昭和51年 (1976)
・
【デキゴト】
01・06 京都市 平安神宮の本殿など9棟が 放火で全焼
01・08 周恩来 中国首相 没 (78歳)
01・16 佐世保港を 原子力船 “むつ” の修理港とするよう 地元に要請方針
01・20 大和運輸が 究極のサービス業 「宅急便」 を開始 全国展開へ…
01・25 郵便料金値上げ はがき10円→20円 封書切手20円→50円
01・- 超音速機コンコルド ロンドン・パリから 1番機が同時刻に離陸
01・27 春日民社党委員長 衆議院で 「´33年の共産党スパイ査問事件」 を追求
01・31 鹿児島で5つ子が誕生 5/12 東京転医 9/27 母子共 全員元気に退院
02・04 米上院の公聴会でロッキード社の国外への巨額工作資金が問題化
(日本へは 商社丸紅などに1000万ドル ロッキード事件の発端)
02・.04 第12回冬季オリンピック・インスブルック大会 日本は65人参加
02・06 ロッキード社副社長コーチャン 小佐野賢治も工作に介在して 丸紅を通じ
200万ドルを政府高官に渡したと証言/野党4党 衆議院予算委員会
で ロッキード問題の追及を開始
02・16 衆議院予算委員会 国際興業社主小佐野賢治 全日空社長若狭得治 ら
02/17 には 丸紅会長桧山広 ら を証人喚問
02・16 政府 国連代表部公使に 緒方貞子を任命 (日本初の女性公使)
02・29 宇宙開発事業団 日本初の実用衛星 「うめ」 の打ち上げに成功
03・02 東アジア反日武装戦線 北海道庁を爆破 死者2人 重軽傷者95人
03・04 東京地検 児玉誉士夫をを臨床取調べ 3/13 脱税容疑で起訴
03・10 ソウル地検 金大中らを政府転覆扇動首謀者として逮捕
03・17 春闘共闘委員会 公共料金値上げ中止・雇用保険改善を要求 統一スト
03・29 黒澤明監督 「デルス・ウザーラ」 アカデミー最優秀外国映画賞 獲得
04・05 北京で 周恩来の遺徳を偲ぶ群集と 軍警が衝突 (第1次天安門事件)
04・07 中国 華国鋒が新首相に就任 鄧小平主席を解任
04・09 新潟県 国営干拓地農民 政府の畑作転換に反対し 稲作の耕耘 開始
04・20 国労・勤労と私鉄総連大手11組合 72時間ストに突入 4/22 妥結
04・14 最高裁 47年総選挙の千葉1区の定数不均衡 違憲判決(選挙は有効)
04・23 政府 狂乱物価終結と宣言 5/1 から指定生活物資を全面解除
04・28 横田基地の米軍機夜間飛行禁止を求め 住民団体 東京地裁に提訴
05・01 政府 果汁・フィルムの完全資本自由化実施(農水産等例外4業種除く)
05・04 熊本地検 水俣病の責任で チッソ社長・元工場長を起訴
05・08 探検家 植村直己が 北極圏を単独犬ぞりで 踏破横断に成功
05・13 政界に 「三木下ろし」 工作表面化 (以後 7ヶ月に及ぶ党内抗争に発展)
05・14 衆議院にロッキード問題調査特別委員会設置 5/19 参議院にも設置
05・15 “神戸まつり” で 暴走族と見物人1万人が合流して暴動化 1人死亡
06・04 日経連調べ 今春闘賃上げ平均額1万1775円 8.8%のアップ
06・04 マルチ商法などを規制する「訪問販売等に関する法律」公布 12/3・施行
06・13 革新の平良幸市 沖縄県知事に当選
06・15 北海道 東北 北陸 九州 電力4社値上げ認可 平均27.07%
06・15 民法改正により 離婚後の姓の自由が認められる
06・22 東京地検・警視庁 “ロッキード”で 丸紅前専務大久保利春ら4人を逮捕
06・25 河野洋平ら衆・参6議員 自民党を離脱 “新自由クラブ” を結成
06・27 プエルトリコ・サンファン(米) で第2回サミット カナダ初参加 G7に…
06・28 自然保護団体が反対する 長野県の“ヴィーナス・ライン” 環境庁認可
07・02 ベトナム社会主義共和国樹立を宣言 (南北ベトナム統一)
07・02 本四連絡橋 神戸~鳴門ルートの大鳴門橋起工式 徳島・鳴門で挙行
07・08 ロッキード… 若狭 全日空社長 逮捕 7/13 檜山 丸紅前会長 逮捕
07・17 第21回 モントリオール・オリンピック開催 (~8/1)
07・20 オリンピック・男子体操団体で日本チーム 総合5連覇
07・20 米無人探査機バイキング1号 火星に軟着陸 窒素存在等 データ送信
07・27 東京地検 ロッキード事件で田中角栄前首相を逮捕
8/16 受託収賄罪と外国為替法違反で起訴
08・03 群馬・本白根山で 高碕女子高の生徒ら20人 噴出硫化水素ガス中毒
08・06 福島地検 件大規模開発事業で 木村守江知事を収賄容疑で逮捕
08・09 長崎原爆犠牲者慰霊記念式典に歴代首相として初 三木首相が出席
08・19 三木首相の退陣を要求する自民党6派 挙党体制確立協議会を結成
08・20 中部 東京 中国 四国 電力4社の値上げ認可 平均21.67%
08・20 新幹線 “こだま” に 初の 「禁煙席」 が登場
08・20 東京地検 ロッキード事件で 佐藤孝行 元運輸政務次官を逮捕
8/21 橋本登美三郎 元運輸省も逮捕
08・31 国鉄の 50年度累積赤字 3兆1610億円に達する
09・01 日本新聞協会加盟64社共同出資で プレスセンタービルが完成
09・06 北海道・函館空港に ソ連ミグ25型戦闘機が強行着陸
09・09 毛沢東 中国共産党主席 没 (82歳)
09・12 台風17号による豪雨で 岐阜県安八町で長良川の堤防が決壊
10・10 巨人・王貞治選手 後楽園の対阪神戦で2本塁打を放ち
ヤンキース ベーブ・ルースの世界記録 714本に並ぶ
10・13 最高裁 香川県の財田川事件(25年)で 死刑囚に初めて再審 決定
元判事上がりの弁護士が 警察の捏造を暴き ´58 03/12 無罪確定
10・22 鬼頭史郎 京都地裁判事補 三木首相へのニセ電話 判明
8/4 に検事総長名を騙って 「指揮権を発動してはどうか」 と…
10・22 中国 江青女史ら “文革4人組” を逮捕 文化大革命の経緯を公表
10・26 51年度文化勲章に作家 井上 靖ら 文化功労者に 黒澤 明監督ら
10・29 政府 昭和52年度以降の 「防衛計画大綱」 を決定
11/05 今後 毎年度の防衛費を GNPの1%以内にすると決定
10・29 山形県・酒田市の繁華街で 強風の中 1774棟を焼く大火が発生
11・03 米大統領に 民主党のジミー・カーターが当選
11・04 国鉄運賃(平均50.3%) 電報・電話料金値上げ 臨時国会で成立
11・05 福田赳夫 副総理・経企庁長官 反三木を明確にするため辞任
11・10 天皇在位50年 記念式典日本武道館で 開催
11・15 第34回 衆議院選挙が公示 (戦後初の 任期満了による総選挙)
11・17 中国が水爆実験(5回目) 米推測では4メガトン級で 過去最大規模
11・24 東洋バルブ 840億円の負債を抱え会社更生法適用申請 倒産
11・29 ゼリア新薬工業が 「丸山ワクチン」 の新薬認可を厚生省に申請
11・30 EC首脳会議 対日貿易不均衡是正宣言 を採択 (輸入制限は回避)
12・05 第34回 総選挙 自民249 社会123 公明55 民社29 共産17
新自由ク17 無所属21 (自民敗北 中道伸張・保革伯仲状態)
12・17 三木首相 退陣表明
12・21 「1等1千万円が40本のジャンボ宝くじ」 発売 客殺到で死者も…
12・24 三木内閣総辞職 福田赳夫内閣成立 外務・鳩山威一郎 大蔵・坊秀男
● 戦後生まれが 総人口の過半数に… ● ロッキード事件 前首相の逮捕
・
【物 価】
国鉄旅客運賃 普通 上野~青森 5300円 新橋~大阪 4300円
国鉄 運賃を約50%値上げ 新幹線グリーン車が 航空機料金より割高に…
郵便切手 封書 50円 はがき 20円 電話ダイアル通話単位料金 7円 → 10円
白米(10kg) 2587円 瓶ビール 195円 かけそは 230円 銭湯 120円
国家公務員初任給 86000円 対卒男子初任給 91700円
都市サラリーマン平均月収 250098円
【流行語】
お前も役者だのウ 灰色高官 ピーナッツ 偏差値 DH制
記憶にございません フィクサー サーフィン はしゃぎすぎ
【新製品】
カ メ ラ 連写一眼レフ AE-1 キャノン 8万1000円
ラジカセ MAC RS-4100 松下電器 4万6800円
冷蔵庫 3ドァ冷凍冷蔵庫 アラスカ シャープ 17万5000円
コンピュータ マイコントレーングキット TK‐80 日本電気 8万8500円
オートバイ ホンダ・ロードパル 本田技研 5万9800円
ビデオデッキ ビデオカセッター HR-3300 日本ビクター 25万6000円
【ベストセラー】
翔 ぶ が ご と く 1~7 司 馬 遼 太 郎 文 芸 春 秋
限りなく透明に近いブルー 村 上 龍 講 談 社
不 毛 地 帯 1~4 山 崎 豊 子 新 潮 社
青 春 の 門 堕落篇 五 木 寛 之 新 潮 社
新 西 洋 事 情 深 田 祐 介 新 潮 社
毎 日 が 日 曜 日 城 山 三 郎 新 潮 社
【流行歌】
四 季 の 歌 作詞・作曲 荒木とよひさ 歌手・芹 洋子
昔の名前で出ています 作詞・星野哲郎 作曲・叶 弦大 歌手・小林 旭
お ゆ き 作詞・関根浩子 作曲・弦 哲也 歌手・内藤国雄
嫁 に こ な い か 作詞・阿久 悠 作曲・川口 真 歌手・新沼謙治
東 京 砂 漠 作詞・吉田 旺 作曲・内山田 洋 & 歌手・クールファイブ
【野 球】
プロ野球 優勝 セ・リーグ = 巨人 パ・リーグ = 阪急
日本シリーズ 阪 急 4勝 3敗
★ 張本 勲 (巨人) 通算2500安打を記録
★ 王 貞治 (巨人) 715本塁打を打って ベーブ・ルースの記録を抜く
第48回 選抜高等学校野球大会 広島・崇徳 5-0 小山・栃木
第58回 全国高等学校野球選手権大会 西東京・桜美林 4-3 PL学園・大阪
【邦 画】
男はつらいよ
寅次郎 夕焼け小焼け 山田洋次監督 渥美 清 太地喜和子
不 毛 地 帯 山本薩夫監督 仲代達矢 丹波哲郎
犬 神 家 の 一 族 市川 崑 監督 石坂浩二 島田陽子
あ に い も う と 今井 正 監督 草刈正雄 秋吉久美子
【洋 画】
タクシー ドライバー マーティン・スコセッシ監督 ロバート・デ・ニーロ J・フォスター
大 統 領 の 陰 謀 アラン・J・バクラ監督 ロバート・レッドフォード ダスティン・ホフマン
カッコーの巣の上で ミロス・フォアマン監督 ジャック・ニコルソン ルィーズ・フレッチャー
バ リ ー ・ リ ン ド ン スタンリー・キューブリック監督 ライアン・オニール ほか
狼 た ち の 午 後 シドニー・ルメット監督 アル・パチーノ ジョン・カザール
【この年】
昭和49年 田中角栄が金脈批判を受けて退陣したあと、椎名裁定による三木武夫内閣が発足し、福田・大平 と 飛車角揃えた挙党体制で 落ち込んだ自民党の信頼回復に臨んだのだが、オイルショックに見舞われ 物価の高騰・不況の深刻化や公労協のスト騒ぎ 連続企業爆破事件など過激派学生の蠢動で、社会不安が尾を曳き、三木政治は 終始不安定であった。
三木自身が持つクリーン・イメージ 田中政治の反動で、ともかくも 国民の支持率40%以上を維持しつつ、 ジャーナリズム受けと 野党との対話で 理想主義を前面に出したものの、足許の党内コンセンサスは とかくなおざりになりがちだった。従来 小派閥をかこってきたために、時としてキャスティング・ボートを握ることはあったとしても、主体的に 他派閥との積極協調を推進した経験にも乏しかったし、のちに触れるが 三木とは政治姿勢が似通った 河野洋平・田川誠一ら若手が自民党の腐敗に嫌気して離党 「新自由クラブ」 を結成したことも痛かった。
党内や財界に反対があった 「独占禁止法改正法案」 を 野党の支持によって衆院を通過させたあたりから、三木の擁立者を以って任ずる椎名悦三郎の不興を買う。党内に於ける地盤が揺るぎはじめ 政策遂行に齟齬をきたすようになると、三木は 福田や中曽根に協力を呼びかけ、万事 妥協を図るようになる。例えば 党内保守・中曽根派に意を用いてか、8月15日に靖国神社に参詣したが 「私人として…」 と付け加えた。この一言が 後に 総理大臣の靖国参拝を 「公的か 私的か」 と論議されるもととなった。また 三木首相は、51年8月9日 「長崎原爆犠牲者慰霊記念式典」 に 歴代首相として 初めて出席している。
政府は4月下旬に 「狂乱物価終結」 を宣言、5月から 「指定生活物資」 を解除したが、公共料金をはじめ 諸物価の騰貴が沈静化したわけでは 決してなかった。6月 北海道・東北・北陸・九州電力各社で 平均27.07%の電力料金引き上げに続き、9月には 中部・東京・中国・四国の電力各社が、平均21.67%の料金引き上げ認可を受けた。50年度累積赤字が 3兆1610億円に達したと発表した国鉄が、11月 旅客運賃を 平均50.3%引き上げ、電報・電話料金の値上げ案も臨時国会を通った。
停滞・混迷を続ける政界に 海外から衝撃的なニュースが飛び込んできたのは、2月4日のことであった。アメリカ上院多国籍企業小委員会の公聴会で、ロッキード社が 日本ほか各国の有力者に、航空機の売り込みのため 巨額の資金を ばら撒いていたことが暴露されたのだ。続報によれば、対日工作費は1000万ドル(当時のレートで 約30億円)。ロッキード社副社長アーチボルト・コーチャンは 公聴会に於いて、日本の秘密代理人児玉誉士夫に (児玉は既に昭和44年1月15日付ロッキード社の売り込みコンサルタント契約を締結していた) 21億円を手渡し、それらは 国際興業の小佐野賢治と 日本での正式代理店だった商社丸紅の伊藤宏専務らを通じて、“日本政府高官” に支払われたと証言した。これが 全日空への大型旅客機 「トライスター」 売込みにかかる一大疑獄事件の発端であった。←―(事件史探求より)
このニュースを受けた三木首相の反応は早かった。直ちに事件真相の徹底追及を声明、フォード米大統領に親書を送って関係資料の送付を求めた。国会では野党4党が 衆議院予算委員会でロッキード問題の追及を開始、国際興業社主小佐野賢治、全日空社長若狭得治、丸紅会長檜山宏・同専務大久保利春らを 相次ぎ証人喚問したが、その情景は つぶさにテレビ映像として流れ 白々しい証人の応答に、国民の憤激ボルテージは上がった。、病気と称して病院に逃げ込んだ児玉誉士夫を 予算委員長田中伊佐治が臨床で取り調べたほか、日米検察が協力して 特捜本部から堀田検事らをアメリカに派遣、詳細 証拠の収集を行なうなどした。法務大臣稲葉 修は そのプロセスでしばしば過激な発言を繰り返したものだ。「捜査は奥の奥まで 神棚の中までやる」 などといわれては スネにキズ持つ者は 震え上がっただろう。
政界浄化を大きなテーマとしていた三木首相にしてみれば、ロッキード疑惑の徹底究明は当然のことであったし 聊かも手を緩める気持ちはなかった。世論の支持を回復させることは 党内指導力を強めることに繋がるからである。だが 三木の姿勢は党内の反発を招いた。「三木の独走」 「三木には惻隠の情がない」 惻隠の情とは 相手を思いやり憐れむ心ということだが、まさか 田中角栄を不憫(ふびん)がることもなかろうに…。既にアンチ三木サイドに在った椎名悦三郎は 「三木君は 少しはしゃぎすぎている」 といった。大いにはしゃいだのは 稲葉 修だったのではないか。だが その椎名の呟きが 自民党内に “第1次三木おろし” を惹き起こす。
しかし 椎名による三木おろし工作は ジャーナリズムと世論が許さなかった。三木擁護の論調は高まり 椎名の工作は 「ロッキード隠し」 だと厳しく指摘されたのである。現実の動きとしては、6月から7月にかけて 丸紅の檜山・大久保・伊藤、全日空若狭ら贈賄側、そして コーチャンが洩らした日本政府高官 “田中角栄前首相” が 7月27日 それぞれ逮捕された。
“第2次三木おろし” が始まったのは、田中が2億円の保釈金を積んで8月17日 目白御殿に帰ってきてからのことである。「親分危うし!」 と田中派など反三木グループが、「前首相の逮捕という不祥事を招来した責任を取って 三木内閣は即刻 総辞職すべし」 というのだ。むろん 福田・大平派も加わって 「挙党体制確立協議会=挙党協」 が結成された。これから後の三木首相は、圧倒的多数の党内親田中勢力を相手に 粘りに粘った。挙党協は 両院議員総会の開催を要求、数の力で三木を退陣に追い込もうとしたのである。開催要求には閣僚15人も署名していたというが 「力づくの退陣には 絶対に応じない」 として 伝家の宝刀=解散総選挙に打って出るタイミングを計った。
この時も 世論は三木に味方した。ジャーナリズムも 反三木派を徹底的に叩いた。歴史に “もしも” は許されないが、あるいはこの時 三木が抜き打ち解散に踏み切っていれば、“コップの中の嵐” を苦々しく見つめていた国民は 三木に軍配を挙げていたと思われるが、土壇場で三木は逡巡した。結局三木は 12月 衆議院議員の任期満了に伴なう選挙を選択するのだが、自民党にとっては分裂選挙であった。挙党協は福田赳夫を次期首班に押したてて 党本部とは別に選挙対策本部を設けた。この結果 議員定数を 491から511に 20議席増やしたにも拘わらず、自民党は 前回議席を22減らす惨敗に終わった。(自民249 社会123 公明55 民社29 共産17 新自由ク17 無所属21) 先に 政治倫理のありようを巡って 自民党を離党し、「保守政治の刷新」 を掲げて 河野洋平、田川誠一ら若手6人が結成していた 「新自由クラブ」 は ブームを巻き起こして 一挙に17人を当選させ 党勢を伸ばした。
三木内閣は敗北の責任を取って総辞職した。しかし 自民党の敗退は、三木内閣の施政が批判されての結果ではなく、明らかに 依然として 田中角栄的残滓を引きずった 自民党の体質そのものに対して 国民の鉄槌が下されたものと、私は記憶している。
一国の宰相に 真に求められる資質とは、教養に裏付けられた高い見識と 信念ある行動力、国民の幸福を希求する使命感に発する強力なリーダーシップ に在ると思う。
三木武夫は 明治40年(1907) 徳島の産。アメリカ留学を経て 昭和12年明治大学を卒業、同年 弱冠30歳にして帝国議会議員に当選している。以来 一貫して軍部に対する批判的な立場を取りつつ 対米戦争反対の論陣を張り、翼賛選挙にも 官憲の妨害に曝されながら非推薦で議席を確保した。戦後は 保革双方に対して 常に一線を画した中庸政党に籍を置いて 指導的立場に立った。55年体制以後は 石橋・岸・池田・佐藤 歴代内閣の党幹事長や 外務大臣などの要職を歴任した。椎名裁定により首相の座に就いたときは議員歴37年、その清廉潔白で 「信なくば 立たず」 とする政治姿勢は、“クリーン三木” “ 議会の子” と畏敬され一派を率いた。同志政治家には 井出一太郎、鯨岡兵輔、松村謙三、宇都宮徳馬 ら高潔の士が多い。
面白いエピソードを見つけた。昭和41年 佐藤内閣の 「黒い霧解散」 の因を作った一人、のちに “政界の寝業師” の異名をとった松野頼三が、自伝 「政界60年」 の中で、自身が最も輝いた時期は 政調会長に任用された 「三木内閣の2年間」 だったと述懐しているというのである。 曰く 「この人(三木)と意見は少し違っても 政治家として尊敬できる立派な国士だと思った」 曰く 「三木さんの “国民と手を握る政治” に ぐんぐん引き込まれ始めていたのかも知れない」
曰く 「大衆と世論に基づいて政策を判断する政治家」 と クセ者・松野にしては よほど三木首相に惚れ込んだらしい。←(河原雄三のアングル2008 より)
松野の言葉に 三木武夫の人柄が偲ばれるようで、せめて もう3~4年、政権を委ねたかった気がする。
・
海外に眼を転じると、この年1月8日 周恩来(78歳)、9月9日毛沢東(82歳) と 大物二人が相次いで死去した。国家主席後任の華国鋒は 10月20日 江青ら四人組のクーデターを察知して逮捕、10年余りに亘って続いた文化大革命の終息を公表した。4月5日清明節には 故周恩来首相の遺徳を偲んで 自然発生的に天安門に集まった北京市民に対し、官憲が発砲する騒ぎが起こった。いわゆる “第1次天安門事件” である。
韓国では 朴正熙大統領を批判する 「民主救国宣言」 を発表した金大中が 「政府転覆煽動首謀者」 として 3月10日に逮捕され、死刑の宣告を受けたが処刑は免れた。前年の東京における拉致事件といい、後に韓国大統領になって “太陽政策” を打ち出し ノーベル平和賞を受けたが、金氏もまた 波瀾に満ちた政治家であった。長い抗米戦争の苦難を克服して 7月2日 ベトナムが 「社会主義共和国」 の樹立を宣言、南北統一の悲願を達成した。同時期 タイに脱出してきたカンボジア難民から、ポル・ポト政権が 自国民を大量に虐殺している事実が伝えられた。その数は 無慮数百万にのぼり カンボジア全土が “キリング・フィールド化” しているといわれた。
7月 アメリカの無人探査機 “バイキング1号” が、初めて火星の表面に軟着陸。窒素の存在や写真など 貴重なデータを送信してきた。また 招かざる客もやってきた。8月6日 北海道・函館空港に ソ連のミグ25型戦闘機が強行着陸して来たのである。操縦士 ベレンコ中尉は希望通りアメリカに亡命した。そのアメリカでは、民主党のジミー・カーターが大統領に当選した。彼がジョージァ州知事時代 “ゼロ・ベース予算制度” を実施して著効を挙げたと聞き、私なども社内で 大いにキャンペーンを張ったことを想い出す。
国内では、新年早々 おめでたいニュースが電波に乗った。1月末 鹿児島で五つ子が誕生したと言うのである。父親はNHKの政治部記者、母親は 排卵誘発剤を投与されていたという。京都清水寺の大西管長が名付け親になって、福太郎、寿子、洋平、妙子、智子 の五児は 5月 東京へ転医、9月27日 母子揃って元気に退院、両親の暖かい懐で健やかに育っていると伝えられ、日本中が等しく口元をほころばせた。1月には大和運輸が 「クロネコ・ヤマトの宅急便」 を創業した。イトーヨーカドーの コンビニエンス・チェーン 「セブン・イレブン」 の展開とともに “究極のサービス業” と もてはやされた。
5月、前年グリーンランドを踏破した冒険家植村直巳が、こんどは北極圏を犬ぞりで1万2千キロ 単独横断に挑み成功した。第21回モントリオール・オリンピックで、日本男子体操チームが総合優勝。5連覇を成し遂げている。10月10日 東京後楽園球場 対阪神戦で、巨人軍 王 貞治選手が 2本のホームランを放ち通算715号、ベーブ・ルースの世界記録 714本を抜く偉業を達成した。
災害も起こった。9月12日 台風17号による豪雨で長良川が氾濫、岐阜県安八町の堤防が決壊し 隣接する墨俣町も含めて ほぼ全域が冠水。晩秋の日本海低気圧がもたらした強風に煽られ、山形県酒田市に大火が発生 繁華街を中心に11時間延焼して、1774棟を焼き尽くした。
この年 昭和51年も、ロッキード事件に明け暮れながら、実にさまざまなデキゴトが 交錯したのであった。
・
参考資料:日本近現代研究 (History of Modern Japan) ←geocities.jp
| 固定リンク
「昭和史」カテゴリの記事
- 昭和58年 (1983)(2009.06.22)
- 昭和57年 (1982)(2009.06.07)
- 昭和56年 (1981)(2009.04.25)
- 昭和55年 (1980)(2009.02.26)
- Y の 昭 和 史 目 次(2009.04.07)


コメント