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総理大臣の犯罪 (角栄という人物) 7

高度成長経済の終焉を 認識できなかった角栄の悲劇

 「決断と実行」 をスローガンに エネルギッシュに滑り出した、田中内閣に対する国民の期待は大きかった。朝日新聞の調査によれば 内閣の発足時支持率は62%にのぼり、「日中国交回復」 の余勢を駆って 角栄は、かねて公表していた “日本列島の改造” に着手しようとした。組閣早々 私的としながら 「日本列島改造問題懇談会」 と称する諮問機関を編成、一般会計 14兆円  財政投資 7兆円という 48年度の超大型予算を閣議決定し、引き続き 基本法としての 「新国土総合開発法」 を策定している。積年の構想実現に向けて 歩を踏み出したわけだ。

 だが その足許にひたひたと 不気味な景気循環の翳が忍び寄ってきていることに、角栄は気付かなかった。景気は長期・短期の差こそあれ、如何なる時代にあっても、常に上昇し続けることも 逆に 下降し続けることも無く 波動・循環を繰り返す。池田内閣の所得倍増計画推進に端を発し、オリンピック後の小さい谷や 証券不況と呼ばれた時期を挟んで、日本経済は “黄金の60年代" “いざなぎ景気” と呼ばれた高度経済成長を遂げてきたが、佐藤政権下で開催された “大阪・千里万国博覧会" のころを絶頂にして、長かった好景気は下降局面に入っていたのである。インフレの昂進、地価の高騰、相次ぐ大規模な賃上げスト、頻発する爆破事件など過激分子の跳梁 (ちょうりょう)、工業生産指数等 国際収支や景気動向に、その兆候は顕われていたと思われるが 角栄は気に留めなかった。慢心が彼の目を曇らせたのか、それとも 体系的な学問を修められなかった 角栄の限界だったかも知れない。

 眼前で起こる変事・変動に対しては 瞬時に反応して過またず、ときとしては 誰も思いつかぬ奇想天外な手段を以ってして たちどころに問題を解決する異能の持ち主であったとはいえ、畢竟 (ひっきょう) 角栄は 経済の趨勢や大局を洞察 (どうさつ) するチカラに欠けるところがあったらしい。にも拘らず 周囲にブレーンを置くことをせず、池田勇人に於ける 下村 治のごとき人物の存在を許さなかった。仮に諌める声があったとしても 彼は聴く耳を持たなかっただろう。田中派の幹部や 知識に長けた霞ヶ関の官僚たちも、権力の座にある角栄からすれば手勢に過ぎず 采配を振るう対象でしかなかった。カネを扱うときと同様 彼は自らのみを恃 (たの) む、猜疑 (さいぎ) 心の強い人物ではなかったか。

 昭和47年1月28日 総理府統計局は、46年度の消費者物価指数が6.1%上昇したと発表しているから  佐藤政権の末期 既にインフレの気配は兆していた。10年以上に亘って続いた好景気も 昂ずればインフレーションに通じる。ゴムの紐は 伸びきっていたのである。それに角栄が政策として発表した 「日本列島改造論」 が、あっという間にミリオンセラーになってしまったことが 仇 (あだ) となって土地投機を誘発、全国で土地成金が続出してバブル現象が起こった。(これは全くの余談だが、ある地方税務署の高額所得者リストに 引退した往年の大女優の名前が出て びっくりしたのもこの頃だった) 更に加えて48年10月6日 第4次中東戦争が始まり、ペルシャ湾岸石油輸出機構 (OAPEC) の石油戦略の発動を誘った。湾岸産油国は、アメリカ・オランダなど親イスラエル国に禁輸措置、石油を減産するとともに 価格を2~3倍に引き上げた。日本の場合、一部は産油国から直接輸入していたが、大部分は エクソン・シェルなど欧米メジャーに依存していたから、たちまち国内需給は逼迫 省エネに狂奔 (きょうほん) せざるを得なくなったばかりか、石油を原料とする生活必需品が品不足となり 悪性インフレの懸念さえ抱かされた。11月初旬 関西のスーパーマーケットの店頭で トイレットペーパーの争奪戦が展開される有様。その辺りの状況は 昭和47~49年の 【デキゴト】 並びに 巻末 【この年】 に詳述した。

『田中角栄研究 … その金脈と人脈』 立花 隆 の告発

 そのようななかで、49年9月号の 角栄に関する記事 「君 国を売り給うことなかれ (石原慎太郎)」 で当てた 雑誌 “文芸春秋" が、別の視点から角栄を俎上 (そじょう) に乗せようと考えて企画したのが 立花 隆の 「田中角栄研究…」 と 児玉隆也の 「寂しき越山会の女王」 であった。

 児玉には 4年前の45年11月 角栄に呼びつけられて、角栄の金庫番 佐藤 昭 について密かに取材・執筆していたドキュメントを 破棄せざるを得ぬ立場に追い込まれた屈辱の記憶があったが それが 文春によって再び世に問えることになった。そして彼は、文春発刊5ヵ月後の50年5月22日 肺癌でこの世を去っている (享年38歳)。 但し この文章では 「寂しき…」 は採り上げない。

 文芸春秋編集部と立花 隆は 少人数の取材チームを設け、これまでに角栄が行なってきた錬金術のいちいち、即ち 複数にわたるファミリー企業や 実体の無いペーパーカンパニー間における土地転がし、あるいは 役職を笠に着た国有地の払い下げ、幽霊会社をでっち上げての脱税行為などを洗い出し、これに繋がる金脈と人脈の形成過程を暴いた。事実のみを積み上げ、抜き差しならぬ証拠で裏付けた 緻密なレポートは、雑誌が発行されたのち 国民に大きな衝撃をもたらした。単行本となった 立花 隆の 「田中角栄研究 上・下」 から 一部を抜書きしてみようか。

 「…水面下の土地 約26万坪。水面下である限り無価値。といっても 坪400円 総額1億円で買い占められ、これが埋め立てられると 忽ち 100億円とも200億円ともいわれる “価値ある土地” に大化けする… (鳥屋野潟)」

 「…これは一種の合法的詐欺事件ではないか。頭が良くて 権力中枢の情報に接することが出来る人間には、合法的に 恐ろしいまでの金儲けが出来る…」

 「…こうした ウソみたいにボロイ金儲けで生まれたアブク銭が、あちらこちらから金脈に流れ込み 滔々たる流れとなって金権政治を支えるのである。千万単位のカネに群がる陣笠どもに ホイホイと配る金権政治は、いかなる大金持ちといえども  それが自分の血と汗の結晶のようなカネなら、できるものではない…」

 立花 隆 の取材班は、角栄が動かした土地の登記簿謄本まで 逐一取り揃えて その履歴を確認したり、区画整理で地名が変わっている場所に 足を運んで、事実関係を突き止めるなど、一分の隙も無い綿密な調査を行なっている。

 「田中角栄研究」 が載った 49年11月号文芸春秋が発行されたのは、10月10日であった。横槍が入らないよう ゲラは、角栄がカナダ・アメリカ・ブラジルを外遊している期間に刷られたという。発行後12日目の10月22日、角栄は 外国人記者クラブで "記者会見" に応じている。彼は外国人記者が 日本語の雑誌に関心を払っていようとは思っていなかったようだ。だが 当日の質問は “金脈一色" で塗りつぶされた。遠慮会釈もない外人記者質問の集中砲火の前で さすがの角栄も、うろたえ しどろもどろになって立往生した。

 日本のジャーナリズムの "金脈第一報" は 外電によるものとなった。街頭では既に 大きな話題となっていたにもかかわらず、新聞もテレビも 沈黙し続けたのである。かつて 角栄に恫喝されていた新聞記者が、漸く記者会見に臨んだのは 外国人記者クラブに遅れること半月、11月7日のことだった。これを傍聴した立花 隆は、「(文春記事発表後) さまざまなマスコミ取材にも応じなかったのだが、自分から積極的に行動したのは この首相記者会見で、田中角栄がウソ八百を並べたときに、即座にこちらも記者会見をして そのウソに反撃した…」 と述べている。

 11月26日 角栄は 首相官邸に党四役を呼び、「政局に混乱を招いた」 として辞意を表明した。角栄は記者会見には顔を見せず、次なる文章を 竹下官房長官が代読した。

 『私は、フォード大統領の来日という わが国にとってまさに歴史的な行事が つつがなく終了し、日米友好の基礎が一段と固まったこの機会に、内閣総理大臣 および 自由民主党総裁を辞任する決意を致しました。
 政権を担当して以来二年四ヶ月余り、私は決断と実行を肝に銘じ、日本の平和と安全、国民生活の安定と向上のため 全力投球を続けてまいりました。しかるところ、最近における政局の混迷が 少なからず私個人に関わる問題に端を発していることについて、私は国政の最高責任者として 政治的 道義的責任を痛感しております。
 1人の人間として考えるとき、私は裸一貫で郷里を発って以来、一日も休むことなく、ただ真面目に働き続けて参りました。顧まして、些かの感慨もあります。しかし、私個人の問題で、かりそめにも世間の誤解を招いたことは、公人として、不明、不徳の致すところであり、耐え難い痛苦を覚えるのであります。私は、何れ真実を明らかにして、国民の理解を得てまいりたいと考えております。
 今、国の内外には、緊急に解決すべき課題が山積しております。政治には瞬時の停滞も許されません。私が、厳粛にかつ淡々として自らの進路を明らかにした所以もここにあります。わが国の前途に思いを巡らすとき、私は一夜、沛然として大地を打つ豪雨に 心耳をすます思いであります。
 自由民主党は、一日も早く、新しい代表者を選出し、一致団結して難局を打開し、国民の負託に応えるべきであります。私も政治家の一人として、国家、国民のため更に一層の献身を致す決意であります (
全文)』

 この声明文には 「私の決意」 と題されていたが、私は今 この文章の行間からは、角栄が己が行為を愧じる 反省の意を読み取ることが出来ない。将来の復権を予告する宣言書のように思える。今日的に言えば、いったんリセットして出直そうという気分だ。しかもその後 終に “真実" が明らかにされることはなかった。 角栄は首相官邸執務室で秘書官に囲まれて、竹下官房長官が声明文を読み上げているテレビ映像を見入りながら ポロポロ涙を流し

 「ボヤだと思っていたんだが、まるで “ヤマトカタケルノミコト” が 枯野で火に囲まれたようなものだ。 草薙の剣を振るえば血路を開けんこともなかったが、世の中  出来ることと 出来ないことがある」

と 呟 (つぶや) いたと言う。

 今ひとつ 立花 隆 「田中角栄研究」 単行本から引く。

 「49年暮れ、つまり 田中退陣直後の時点では、私は 単純にも、これでひとつのドラマが終わったのだと思っていた。しかし 実際には、田中退陣は 田中再起という もうひとつのドラマのプロローグでもあったのだ。(中略) 50年が終わる頃には 「田中角栄待望論」 の声が大っぴらに聞かれ始め、これに呼応するように 田中角栄とその一派の政治活動が 公然となされるようになってきた。おそらく ロッキード事件さえ起こらなければ、田中再起は 完全に成功していたに違いない」

い わ ゆ る    ロ ッ キ ー ド 事 件

 評論家 田原総一郎の論文に 「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄 (中央公論)」 があり 多くの人々がロッキード事件なるものが、角栄を失脚させるために仕組んだアメリカの謀略と考えていた。その原因は、角栄が米中国交回復に先駆けて 中国との交渉を纏め上げたことに キッシンジャーが激怒したことを挙げる人、あるいは オイルショックが発生した際、角栄が 中東の石油資源や欧米のメジャーに依存するわが国石油産業の体質を改めるべく、原子力発電を含む新たなエネルギー資源開発を模索したことに対する 国際石油資本の意趣返しだとする説もあったが、立花 隆は 何れも荒唐無稽 (こうとうむけい) と一笑に付した。

 実は私も 昭和47年の 【デキゴト】 と 【この年】 に 類似の表現をしているが、石油がらみではないにしても不確かだったので  この際  謹んで撤回する。(キッシンジャーやニクソンは、角栄が ロッキード事件で逮捕され 保釈になってからのちも 何度か目白の田中邸を訪問している

 ロッキード事件とは、昭和51年2月4日 アメリカ上院外交委員会の 多国籍企業小委員会 (チャーチ委員会) が、公聴会において 「ロッキード社が 自社航空機売り込みのために 世界14カ国に及ぶ国々の中枢に莫大な贈賄工作を行っていることを摘発、そのなかで 日本に対しては1000万ドル (約30億円) が投じられている旨、ロッキード社コーチャン副社長の証言を引き出したとするものである。コーチャンは 日本の右翼大物児玉誉士夫と 早くから工作コンサルタント契約を結んでおり、既に 前年までに21億円もの巨費を手渡したと述べ、贈賄した相手に 政府高官として田中角栄の名前も挙げられていた。

 当時 日本の航空大手は、ナショナルフラッグ日本航空 (JAL) と 後発全日空 (ANA) が双璧であったが、日本航空は ダグラスDC‐10や ボーイング747SR (ジャンボ) を配備していたので、ロッキードL‐1011トライスターの売り込みターゲットは全日空とされた模様。しかし トライスターはエンジンの開発が遅れていたため 全日空の大庭社長は、マクドゥネル・ダグラス社のDC‐10を仮発注した(46年)。ところが大庭社長がその後 不可解な陰謀によって社長の椅子を追われることとなり、後任に元運輸省事務次官の若狭得治が後釜に座ったのだ。(因みに 47年9月 ハワイで行われた田中・ニクソン首脳会議で、ニクソン大統領がしきりにトライスターの全日空導入を働きかけたというが 角栄はこれを断った とされた) 全日空の新社長に就いた若狭は 10月 なぜか 次期大型旅客機を、ダグラスDC‐10からロッキードL‐1011トライスターに変更し 商社 “丸紅” 経由、ロッキード社に急遽 発注しているのである。

 アメリカから飛び込んできた 衝撃的なニュースに、三木首相はすばやく反応した。(クリーン三木の面目にかけて) 事件真相の徹底追及を表明、フォード米大統領に関係資料の送付を要請する親書を送った。検察は ロッキードとコンサルティング契約を結んでいるとされる児玉誉士夫をはじめ 関係先の捜査を開始しているが、国会もまた負けじと 国際興業社主 小佐野賢治、全日空社長 若狭得治、丸紅会長 檜山 広、常務 大久保利春 らを "証人喚問" して、質問を浴びせた。国政調査権の発動とものものしいけれど、 いつも空回りに終わって 国民を失望させるのだが、ロッキード証言も同様だった。ただ テレビに映し出された証人たちのことさらに白々しい態度は、見るものを憤激させ 事件に対する関心を高める効果はあった。とりわけ 角栄 "刎頚の友" 小佐野が繰り返した 「記憶にございません…」 というフレーズは、この年の流行語になったものだ。

 この間 検察庁は 刑事事件として捜査を進め、検事をアメリカに派遣 “司法取引" で コーチャンらの嘱託尋問結果や、“ピーナッツ〇〇個" などと記された現金受領証などの資料を入手、前首相公設秘書らの取調べをもとに、47年7月27日 前総理大臣 田中角栄を 外国為替法違反 並びに 受託収賄容疑で逮捕勾留した。

 検察が立件したのは、

(1) ロッキード社から丸紅を経て 田中首相に5億円が渡ったとする = 丸紅ルート

(2) 全日空から 政界へばら撒いたとする = 全日空ルート

(3) ロッキード社が 児玉を経由して小佐野に渡ったと見る = 児玉ルート

であった。角栄の逮捕に先立って 東京地検は、丸紅 檜山会長・大久保専務、全日空 若狭社長らも、それぞれ逮捕しているが、児玉・小佐野らは 病気入院中として収監はしていない。

 自民党内では、三木首相の姿勢に反発の声が上がった。「三木には惻隠 (そくいん) の情が無い」 「はしゃぎすぎている」 とする 椎名悦三郎らの “第一次 三木おろし工作" である。しかし これは 世論やジャーナリズムが “ロッキード隠し” だと 非難したので いったんは収まったかに見えた。はじめは 呆っ気に取られていた田中派も 親分が逮捕されるに及んで危機感を覚え、再び反三木で蠢動する。逮捕1ヵ月後 角栄が二億円の保釈金を積んで目白に帰ってきてからは、その動きが俄然 激しくなる。 角栄は三木に対し 復讐の鬼になったのだろう。私には 彼の憤怒の形相と、権力の妄執をたぎらせて "文化大革命" を強行した毛沢東の顔が、二重写しになって見える。逮捕によって 聊 (いささ) かも権威が揺らがなかった角栄と、その後の政局に関しては 51年以降の 「Yの昭和史」 【この年】 に譲って先を急ぐ。

 昭和52年1月27日の 「丸紅ルート」、6月2日の 「全日空ルート」、7月21日から始まった 「児玉ルート」 の初公判以後、いわゆるロッキード裁判は、東京地裁、東京高裁、更に最高裁へと それぞれ数百回を超える審理が延々と続いた。また裁判所の外では 角栄の有罪・無罪をめぐってさまざまな人たちが、甲論乙駁、喧々囂々と遣り合ったが、私はそれらを論評する気は無い。想像すれば 丸紅が角栄に5億円の献金をアプローチしたのは47年9~10月、増長した角栄は 得意の絶頂で 「よっしゃ よっしゃ」 と頷いたのではなかったか。

 判決はどうなったか。前掲 (1) の 「丸紅ルート」 は 昭和58年10月に東京地裁が、田中に対し 懲役4年 (実刑)  追徴金5億円と判決したが、角栄は直ちに上告。丸紅会長 檜山 広ら 及び 角栄秘書 榎本は、結局 最高裁まで争って有罪が確定したが、檜山は高齢のため 収監されることなく 平成12年に死亡している。田中は徹頭徹尾 無罪を主張し続け 、高裁での角栄は 判決に至らぬまま打ち過ごされたものの、秘書榎本の最終審判で 最高裁により事実上 5億円の収受が認定された。元首相にとって致命的だったのは 捜査の早い段階で 田中邸運転手が現金授受の情況を克明に証言し、自殺後にも 本人が描いた現場の見取り図が遺されていたことだった。同時に授受にタッチした榎本元首相秘書官が 事件発覚直後に、丸紅側の窓口伊藤専務に対し 証拠隠滅を依頼していた事実を検察に握られていたこと。角栄はそれらのことを知らず 否認を押し通したのだが、最後に元榎本夫人のハチの一刺しで 観念せざるを得なかった。裁判長が第1審の判決を言い渡した際、元首相は この上なく不機嫌な表情で 2時間余りの判決理由朗読中も、配られた理由書に目を遣らなかった。
なお 俗に言う灰色と目された議員の名前が発表されたのは このルートである。

 (2) の 「全日空ルート」 は 所轄官庁の橋本登美三郎 元運輸大臣や、佐藤孝行 元政務次官の収賄について裁かれたものだが、贈賄側の若狭全日空社長も含め有罪となった。  (3) の 「児玉ルート」 では 取調べの結果 小佐野国際興業社主が議院証言法違反で懲役1年と言い渡されて控訴。児玉は扱った金額が大きく 事件の核心を握る人物だったにも拘わらず、捜索は難航して裁判は進まなかった。当初 ロッキードから受け取った21億円のうち、丸紅が5億円を 角栄宛の贈賄資金に使ったとされたのだったが、丸紅は ロッキード社から直接6億円を受領しているので、児玉の高額資金の流れは不明のままである。憶測だが、歴代内閣で防衛計画が改訂されるごとに 戦闘機の機種選定に関わる疑惑が取沙汰され、ロッキ-ド事件ののちにも ダグラス・グラマン事件が発覚していることなど、あるいは われわれの思い及ばぬ闇の世界が存在するのかも知れない。児玉、小佐野とも 結審に至るまでに死亡している。

 田中角栄が 東京地方裁判所 第一審で有罪判決を受けたとき 即日控訴したが、国会では野党が田中の議員辞職を要求して紛糾した。時の中曽根内閣は 、衆議院を (田中判決) 解散して民意を問うたのだけれども、案の定 大逆風に遭って過半数を割り 新自由クラブとの連立で、辛うじて命脈を保った。ところPhoto が 当の角栄の場合 自民党が大敗したのに、新潟3区選挙人は あろうことか過去最大の22万票を、彼に投じたのである。(左図参照 角栄の地元に対する利益供与が 如何に大きかったかは知らぬが、新潟県人の見識を疑うし、民主主義とは何か 無力感を覚える。

 角栄の控訴は 昭和62年7月29日に棄却されたが もちろん納得せず 更に最高裁に上告、平成5年12月16日 田中の死によって控訴が棄却となり、審理は打ち切られた。まさに角栄は “生ある限り" 裁判を争い、結局 なんらの結論も得るところがなかった。そして逮捕後も16年余に亘って “目白の闇将軍”  ”キングメーカー” と呼ばれて隠然とした権勢を張り、最大派閥を擁して 政界に君臨し続けた。

 驚くことは 彼が検察から保釈中の身であるにも拘らず、田中派閥を構成する議員数が増え続け、竹下 登の創世会が発足するまで 最大 143人にまで膨れ上がっていることである。 “政治は数  数はチカラ  チカラはカネ” とする彼の哲学からすれば、そこには依然 金権政治が罷り通っていたことが窺われ、金脈は涸れることなく流れ続けていてことを意味する。従って ロッキード事件で大騒ぎされた 角栄の収賄額 5億円は、取るに足りない “端たガネ” ではなかったか。わが国の司法が健全に機能するものであったならば、本スジは 立花 隆が衝いた 「金脈疑惑」 の究明にあったと思うのだが、検察の矛先は 幾度も機会を逃し、大木の幹ではなく 枝葉のほうに捉われてしまった。

 角栄の錬金術は 奸智に長けた詐欺的な手段を弄したものであったが、規模こそ大きいものの 俗な言葉でいえば セコイのである。会社の乗っ取りとか 株の買占めなら 被害者も出ようが、彼の金儲けの被害者は常に国 ひいては納税者である国民だった。権力を行使 (共犯はもっぱら官僚) したからこそ為し得た犯罪であった。

 かくのごとき金権政治が公然とまかり通り マスコミで (一部) 報じられることがあっても 大方は平然と読み飛ばされたこと (中略) 上は政治評論家から 下は床屋の政談に至るまで “日本人の常識" と化し、誰もそのことに根本的な疑義を差し挟まない状況 (←立花 隆 「田中角栄研究」) が、この時代から今日に及んでいるのだ。牙を抜かれたジャーナリズムは 救いようがなく日和見、迎合的になってしまって、さながら 軍の横暴に屈した戦前に回帰したようだ。

 裸一貫 越後から花のお江戸に出てきた書生が、家族に残したものは 目白御殿 (敷地 2600坪) と呼ばれる広壮な邸宅をはじめ、200億円(?) とも言われる資産であったが 彼は実業家ではなかった。希代の宰相といわれた田中角栄は、初心の頃とは異なり 権力の権化 (ごんげ) と成り果せたのちは、日本の政治を貶めてしまった。

 長い時間を要した 「総理大臣の犯罪」 は ここで閉じるが、田中角栄の軌跡を辿って 私は、彼が後世に向けて もっと大きな負の遺産を残していることを知った。整理がついたら、いずれ その問題について考察してみたい。

                                   お わ り

参 考 に し た 資 料

「田中角栄」 考   田中角栄内閣  =  History of Modern Japan
Taurosのインターネット案内‐3                〃
田中角栄の履歴     =    www.marino.ne.jp  れんだいこ
田中角栄入門       =    www.owari.ne.jp   Mr Hashimoto
「戦後日本政治略史」 田中政治の終焉  =  matsuyama.ac.jp
すべてを疑え! MAMO´s Site   放送事件史・田中角栄
全国総合開発計画    =       www.nishnet.ne.jp/~andou
日本列島改造論 と 金権政治 “田中角栄の政治”  ………  木原 龍
“事件史探求”  =    田中角栄・金脈事件    ロッキード事件
日本列島改造論   田中角栄 著   日刊工業新聞社 刊
ノリオ ウェブ    "湯気の出るようなカネ”  “出処進退”
Apes ! Not Monkeys!  ロッキード事件  Q&A 裁判編
閨  閥  新特権階級の系譜  神 一行 著  毎日新聞車 刊  
Wikipedia    ロッキード事件  田中角栄             等 々

『総理大臣の犯罪』 の付録として、“ヤクオ ギャラリー” に
「2050年 世界地図に “日本" は存在するか」 を登載しました。

ご高覧ください。                        ヤ ク オ









  

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