総理大臣の犯罪 (角栄という人物) 4
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議 員 立 法 を 連 発 角 栄 頭 角 を 顕 わ す
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第24回総選挙に “獄中立候補” し、厳しい選挙戦を 辛うじて勝利した角栄は、議員3期生として国会に戻った。戦前からの議席を有する先輩は別にして、敗戦の年 幣原内閣が公布した “選挙法” 以後に代議士となった大多数の国会議員の中では、32歳に過ぎぬといえども少壮気鋭の中堅に位置し、角栄は建設委員会理事 次いで建設委員会地方総合開発小委員長に擬せられている。またこの頃 彼は首都建設法や住宅金融金庫法の立案に参画し、猛然と法律の勉強に挑戦し始めた。「六法全書」 を読破し、理解できたページは 片っ端から破り捨ててしまった (食ってしまった?) という伝説が生まれたのも この時期からではなかったか。
日本に限らず、民主主義を標榜(ひょうぼう)する憲法を持つ国は、「三権分立」 体制をとる。 三権とは、立法、行政、司法のことであり わが国の憲法に於いても国民主権の原則のもと、第41条後段に 国会は 「国の唯一の立法機関」 と定めている。則ち 国会議員たるもの すべからく 自ら法案を作って審議を受け、成立させるのが役割なのだが、わが国の場合 実際はそうなっておらず、ほとんどの法律は 行政サイドの官僚 (規則を作ることは出来るが…) によって立案され 内閣(総理大臣) が国会に提出、国会議員は ひたすら審議している風を装って “可決” するだけの役回りを演じているに過ぎないのである。
かつて 明治憲法においては 立法権は天皇 (お上) にあり、議会は 実質 “賛同” する役割しか持たなかったのだが、戦前と 全く変わらぬ悪弊を 新憲法施行後も 慣行として惰性的に引き摺ったままで、国会議員は( 所属する党の 党議に拘束された) 単なる “首振り人形偽員” になってしまっているわけだ。
田中角栄が そのことを意識していたか どうかは知らない。彼にしてみれば、問題がそこに存在していることが判っていながら、間怠(まだる)っこい官僚の作文を待つよりも 手っ取り早く自ら鉛筆をなめなめ、構想や政策を 「法案」 として端的に表現しようとしたのだと思う。 国会議員ならば 当然そうすべきであるにも拘わらず、国民の付託を受けているはずの 選良たる日本の代議士は、昔も 今も、誰一人として 議員立法を行なおうとしない。初出馬の際 立会演説会で、競争相手の社会党立候補者に 「…どうすれば 政治の勉強が出来るだろうか…」 と尋ねていた彼が、独学で ここまで成長していたのである。
角栄は さる月刊誌に 「(戦後の政治家は) 行政に精通し、予算書が読めて、(官僚が作った)法律案文を修正することが政治だと 錯覚しているものが多い。それでもいいが、国民各層の個別的な利益を吸い上げ、それを十分に濾過した上で 国民全体の利益に統合し、自らの手で立法化することにより、政治や政策の方向を示すことこそ 政治家本来の仕事であることを明確にしておきたい」 と述べているが、掬(きく)すべき言葉である。
現に田中角栄は 議員活動の若いころ、自から議員立法として提案・成立させた法律の数は 33件にのぼり、この記録は いまだに破られていないという。幾つかの実例を挙げてみよう。
● 建築士法 (S26・5・24 角栄初の議員立法 自身が 1級建築士第1号となる)
● 積雪寒冷単作地帯振興臨時措置法 (S26・3・23)
● 公営住宅法 (S26・5・28 母子家庭・引揚者を対象に大規模団地を建設 )
● 道路法 (S27・6・2 道路行政の骨格となる基本法 再提案し成立)
● 道路整備特別措置法 (S27・6・10 いわゆる有料道路法 道路の通行を
有料化するという 角栄の奇想天外なアイデァ 有料道路は世界初 )
● 道路整備費の財源等に関する臨時措置法 (S28・7・13 道路建設の
財源確保のために ガソリンに課税するという破天荒なアイデァを盛込む)
● 国土開発縦貫道路建設法 (S32・3・29 日本列島に高速道路網を巡らす)
等々である。このほか 彼の法律作成能力が評価されてか、多くの法律立案に際して 「参画」 を求められているが、建設省をはじめ 官僚が、角栄に知恵を借りようとしたものか ある場合はお墨付きを得るためだったかも知れない。その数は 私がザッと数えただけでも50件以上にのぼり、彼が党の幹部 更には首相になってからも 立案に参画しているケースが見られた。寄与の程度は不明だが、主なものを若干列挙しておく。
★ 金融金庫法 (S25) ★ 国土総合開発法 (S25) ★ 日本住宅公団法 (S30) ★ 愛知用水公団法 (S30) ★ 日本道路公団法 (S31) ★ 北海道・東北開発公庫法 (S32) ★ 工業用水事業法 (S33) ★ 特定港湾施設整備特別措置法(S34) ★ 首都高速道路公団法 (S34) ★ 治山・治水緊急措置法 (S35) ★ 豪雪地帯対策特別措置法 (S37) ★ 関越自動車道路建設法 (S38) ★ 自動車新税法 (S46) ★ 全国新幹線鉄道整備法 (S45) ★ 本州・四国連絡架橋公団法 (S45) ★ 自動車重量税法 (S46) etc
角栄の土建屋的問題意識が色濃く、 議員立法であれ、行政官庁から 立案に参加要請を受けた案件にせよ、上掲のリストは 総じて土木建築に関わるもの、臨時特別措置と名付けたもの、目的税化したもの、そして 矢鱈に 公社・公団を新設しようとしている点が 気になるところだが、角栄が 行政の隅々にまで 睨みを利かせていくプロセスが窺い知れる。彼の発想は 常に細かい気配りに裏付けられたもので、たとえば あまり知られていないが、議員在籍期間が10年あれば 一般庶民よりはるかに高額な “議員年金” を受けられるように仕組んでいるあたり、官公労・民間労組出身の議員が 参議院を2期勤めれば、引退後に優雅な老後生活を保証するもので 野党や労組対策としても 心憎いばかりである。
だが彼が 議員立法に手を染めるようになった当時の心情は、真摯に 国家の繁栄を願い 国民生活の向上を追及する姿勢から発したものと思われる。左にインサートした新聞記事画像は、昭和49年に改正成立していた いわゆる 「ガソリン税暫定引き上げ特別措置法」 が期限切れになって、ほんの1ヶ月ほど ガソリン価格がリッター当り25円安くなったころの 平成20年2月4日、朝日新聞・月曜コラムに掲載された 早野 透 さんの “ポリティカにっぽん” 「角栄と道路財源」 全文である。昭和27年 角栄が道路法を作り、翌28年ガソリン税を目的税化したことから 同49年 インフレ対策と総需要抑制のために、更に税率を上乗せするに至る経緯を、見事な筆致で 的確に活写されている。この文章は なまじっか私ごときが 下手に改竄してはならないと考え、先日 朝日新聞から正式に転載の承諾を得 敢えて写真画像とした。画像の上にマウスポインターを置き左クリックするとポップアップしてパソコンの画面いっぱいに拡大する。文字は若干小さめだが ルーペを利用すれば十分読み取れるので、若いころの角栄を知り、政治の現状を考えるうえでも、是非 読んでいただきたい記事である。
猶 画像の文章を無断で使用 又は転載することは 固く禁じられている。
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花 嫁 の 父 は 3 8 歳
昭和33年12月末、第2次岸内閣の警職法改訂の目論見、衆議院の抜き打ち30日間延長 など、強引な国会運営に反対して、三木武夫経企庁長官・灘尾広吉文部大臣と連袂(れんけつ)辞職した池田勇人に対し、翌34年7月 岸首相は通産大臣としての再入閣を求めた。池田にしてみれば 前年末に いわば辞表を叩きつけてから半年しか経っていないところだったし、去就に迷った。無論 池田派宏池会側近らは挙って反対である。
だが 嫌がる池田にひざ詰めで入閣を勧めたのは、田中角栄だったという。角栄はこのとき 池田に向かって 「官僚なんていうものは その地位から離れたら干乾しになる。全く無価値だ。大臣というものは なりたいと思ってもなれるものじゃない。チャンスは掴まなきゃ駄目だヨ」 そして “History of Modern Japan” によれば 「姻戚に当たる角栄は むりやり (池田) 満枝夫人に モーニングの用意をさせた」 とあった。池田勇人は 翌年 岸 信介 の後を襲って 第58~60代内閣総理大臣になる。
しかし 私は、それはナイだろ と思った。池田勇人と田中角栄が 姻戚関係であるはずがない。池田家といえば広島の素封家。代々 造り酒屋を営んできた由緒ある家柄である。遠く離れた越後の 水呑み百姓の子倅と繋がるとは 到底考えられなかったからだ。それでもと思って Web上で池田家の家系図まで取り出し、4代前まで遡って調べてみたが 無論 徒労だった。昭和34年の 【この年】 を書いていた 昨年11月のことである。結局そのときは 前(さき) の資料が間違っていると判断して 採りあげなかった。
ところが、今回 神 一行 の 「閨閥・新特権階級の系譜(毎日新聞社刊)」 を読んでいて、アッと 驚いた。池田と角栄とは まさに姻戚関係にあったのである。
池田勇人が国会議員に初当選すると同時に、第3次吉田内閣の大蔵大臣に大抜擢されたが、その陰に 吉田 茂 の女婿 麻生太賀吉と組んだ角栄の強力な推挽があり、そのことを知った池田が 角栄に 「政界に出て いちばん最初に借りを受けたのはキミだ。この恩義は忘れない。ボクに出来ることがあれば 遠慮なく言ってくれたまえ」 と感謝した話は 既に述べた。当時角栄は31歳だった。
それから7年が経ち、55年体制が確立して 自由民主党が誕生、鳩山一郎初代総裁のもとで 党政策審議会委員になったころ、妻のはなさんの連れ子 静子さんは、妙齢の娘盛りになっていた。義理の仲とはいえ 角栄も人の親、あるとき池田に 「実を言うと 俺には一人娘がいる。どこか良いところへ嫁がせたいんだが、世話をしてくれ」 と 頭を下げた。純粋な気持ちからだったろう。池田は黙っていたが、後日 自分の甥 (氏名 略) と 結婚させているのである。挙式は 昭和31年11月吉日、花嫁の父は 38歳であった。権謀術数渦巻く 政治の世界にあって、なんだか心温まる話ではある。
いい話を もうひとつ。 第25回総選挙 (抜き打ち解散 投票日S27・10・21) では、池田の秘書官 大平正芳が出馬しているが、池田との交流深い角栄は、ナゼか大平とウマが合い 誼(よしみ)を通じていた。せっかち角栄と アーウー鈍牛の大平とは、何とも奇妙な取り合わせであったが 大平の逸材を見抜いた角栄は、自分の選挙区をほったらかして 香川2区に貼りついた。後援会が固まってきた新潟3区は 62788票でトップ当選を果たしたが、角栄が入れ込んだ大平も見事初当選し、以後 田中・大平のコンビが 政治を動かすことになる。
“頼まれれば 越後からでも米搗きに来る” という古諺があるが、角栄には、頼まれなくても応援に入れ揚げる 義理堅さがあった。
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角 栄 の 官 僚 操 縦 法
「歴代総理の通信簿 (PHP新書)」 を書いた八幡和郎によれば、田中角栄ほど 霞ヶ関の官僚たちに好かれた政治家は いないのだそうだ。「なぜなら 彼は 省庁の壁や前例主義で 身動きがとれなくなっている官僚たちを、手品のようなアイデアで 救い出す術を心得ていたからである」 角栄は天才的な人心収攬術と、コロンブスの卵的な問題解決力を持っていたうえに、直感的に物事の本質を見抜く洞察力と、底知れぬ胆力を身につけていた。若年時代から 実社会の荒波に揉まれ 何回も修羅場を踏んできただけに、少々のことでたじろぐことはない。官僚にとっては 実に頼み甲斐のある人物だったのだ。自ら法律を書く能力を身につけていたから 生半 (なまなか) なことでは 騙 (だま) しは効かない。
そもそも 霞ヶ関の住人といえば、全国の秀才が 東京大学法学部を上位で卒業した連中で固められているのだが、頭脳の明晰さと 人間としての品性・品格は まったく別物で、官界に永年伝わってきた 卑しい根性と無責任な風土は 矯め直しようがなく、毎年、毎月 全省庁に亘って事件や悪事が 露顕しているところである。役人のトップである事務次官に昇進した人物と同期入省者は、いっせいに職を離れるという奇妙な慣例が存在するから、 世の顰蹙を買う天下りの押し付けと 受け皿作りが横行する。公務員を対象とする共済年金制度とともに 唾棄すべき “官尊民卑” の残滓である。
金権を以って伸し上がっていく角栄が 最初にカネを撒き始めたのは、腐臭漂う 官僚の世界からではなかっただろうか。さしづめ 建設・郵政・大蔵省の幹部辺りが 最も効果的だったと思う。“端た金” ではない。しょっちゅうではないものの、いわゆる 盆暮れ 冠婚葬祭の折、十万単位、百万単位の 桁外れなカネが配られた。役人どもは これを “別封” と呼んだ。百万円の借財に困っている者があると聞けば 三百万円渡した。「百万は借金返済に、百万は当座の生活費に、残る百万は不時の場合に備えて貯金しておけ…。返済は無用」 というわけである。官僚が 角栄に靡 (なび) かぬ筈がない。
角栄が出したカネは、“受け取らなければ ならなかった”。もし受け取らなかったら、角栄は その人物を “敵” と見做したからだ。何しろ かつて民自党の 「全国選挙地図」 を作り上げた男である。官僚個々の情報は 細部にわたって掌を指すがごとく知悉しており、役人の処遇は 角栄の恣意に拠って定まった。OBの天下り先、時としては天上がり (政界への出馬と当選)。角栄は政治的立場が強まっていくとともに 官僚の生殺与奪の人事権を握った。
建設省事務次官だったある人物が こう語っている。「矢張り田中さんには 道路財源を確保するガソリン税など、大変 恩義を蒙っていますからネ。(先生から) 頼まれたことは、断ることなく できる限り協力しています。省としても協力するにやぶさかではないでしょう」
昭和32年 「テレビ放送局の一括大量免許」 40年 「山一證券に対する日銀特融」 46年 「日米繊維交渉の解決」 など、角栄が鮮やかな政治的手腕を発揮し、また 全国新幹線鉄道整備法 首都圏高速道路公団法 など 数々の法律を成立公布していった陰に、金縛りに会い、自在に使いこなされた、無数の官僚たちがいたのだ
つ づ く。


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