の海岸で、中学1年生の横田めぐみさんが行方不明となり 後日 北朝鮮の工作員によって拉致されたものと判明した。ご両親は以来 めぐみさんの捜索に心血を注いでこられたが、現在に至るもいまだ解決していない。非道にも 北朝鮮に拉致されたのはめぐみさんだけではなかった。北は新潟から南は鹿児島まで、更にヨーロッパ旅行中の人たちを含め 日本政府が認定しているだけでも17人にのぼるとされる。政府は昭和63年 漸く当時の国家公安委員長梶山清六が、一連の行方不明事件を “北朝鮮による拉致容疑” 濃厚と国会答弁しているが、実際に日本国民が事件の存在を意識したのは、平成14年に小泉純一郎首相が訪朝して 金正日に事実の一部を認めさせてからのちのことだった。爾来 国内外で澎湃として 北朝鮮非難の声が挙がっているが、遅々として解決には至っていない。横田めぐみさんのご両親をはじめ 留守家族の皆さんのご心中 如何ばかりかと、唯々 拝察するのみである。

 話題を変える。私は スポーツとしては 野球のテレビ観戦だけを楽しみにしている。それ故 シーズンも後半になると 毎年 贔屓チームの阪神タイガースの勝率が気になる。それと 著名選手の記録だ。この年は 極めつけ王貞治選手が、9月3日 ハンク・アーロンの記録を抜いて 756号のホームランを打った。アメリカの球場のほうが広いとイチャモンをつける臍曲がりもいるが、最終的に868号まで記録を伸ばしたとあれば 王選手の偉大さにケチをつける者もいまい。同月5日 福田内閣は国民栄誉賞を設け 王選手にその第1号を贈った。

 またしても冤罪事件がふたつ明らかになった。ひとつは 大正4年 (1915年) 山口県で起こった殺人事件である。些細な喧嘩口論の挙句 殺人を犯したAの供述により 共犯とされてしまった加藤新一さん (当時24歳) は、身に覚えなしと頑強に抵抗したものの 一審 二審の裁判官が全く恣意的に有罪 「無期懲役」 と判決したのだ。大審院でも 「上告棄却」 となり 加藤さんは服役、昭和5年仮出所後も無実を訴えて再審を申し立て続け、6回目の請求が認められて再審が決定されたのだが、この間の加藤さんの悲痛な心境をを思えば言葉もない。昭和52年7月7日 広島高等裁判所は 「本件において 被告人が有罪とされた大きな支柱である共犯者()の供述の真実性 信用性に 多大の疑問があり…」 と述べ、逮捕後 実に62年目にして 「無罪」 を宣告したのである。戦前 戦後を問わず、何ら罪なき一庶民の人生を 葬り去るがごとき粗雑な裁判が許されてよい筈がない。“加藤老" と呼ばれるようになった加藤新一さんは、原判決に携わった裁判官の “恣意的” な判断によって、いわれなき冤罪を蒙ったのである。

 いまひとつは、昭和24年8月6日に発生した、青森県 「弘前大学教授夫人殺人事件」 である。容疑者とされた那須 隆さん (当時25歳) は、まず別件で逮捕され 10月下旬 着衣に付着していたとする微量の血痕を証拠に、一審・二審とも有罪 懲役15年の判決が言い渡された。昭和28年最高裁で有罪が確定 那須さんは服役した。10年後の昭和38年仮出所している。ところが 昭和46年になって 強盗服役中の男が 真犯人として名乗り出てきた。男は 那須さんの近くに住んでいた友人であり シャツの血痕は警察が捏造したものと判明した。そして 仙台高裁で行なわれた再審によって 那須さんは、誤認逮捕から28年後 「無罪判決」 が下ったのだが、真犯人は 既に時効が成立しているとして起訴されることはなかった。平成20年12月6日 朝日新聞訃報欄に小さな記事が出た。「青森県弘前市で1949年に起きた 弘前大学教授殺人事件の犯人とされ、再審で無罪となった那須隆さんが 11月24日 同県つがる市の病院で死去していることが 5日わかった。84歳だった。(中略) 平安時代の源平合戦で活躍した 那須与一の直系の子孫として知られ、07年に 栃木県大田原市に開設された “与一伝承館" に 那須家ゆかりの資料700点を寄付した」 とあった。

 52年9月28日 パリ発東京行きの日航472便 DC‐8型機が 給油地のインド・ボンベイ空港を離陸直後、乗機していた日本赤軍にハイジャックされた。武装したメンバーの中には 先年 クアラルンプール事件で不法出国した佐々木則夫らが加わっており、日本政府に 国内拘禁中の大道寺あや子 浴田由紀子ら9人の釈放と 人質の身代金600万ドル (約16億2000万円) を要求した。犯人らは日航機を バングラディシュのダッカ空港に着陸されたのち、交渉を行った。この事件の詳細は さきに 「学生運動が行きついたさき 2」 で記述している。福田首相は 前の三木首相に倣って “超法規的” 措置で犯人らの要求を受け入れ 「人命は 地球より重い」 と 宣わったが、日本赤軍は軍資金の調達と 有力メンバーの奪回に成功し、ますます国際テロを拡大することになっていき 世界各国は日本政府の弱腰対応に非難の声を浴びせた。(←事件史探求)

『総理大臣の犯罪』 の付録として、“ヤクオ ギャラリー” に
「2050年 世界地図に "日本"は 存在するか 1・2・3・4」
を登載しました。 ご高覧ください。                     
                             奥 山   和

           

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総理大臣の犯罪 (角栄という人物) 7

高度成長経済の終焉を 認識できなかった角栄の悲劇

 「決断と実行」 をスローガンに エネルギッシュに滑り出した、田中内閣に対する国民の期待は大きかった。朝日新聞の調査によれば 内閣の発足時支持率は62%にのぼり、「日中国交回復」 の余勢を駆って 角栄は、かねて公表していた “日本列島の改造” に着手しようとした。組閣早々 私的としながら 「日本列島改造問題懇談会」 と称する諮問機関を編成、一般会計 14兆円  財政投資 7兆円という 48年度の超大型予算を閣議決定し、引き続き 基本法としての 「新国土総合開発法」 を策定している。積年の構想実現に向けて 歩を踏み出したわけだ。

 だが その足許にひたひたと 不気味な景気循環の翳が忍び寄ってきていることに、角栄は気付かなかった。景気は長期・短期の差こそあれ、如何なる時代にあっても、常に上昇し続けることも 逆に 下降し続けることも無く 波動・循環を繰り返す。池田内閣の所得倍増計画推進に端を発し、オリンピック後の小さい谷や 証券不況と呼ばれた時期を挟んで、日本経済は “黄金の60年代" “いざなぎ景気” と呼ばれた高度経済成長を遂げてきたが、佐藤政権下で開催された “大阪・千里万国博覧会" のころを絶頂にして、長かった好景気は下降局面に入っていたのである。インフレの昂進、地価の高騰、相次ぐ大規模な賃上げスト、頻発する爆破事件など過激分子の跳梁 (ちょうりょう)、工業生産指数等 国際収支や景気動向に、その兆候は顕われていたと思われるが 角栄は気に留めなかった。慢心が彼の目を曇らせたのか、それとも 体系的な学問を修められなかった 角栄の限界だったかも知れない。

 眼前で起こる変事・変動に対しては 瞬時に反応して過またず、ときとしては 誰も思いつかぬ奇想天外な手段を以ってして たちどころに問題を解決する異能の持ち主であったとはいえ、畢竟 (ひっきょう) 角栄は 経済の趨勢や大局を洞察 (どうさつ) するチカラに欠けるところがあったらしい。にも拘らず 周囲にブレーンを置くことをせず、池田勇人に於ける 下村 治のごとき人物の存在を許さなかった。仮に諌める声があったとしても 彼は聴く耳を持たなかっただろう。田中派の幹部や 知識に長けた霞ヶ関の官僚たちも、権力の座にある角栄からすれば手勢に過ぎず 采配を振るう対象でしかなかった。カネを扱うときと同様 彼は自らのみを恃 (たの) む、猜疑 (さいぎ) 心の強い人物ではなかったか。

 昭和47年1月28日 総理府統計局は、46年度の消費者物価指数が6.1%上昇したと発表しているから  佐藤政権の末期 既にインフレの気配は兆していた。10年以上に亘って続いた好景気も 昂ずればインフレーションに通じる。ゴムの紐は 伸びきっていたのである。それに角栄が政策として発表した 「日本列島改造論」 が、あっという間にミリオンセラーになってしまったことが 仇 (あだ) となって土地投機を誘発、全国で土地成金が続出してバブル現象が起こった。(これは全くの余談だが、ある地方税務署の高額所得者リストに 引退した往年の大女優の名前が出て びっくりしたのもこの頃だった) 更に加えて48年10月6日 第4次中東戦争が始まり、ペルシャ湾岸石油輸出機構 (OAPEC) の石油戦略の発動を誘った。湾岸産油国は、アメリカ・オランダなど親イスラエル国に禁輸措置、石油を減産するとともに 価格を2~3倍に引き上げた。日本の場合、一部は産油国から直接輸入していたが、大部分は エクソン・シェルなど欧米メジャーに依存していたから、たちまち国内需給は逼迫 省エネに狂奔 (きょうほん) せざるを得なくなったばかりか、石油を原料とする生活必需品が品不足となり 悪性インフレの懸念さえ抱かされた。11月初旬 関西のスーパーマーケットの店頭で トイレットペーパーの争奪戦が展開される有様。その辺りの状況は 昭和47~49年の 【デキゴト】 並びに 巻末 【この年】 に詳述した。

『田中角栄研究 … その金脈と人脈』 立花 隆 の告発

 そのようななかで、49年9月号の 角栄に関する記事 「君 国を売り給うことなかれ (石原慎太郎)」 で当てた 雑誌 “文芸春秋" が、別の視点から角栄を俎上 (そじょう) に乗せようと考えて企画したのが 立花 隆の 「田中角栄研究…」 と 児玉隆也の 「寂しき越山会の女王」 であった。

 児玉には 4年前の45年11月 角栄に呼びつけられて、角栄の金庫番 佐藤 昭 について密かに取材・執筆していたドキュメントを 破棄せざるを得ぬ立場に追い込まれた屈辱の記憶があったが それが 文春によって再び世に問えることになった。そして彼は、文春発刊5ヵ月後の50年5月22日 肺癌でこの世を去っている (享年38歳)。 但し この文章では 「寂しき…」 は採り上げない。

 文芸春秋編集部と立花 隆は 少人数の取材チームを設け、これまでに角栄が行なってきた錬金術のいちいち、即ち 複数にわたるファミリー企業や 実体の無いペーパーカンパニー間における土地転がし、あるいは 役職を笠に着た国有地の払い下げ、幽霊会社をでっち上げての脱税行為などを洗い出し、これに繋がる金脈と人脈の形成過程を暴いた。事実のみを積み上げ、抜き差しならぬ証拠で裏付けた 緻密なレポートは、雑誌が発行されたのち 国民に大きな衝撃をもたらした。単行本となった 立花 隆の 「田中角栄研究 上・下」 から 一部を抜書きしてみようか。

 「…水面下の土地 約26万坪。水面下である限り無価値。といっても 坪400円 総額1億円で買い占められ、これが埋め立てられると 忽ち 100億円とも200億円ともいわれる “価値ある土地” に大化けする… (鳥屋野潟)」

 「…これは一種の合法的詐欺事件ではないか。頭が良くて 権力中枢の情報に接することが出来る人間には、合法的に 恐ろしいまでの金儲けが出来る…」

 「…こうした ウソみたいにボロイ金儲けで生まれたアブク銭が、あちらこちらから金脈に流れ込み 滔々たる流れとなって金権政治を支えるのである。千万単位のカネに群がる陣笠どもに ホイホイと配る金権政治は、いかなる大金持ちといえども  それが自分の血と汗の結晶のようなカネなら、できるものではない…」

 立花 隆 の取材班は、角栄が動かした土地の登記簿謄本まで 逐一取り揃えて その履歴を確認したり、区画整理で地名が変わっている場所に 足を運んで、事実関係を突き止めるなど、一分の隙も無い綿密な調査を行なっている。

 「田中角栄研究」 が載った 49年11月号文芸春秋が発行されたのは、10月10日であった。横槍が入らないよう ゲラは、角栄がカナダ・アメリカ・ブラジルを外遊している期間に刷られたという。発行後12日目の10月22日、角栄は 外国人記者クラブで "記者会見" に応じている。彼は外国人記者が 日本語の雑誌に関心を払っていようとは思っていなかったようだ。だが 当日の質問は “金脈一色" で塗りつぶされた。遠慮会釈もない外人記者質問の集中砲火の前で さすがの角栄も、うろたえ しどろもどろになって立往生した。

 日本のジャーナリズムの "金脈第一報" は 外電によるものとなった。街頭では既に 大きな話題となっていたにもかかわらず、新聞もテレビも 沈黙し続けたのである。かつて 角栄に恫喝されていた新聞記者が、漸く記者会見に臨んだのは 外国人記者クラブに遅れること半月、11月7日のことだった。これを傍聴した立花 隆は、「(文春記事発表後) さまざまなマスコミ取材にも応じなかったのだが、自分から積極的に行動したのは この首相記者会見で、田中角栄がウソ八百を並べたときに、即座にこちらも記者会見をして そのウソに反撃した…」 と述べている。

 11月26日 角栄は 首相官邸に党四役を呼び、「政局に混乱を招いた」 として辞意を表明した。角栄は記者会見には顔を見せず、次なる文章を 竹下官房長官が代読した。

 『私は、フォード大統領の来日という わが国にとってまさに歴史的な行事が つつがなく終了し、日米友好の基礎が一段と固まったこの機会に、内閣総理大臣 および 自由民主党総裁を辞任する決意を致しました。
 政権を担当して以来二年四ヶ月余り、私は決断と実行を肝に銘じ、日本の平和と安全、国民生活の安定と向上のため 全力投球を続けてまいりました。しかるところ、最近における政局の混迷が 少なからず私個人に関わる問題に端を発していることについて、私は国政の最高責任者として 政治的 道義的責任を痛感しております。
 1人の人間として考えるとき、私は裸一貫で郷里を発って以来、一日も休むことなく、ただ真面目に働き続けて参りました。顧まして、些かの感慨もあります。しかし、私個人の問題で、かりそめにも世間の誤解を招いたことは、公人として、不明、不徳の致すところであり、耐え難い痛苦を覚えるのであります。私は、何れ真実を明らかにして、国民の理解を得てまいりたいと考えております。
 今、国の内外には、緊急に解決すべき課題が山積しております。政治には瞬時の停滞も許されません。私が、厳粛にかつ淡々として自らの進路を明らかにした所以もここにあります。わが国の前途に思いを巡らすとき、私は一夜、沛然として大地を打つ豪雨に 心耳をすます思いであります。
 自由民主党は、一日も早く、新しい代表者を選出し、一致団結して難局を打開し、国民の負託に応えるべきであります。私も政治家の一人として、国家、国民のため更に一層の献身を致す決意であります (
全文)』

 この声明文には 「私の決意」 と題されていたが、私は今 この文章の行間からは、角栄が己が行為を愧じる 反省の意を読み取ることが出来ない。将来の復権を予告する宣言書のように思える。今日的に言えば、いったんリセットして出直そうという気分だ。しかもその後 終に “真実" が明らかにされることはなかった。 角栄は首相官邸執務室で秘書官に囲まれて、竹下官房長官が声明文を読み上げているテレビ映像を見入りながら ポロポロ涙を流し

 「ボヤだと思っていたんだが、まるで “ヤマトカタケルノミコト” が 枯野で火に囲まれたようなものだ。 草薙の剣を振るえば血路を開けんこともなかったが、世の中  出来ることと 出来ないことがある」

と 呟 (つぶや) いたと言う。

 今ひとつ 立花 隆 「田中角栄研究」 単行本から引く。

 「49年暮れ、つまり 田中退陣直後の時点では、私は 単純にも、これでひとつのドラマが終わったのだと思っていた。しかし 実際には、田中退陣は 田中再起という もうひとつのドラマのプロローグでもあったのだ。(中略) 50年が終わる頃には 「田中角栄待望論」 の声が大っぴらに聞かれ始め、これに呼応するように 田中角栄とその一派の政治活動が 公然となされるようになってきた。おそらく ロッキード事件さえ起こらなければ、田中再起は 完全に成功していたに違いない」

い わ ゆ る    ロ ッ キ ー ド 事 件

 評論家 田原総一郎の論文に 「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄 (中央公論)」 があり 多くの人々がロッキード事件なるものが、角栄を失脚させるために仕組んだアメリカの謀略と考えていた。その原因は、角栄が米中国交回復に先駆けて 中国との交渉を纏め上げたことに キッシンジャーが激怒したことを挙げる人、あるいは オイルショックが発生した際、角栄が 中東の石油資源や欧米のメジャーに依存するわが国石油産業の体質を改めるべく、原子力発電を含む新たなエネルギー資源開発を模索したことに対する 国際石油資本の意趣返しだとする説もあったが、立花 隆は 何れも荒唐無稽 (こうとうむけい) と一笑に付した。

 実は私も 昭和47年の 【デキゴト】 と 【この年】 に 類似の表現をしているが、石油がらみではないにしても不確かだったので  この際  謹んで撤回する。(キッシンジャーやニクソンは、角栄が ロッキード事件で逮捕され 保釈になってからのちも 何度か目白の田中邸を訪問している

 ロッキード事件とは、昭和51年2月4日 アメリカ上院外交委員会の 多国籍企業小委員会 (チャーチ委員会) が、公聴会において 「ロッキード社が 自社航空機売り込みのために 世界14カ国に及ぶ国々の中枢に莫大な贈賄工作を行っていることを摘発、そのなかで 日本に対しては1000万ドル (約30億円) が投じられている旨、ロッキード社コーチャン副社長の証言を引き出したとするものである。コーチャンは 日本の右翼大物児玉誉士夫と 早くから工作コンサルタント契約を結んでおり、既に 前年までに21億円もの巨費を手渡したと述べ、贈賄した相手に 政府高官として田中角栄の名前も挙げられていた。

 当時 日本の航空大手は、ナショナルフラッグ日本航空 (JAL) と 後発全日空 (ANA) が双璧であったが、日本航空は ダグラスDC‐10や ボーイング747SR (ジャンボ) を配備していたので、ロッキードL‐1011トライスターの売り込みターゲットは全日空とされた模様。しかし トライスターはエンジンの開発が遅れていたため 全日空の大庭社長は、マクドゥネル・ダグラス社のDC‐10を仮発注した(46年)。ところが大庭社長がその後 不可解な陰謀によって社長の椅子を追われることとなり、後任に元運輸省事務次官の若狭得治が後釜に座ったのだ。(因みに 47年9月 ハワイで行われた田中・ニクソン首脳会議で、ニクソン大統領がしきりにトライスターの全日空導入を働きかけたというが 角栄はこれを断った とされた) 全日空の新社長に就いた若狭は 10月 なぜか 次期大型旅客機を、ダグラスDC‐10からロッキードL‐1011トライスターに変更し 商社 “丸紅” 経由、ロッキード社に急遽 発注しているのである。

 アメリカから飛び込んできた 衝撃的なニュースに、三木首相はすばやく反応した。(クリーン三木の面目にかけて) 事件真相の徹底追及を表明、フォード米大統領に関係資料の送付を要請する親書を送った。検察は ロッキードとコンサルティング契約を結んでいるとされる児玉誉士夫をはじめ 関係先の捜査を開始しているが、国会もまた負けじと 国際興業社主 小佐野賢治、全日空社長 若狭得治、丸紅会長 檜山 広、常務 大久保利春 らを "証人喚問" して、質問を浴びせた。国政調査権の発動とものものしいけれど、 いつも空回りに終わって 国民を失望させるのだが、ロッキード証言も同様だった。ただ テレビに映し出された証人たちのことさらに白々しい態度は、見るものを憤激させ 事件に対する関心を高める効果はあった。とりわけ 角栄 "刎頚の友" 小佐野が繰り返した 「記憶にございません…」 というフレーズは、この年の流行語になったものだ。

 この間 検察庁は 刑事事件として捜査を進め、検事をアメリカに派遣 “司法取引" で コーチャンらの嘱託尋問結果や、“ピーナッツ〇〇個" などと記された現金受領証などの資料を入手、前首相公設秘書らの取調べをもとに、47年7月27日 前総理大臣 田中角栄を 外国為替法違反 並びに 受託収賄容疑で逮捕勾留した。

 検察が立件したのは、

(1) ロッキード社から丸紅を経て 田中首相に5億円が渡ったとする = 丸紅ルート

(2) 全日空から 政界へばら撒いたとする = 全日空ルート

(3) ロッキード社が 児玉を経由して小佐野に渡ったと見る = 児玉ルート

であった。角栄の逮捕に先立って 東京地検は、丸紅 檜山会長・大久保専務、全日空 若狭社長らも、それぞれ逮捕しているが、児玉・小佐野らは 病気入院中として収監はしていない。

 自民党内では、三木首相の姿勢に反発の声が上がった。「三木には惻隠 (そくいん) の情が無い」 「はしゃぎすぎている」 とする 椎名悦三郎らの “第一次 三木おろし工作" である。しかし これは 世論やジャーナリズムが “ロッキード隠し” だと 非難したので いったんは収まったかに見えた。はじめは 呆っ気に取られていた田中派も 親分が逮捕されるに及んで危機感を覚え、再び反三木で蠢動する。逮捕1ヵ月後 角栄が二億円の保釈金を積んで目白に帰ってきてからは、その動きが俄然 激しくなる。 角栄は三木に対し 復讐の鬼になったのだろう。私には 彼の憤怒の形相と、権力の妄執をたぎらせて "文化大革命" を強行した毛沢東の顔が、二重写しになって見える。逮捕によって 聊 (いささ) かも権威が揺らがなかった角栄と、その後の政局に関しては 51年以降の 「Yの昭和史」 【この年】 に譲って先を急ぐ。

 昭和52年1月27日の 「丸紅ルート」、6月2日の 「全日空ルート」、7月21日から始まった 「児玉ルート」 の初公判以後、いわゆるロッキード裁判は、東京地裁、東京高裁、更に最高裁へと それぞれ数百回を超える審理が延々と続いた。また裁判所の外では 角栄の有罪・無罪をめぐってさまざまな人たちが、甲論乙駁、喧々囂々と遣り合ったが、私はそれらを論評する気は無い。想像すれば 丸紅が角栄に5億円の献金をアプローチしたのは47年9~10月、増長した角栄は 得意の絶頂で 「よっしゃ よっしゃ」 と頷いたのではなかったか。

 判決はどうなったか。前掲 (1) の 「丸紅ルート」 は 昭和58年10月に東京地裁が、田中に対し 懲役4年 (実刑)  追徴金5億円と判決したが、角栄は直ちに上告。丸紅会長 檜山 広ら 及び 角栄秘書 榎本は、結局 最高裁まで争って有罪が確定したが、檜山は高齢のため 収監されることなく 平成12年に死亡している。田中は徹頭徹尾 無罪を主張し続け 、高裁での角栄は 判決に至らぬまま打ち過ごされたものの、秘書榎本の最終審判で 最高裁により事実上 5億円の収受が認定された。元首相にとって致命的だったのは 捜査の早い段階で 田中邸運転手が現金授受の情況を克明に証言し、自殺後にも 本人が描いた現場の見取り図が遺されていたことだった。同時に授受にタッチした榎本元首相秘書官が 事件発覚直後に、丸紅側の窓口伊藤専務に対し 証拠隠滅を依頼していた事実を検察に握られていたこと。角栄はそれらのことを知らず 否認を押し通したのだが、最後に元榎本夫人のハチの一刺しで 観念せざるを得なかった。裁判長が第1審の判決を言い渡した際、元首相は この上なく不機嫌な表情で 2時間余りの判決理由朗読中も、配られた理由書に目を遣らなかった。
なお 俗に言う灰色と目された議員の名前が発表されたのは このルートである。

 (2) の 「全日空ルート」 は 所轄官庁の橋本登美三郎 元運輸大臣や、佐藤孝行 元政務次官の収賄について裁かれたものだが、贈賄側の若狭全日空社長も含め有罪となった。  (3) の 「児玉ルート」 では 取調べの結果 小佐野国際興業社主が議院証言法違反で懲役1年と言い渡されて控訴。児玉は扱った金額が大きく 事件の核心を握る人物だったにも拘わらず、捜索は難航して裁判は進まなかった。当初 ロッキードから受け取った21億円のうち、丸紅が5億円を 角栄宛の贈賄資金に使ったとされたのだったが、丸紅は ロッキード社から直接6億円を受領しているので、児玉の高額資金の流れは不明のままである。憶測だが、歴代内閣で防衛計画が改訂されるごとに 戦闘機の機種選定に関わる疑惑が取沙汰され、ロッキ-ド事件ののちにも ダグラス・グラマン事件が発覚していることなど、あるいは われわれの思い及ばぬ闇の世界が存在するのかも知れない。児玉、小佐野とも 結審に至るまでに死亡している。

 田中角栄が 東京地方裁判所 第一審で有罪判決を受けたとき 即日控訴したが、国会では野党が田中の議員辞職を要求して紛糾した。時の中曽根内閣は 、衆議院を (田中判決) 解散して民意を問うたのだけれども、案の定 大逆風に遭って過半数を割り 新自由クラブとの連立で、辛うじて命脈を保った。ところPhoto が 当の角栄の場合 自民党が大敗したのに、新潟3区選挙人は あろうことか過去最大の22万票を、彼に投じたのである。(左図参照 角栄の地元に対する利益供与が 如何に大きかったかは知らぬが、新潟県人の見識を疑うし、民主主義とは何か 無力感を覚える。

 角栄の控訴は 昭和62年7月29日に棄却されたが もちろん納得せず 更に最高裁に上告、平成5年12月16日 田中の死によって控訴が棄却となり、審理は打ち切られた。まさに角栄は “生ある限り" 裁判を争い、結局 なんらの結論も得るところがなかった。そして逮捕後も16年余に亘って “目白の闇将軍”  ”キングメーカー” と呼ばれて隠然とした権勢を張り、最大派閥を擁して 政界に君臨し続けた。

 驚くことは 彼が検察から保釈中の身であるにも拘らず、田中派閥を構成する議員数が増え続け、竹下 登の創世会が発足するまで 最大 143人にまで膨れ上がっていることである。 “政治は数  数はチカラ  チカラはカネ” とする彼の哲学からすれば、そこには依然 金権政治が罷り通っていたことが窺われ、金脈は涸れることなく流れ続けていてことを意味する。従って ロッキード事件で大騒ぎされた 角栄の収賄額 5億円は、取るに足りない “端たガネ” ではなかったか。わが国の司法が健全に機能するものであったならば、本スジは 立花 隆が衝いた 「金脈疑惑」 の究明にあったと思うのだが、検察の矛先は 幾度も機会を逃し、大木の幹ではなく 枝葉のほうに捉われてしまった。

 角栄の錬金術は 奸智に長けた詐欺的な手段を弄したものであったが、規模こそ大きいものの 俗な言葉でいえば セコイのである。会社の乗っ取りとか 株の買占めなら 被害者も出ようが、彼の金儲けの被害者は常に国 ひいては納税者である国民だった。権力を行使 (共犯はもっぱら官僚) したからこそ為し得た犯罪であった。

 かくのごとき金権政治が公然とまかり通り マスコミで (一部) 報じられることがあっても 大方は平然と読み飛ばされたこと (中略) 上は政治評論家から 下は床屋の政談に至るまで “日本人の常識" と化し、誰もそのことに根本的な疑義を差し挟まない状況 (←立花 隆 「田中角栄研究」) が、この時代から今日に及んでいるのだ。牙を抜かれたジャーナリズムは 救いようがなく日和見、迎合的になってしまって、さながら 軍の横暴に屈した戦前に回帰したようだ。

 裸一貫 越後から花のお江戸に出てきた書生が、家族に残したものは 目白御殿 (敷地 2600坪) と呼ばれる広壮な邸宅をはじめ、200億円(?) とも言われる資産であったが 彼は実業家ではなかった。希代の宰相といわれた田中角栄は、初心の頃とは異なり 権力の権化 (ごんげ) と成り果せたのちは、日本の政治を貶めてしまった。

 長い時間を要した 「総理大臣の犯罪」 は ここで閉じるが、田中角栄の軌跡を辿って 私は、彼が後世に向けて もっと大きな負の遺産を残していることを知った。整理がついたら、いずれ その問題について考察してみたい。

                                   お わ り

参 考 に し た 資 料

「田中角栄」 考   田中角栄内閣  =  History of Modern Japan
Taurosのインターネット案内‐3                〃
田中角栄の履歴     =    www.marino.ne.jp  れんだいこ
田中角栄入門       =    www.owari.ne.jp   Mr Hashimoto
「戦後日本政治略史」 田中政治の終焉  =  matsuyama.ac.jp
すべてを疑え! MAMO´s Site   放送事件史・田中角栄
全国総合開発計画    =       www.nishnet.ne.jp/~andou
日本列島改造論 と 金権政治 “田中角栄の政治”  ………  木原 龍
“事件史探求”  =    田中角栄・金脈事件    ロッキード事件
日本列島改造論   田中角栄 著   日刊工業新聞社 刊
ノリオ ウェブ    "湯気の出るようなカネ”  “出処進退”
Apes ! Not Monkeys!  ロッキード事件  Q&A 裁判編
閨  閥  新特権階級の系譜  神 一行 著  毎日新聞車 刊  
Wikipedia    ロッキード事件  田中角栄             等 々

『総理大臣の犯罪』 の付録として、“ヤクオ ギャラリー” に
「2050年 世界地図に “日本" は存在するか」 を登載しました。

ご高覧ください。                        ヤ ク オ









  

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