昭和38年(1963)
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【デキゴト】
01・01 フジテレビ 国産初のテレビアニメ 手塚治虫の 「鉄腕アトム」 放映開始
01・06 大阪~神戸間に大動脈 阪神第2国道 突貫開通 (現43号線)
01・09 ライシャワー米大使 原子力潜水艦の日本寄港を申し入れ
01・14 ド。ゴール大統領 英のEEC加盟と NATOの核保有に反対を表明
01・23 北陸地方に豪雪 6日間で死者84人にのぼる
01・30 新潟県 長岡市で 最深積雪量318cmを記録
02・10 福岡県 東部5市が合併 「北九州市」 が発足
02・14 デヴィッド・リーン監督 「アラビアのロレンス」 封切り
02・16 名古屋~四日市 間に 「名四国道」 が開通
02・16 熊本大研究班 水俣病の原因を日本窒素の工場廃液と結論
02・20 ガット理事会で 日本 11条国(貿易収支を理由に貿易制限禁止)に移行を通達
02・27 住宅公団 6団地の応募8万件 公団発足以来最高記録に…
02・28 共犯2人の偽証告白で “昭和の岩窟王” 吉田石松に50年振り 無罪判決
03・01 黒澤 明監督 「天国と地獄」 三船敏郎 山崎 努主演 封切
03・11 宮内庁 雑誌 “平凡” 連載小説 「美智子様」 の中止を申し入れ
03・15 最高裁 公共企業体職員のストは 刑事責任を問われると判決
03・29 政府 ビルマとの経済技術協力・借款供与の交換文書に 調印
03・30 東海道新幹線 速度向上試験で 時速256kmの世界新記録樹立
03・31 東京・台東区で 4歳の男児が誘拐される (吉展ちゃん誘拐事件)
04・07 NHK大河ドラマ 第1作 「花の生涯」 放映開始
04・17 第5回 統一地方選挙 横浜市長に飛鳥田一男 (社) 大阪市長に中馬 馨 (革新)
04・25 大阪駅前に 日本初の “横断歩道橋” 完成
05・01 オリンピックに備え 警視庁が国際標準の “絵柄” 道路標識を使用
05・04 埼玉県・狭山市で 捜索中の女子高生の遺体発見 (狭山事件)
05・13 日教組・出版労組など36団体 「教科書国家統制粉砕推進会議」 を結成
05・22 アフリカ独立諸国首脳会議 統一機構 (OAU) 憲章に調印
05・26 横綱 大鵬 大相撲夏場所で 史上初の6場所連続優勝
06・05 黒部川の 関西電力 「第4発電所 (黒四ダム)」 完工式
06・05 舟木一夫の “高校三年生” 三田 明の “美しき十代” がヒット
団塊の世代が高校3年生に成長 世の中に風を吹き込み始める
06・16 ソ連宇宙衛星 ヴォストーク6号から 世界初の女性宇宙士
テレシコワが 「ヤー チャイカ( 私はカモメ) と 地球にコールサイン
06・17 坂本 九の “上を向いて歩こう” が “スキヤキ” のタイトルで
アメリカ ・ ビルボード 誌のベストテン 第1位にランクと新聞報道
06・19 米ケネディ大統領 これまでで最も徹底した 「公民権法案」 を議会に提出
06・20 米・ソ 首脳間に 直接通信 (ホットライン) 開設で協定 調印
06・26 三井鉱山労働組合 合理化反対ストに突入
06・29 政府 資本取引の自由化を含む 外国為替管理令を改正 公布
06・30 プロ野球 金田正一投手 通算 311勝の日本新記録を達成
07・02 今井 正監督の 「武士道残酷物語」 ベルリン国際映画祭で “金熊賞”
07・05 中ソ共産党会議 モスクワで開催するも (~7/20)決裂 対立激化
07・07 アルフレッド・ヒチコック監督の映画 「鳥」 封切り
07・08 防衛庁 国産初の 空対空ミサイル試射実験に成功
07・12 閣議 新産業都市13ヶ所 工業整備地域6ヶ所を決定
07・15 建設中の名神高速道路のうち 栗東~尼崎間が部分開通
07・17 英ダブリンでの 「技能五輪」 で日本 金メダル10個を獲得
07・18 第2次池田内閣改造 法務 賀屋興宣 大蔵 田中角栄
07・19 東京証券市場 ケネディの 「ドル防衛策」 に嫌気して 開所以来の暴落
07・20 中小企業基本法 公布
07・26 経済協力開発機構 (OECD) 日本の加盟を承認
08・03 厚生省 日本人の平均寿命を 男性66歳 女性71歳 と発表
08・05 第9回 原水禁世界大会 社会党・総評系ボイコットで分裂
08・05 米・英・ソ 部分的核実験停止条約 (PTBT) に 調印
08・07 国連安保理 南アフリカへの武器輸出禁止を決議
08・13 全国高校野球選手権大会 (甲子園) で 沖縄・首里高校が初勝利
08・15 政府主催 第1回 全国戦没者追悼式 挙行される
08・17 日本原子力船 開発事業団 発足
08・28 米国で 人種差別撤廃・雇用拡大要求の 「ワシントン大行進」 起こる
08・30 国土地理院 基本地図に25000分の1を採用と決定
08・31 政府 砂糖・化粧品等 輸入自由化品目を追加 (自由化率92%)
09・01 国鉄 列車自動停車装置 (ATS) の使用開始
09・05 東京地下鉄・京橋駅停車中の電車で 時限爆弾爆発 (草加二郎事件)
09・12 最高裁 松川事件再上告を棄却 被告全員無罪確定
09・15 奈良国立博物館 中宮寺旧寺跡で
「法隆寺若草伽藍」以前の建物と推定される塔の跡を発掘
09・18 海老原博幸 ボクシング フライ級 世界チャンピオンに…
10・02 IMF先進10ヶ国 蔵相代理会議の発足を言明
(国際通貨制度についての 全面的再検討始まる)
10・02 国税庁 昭和37年度 民間給与実態調査結果を発表
賃金上昇で 納税人口が30年の50%から68%に増加
10・04 東京・国立競技場 拡充工事完了 竣工を披露
10・11 第4回 日米安全保障協議委員会 開催
10・11 オリンピック・リハーサル 東京国際スポーツ大会 開催
10・11 西ドイツ アデナウアー首相辞任 11/17 エアハルト内閣成立
10・17 プロ野球 南海・野村克也捕手が52号本塁打の日本記録を達成
10・23 衆議院解散 (俗にムード解散) 東京五輪を控え解散気運あり
10・26 東海村原子力研究所 原子動力炉の発電実験に成功
11・01 大蔵省 偽札対策として (肖像・伊藤博文) の新千円札を発行
11・01 南ベトナムで軍事クーデター ゴ・ジン・ディエム大統領は死亡
11・09 横浜・鶴見の東海道線で列車の二重衝突事故 死者161人
11・09 三池三川鉱で 炭塵爆発事故 死者458人
11・21 第30回総選挙 自民283・ 社会144・ 民社23・ 共産5
11・21 国際港・神戸のランドマーク ポート・タワーが完成
11・22 J・F・ケネディ大統領 遊説先のダラスで狙撃暗殺される (46歳)
即日 副大統領L・B・ジョンソンが米大統領に昇格 宣誓
11・22 初の日米間衛星テレビ生中継 ケネディ大統領狙撃をライブ実写
12・08 プロレスの人気者 力道山 暴力団員に刺殺される
12・09 第3次池田内閣成立 全閣僚留任
12・09 鹿児島に宇宙空間観測所 開設
12・11 航空審議会 新東京国際空港建設候補地を千葉県美里町にと答申
12・12 映画監督 小津安二郎 没 ( 60歳)
12・16 東京都 放射7号線道路が全通
12・17 韓国 ソウルで 朴正熙大統領の就任式
12・21 首都高速道路 1号線が一部開通 日本橋が高架の下に…
12・21 教科書無償措置法 公布
12・26 最高裁 砂川事件上告を棄却 (7被告全員有罪確定)
【物 価】
住宅用電話基本料金 700円 公衆浴場 23円 ビール 115円
国立大学授業料 年額 1万2000円
【流行語】
三ちゃん農業 小さな親切運動 バカンス OL TPO
へんな外人 カワイコちゃん あゆみの箱
【新製品】
曜日表示つき自動巻き腕時計 「セイコー・スポーツマチック 5」 精工舎
紙おむつ タッパーウェア 電気蚊取り器フマキラー・ベープ
【ベストセラー】
危 な い 会 社 占 部 都 美 光文社カッパブックス
春 宵 十 話 岡 潔 毎日新聞社
本の中の世界 湯 川 秀 樹 みすず書房
物の見方 考え方 松下幸之助 PHP研究所
太平洋一人ぼっち 堀 江 謙 一 舵 社
【流行歌】
東 京 五 輪 音 頭 作詞・宮田 隆 作曲・古賀政男 歌手・三波春夫
見上げてごらん夜の星を 作詞・永 六輔 作曲・いずみたく 歌手・坂本 九
高 校 三 年 生 作詞・丘灯至夫 作曲・遠藤 実 歌手・舟木一夫
こんにちは赤ちゃん 作詞・永 六輔 作曲・中村八大 歌手・梓みちよ
浪 曲 子 守 歌 作詞 作曲・越 純平 歌手・一節太郎
【野 球】
プロ野球 優勝 セ・リーグ = 巨人 パ・リーグ = 西鉄
日本シリーズ 巨人 4勝 3敗
この年 巨人軍長嶋茂雄選手が 首位打者・打点王に輝き
王 貞治選手はホームラン王を獲得 ふたり合わせて三冠王となった
第35回 選抜高等学校野球大会 山口・下関商 10-0 北海 ・北海道
第45回 全国高等学校野球選手権 大阪・ 明星 2-1 下関商 ・山口
【邦 画】
にっぽん昆虫記 今村昌平監督 左 幸子 小沢正一 岸 輝子
天 国 と 地 獄 黒澤 明 監督 三船敏郎 香川京子 山崎 努
五番町夕霧楼 田坂具隆監督 佐久間良子 河原崎長一郎
太平洋ひとりぼっち 市川 崑 監督 石原裕次郎 森 雅之
武士道残酷物語 今井 正 監督 中村錦之助 東野英治郎
とやかな獣 川島雄三監督 若尾文子 伊藤雄之助 ら
彼 女 と 彼 羽仁 進 監督 左 幸子 岡田英治 ら
白 と 黒 堀川弘道監督 小林桂樹 仲代達矢 ら
非 行 少 女 浦山桐郎監督 浜田光男 和泉雅子 ら
【洋 画】
アラビアのロレンス デヴィッド・リーン監督 ピーター・オトゥール アンソニー・クィン
鳥 アルフレッド・ヒッチコック監督 ティッピー・ヘドレン ロッド・ティラー ら
クレオパトラ ジョセフ・L・マンキーウイッツ監督 エリザベス・ティラー レックス・ハリソン
大脱走 ジョン・スタージェス監督 スディーヴ・マックイーン J・アッテンボロー
シベールの日曜日 セルジュ・ブールギャニョン監督 パトリシア・コッジ ら
地下室のメロディー アンリ・ヴェルヌィユ監督 ジャン・ギャバン アラン・ドロン ら
僕の村は戦場だった アンドレィ・タルコフスキー監督 ニコライ・ブルリャーエフ ら
酒とバラの日々 ブレイク・エドワーズ監督 ジャック・レモン リー・レミック ら
シャレード スタンリー・ドーネン監督 オードリー・ヘプバーン ケィリー・グラント
ピアニストを撃て フランソワ・トリュフォー監督 シャルル・アズナブール M・デュポワ
第七の封印 イングマール・ベルイマン監督 マックス・フォン・シドー ら
【この年】
前内閣を統べた岸 信介曰く、「宰相たるものは、経済は官僚に任せて 何か問題が起きたときに乗り出せばよい…」 と。 ある意味では卓見といえよう。岸に政権が転がり込んできた時代は、十数年前まで 猖獗を極めていた戦後のハイパー・インフレと それに続くデフレーションも沈静しており、教員の勤務評定をめぐる日教組との確執、炭鉱でのスト、警職法問題、安保条約改定反対運動で 騒然となってはいたものの、世上は “神武景気” の到来に沸き 国民生活に多少のゆとりが萌していた。その中で 時期が到来していたとはいえ、岸は、反動的高姿勢で日米安全保障条約の改訂を強行、高転びに転んでしまったのである。
これに対し 池田は、真っ向から経済を主題とした政治路線をとり はや3年目を迎えていた。“経世済民” 経済とは、「国を治め、民を苦難から救って 幸せに導く」 謂 である。組閣に際して彼は 労働大臣に石田博英を配し、焦眉の急務とされた三井三池の炭鉱争議を解決せしめ、その年の内に衆議院を解散して選挙に大捷した。このときの解散は、日米安保条約改訂の是非を問うたものとして “安保解散” と称されたが、実質的には池田内閣の 「所得倍増政策」 を 国民が支持した結果だった。
´61年 池田は訪米して J・F・ケネディ大統領と会談、相互に共感し合ってイコール・パートナーシップを構築した。言うまでもなく “国民所得倍増” 政策は池田内閣の金看板である。先に触れた 「全国総合開発計画」 を根幹に据え、産業別・地域間別 格差の是正や、道路、上・下水道など 社会のインフラを整備、人材の育成、老人福祉法・児童扶養手当法の公布、資本・貿易の自由化など、実に細かく目配りを利かせた施策を推進している。池田内閣は、絶妙のバランス感覚を持っていたのだ。 (…このときはまだ 公害についての懸念認識はなかった…)
岸時代に ギクシャクしていた対中国関係も、´62年に派した高碕達之助と 中国 廖承志の間で調印された 「日中総合貿易覚書」 により、官民提携の大規模な交易が実現した。いわゆるLT貿易である。池田は在任中 二度の東南アジア訪問と、´62年にはヨーロッパ各国を歴訪している。その際彼は、トランジスタ・ラジオを携行し、対面した首脳に 日本の復興とその技術力を誇示した。
ド・ゴール大統領からは 「東洋のトランジスタ・セールスマン」 と揶揄されたが、今日 首脳外交に経済人の随行は むしろ当然視されているところから、池田は トップ・セールスのパイオニアだったのかも知れない。 ともあれ、彼の懸命なアピールは、´64年4月 経済開発協力機構 (OECD) への加盟に結実し、日本は先進国の仲間入りを果たした。
三池争議終息後 労働運動は局地抗争から 産業レベル統一闘争方式に変質した。ヨーロッパ並みの賃金を目指す重化学工業単産を軸に、春季闘争で 企業に利益分配を求めたのである。総評、中立労連傘下で春闘に加わった組合員は、´60年の409万人から ´64年の520万人へと飛躍的に増加し、“春闘” は労使賃上げ交渉の 日本的方式として定着するとともに、毎年2ケタを超える賃金上昇率が、後追いながら 労働者の実質可処分所得を底上げし、平準化をもたらした。この仕組みは ´64年春闘での 池田首相と大田総評議長の会談を通じて、争議権をもたない公共企業体の職員・労働者にも波及していく。
池田内閣の 「国民所得倍増計画」 は 着々と進み、目標を大幅に上回る実績を挙げていった。
当初計画で 経済成長率は、10年間で平均7.2%と試算されていたものが、実際は11.6%も伸びたのだ。企業の利潤は 前述 “春闘方式” で 労働者にも還流し、中小企業や他産業にも波動が広がる好循環が生じた。サラリーマンの増加と賃金の急上昇は、国民にも “ゆとり感” をもたらし、“中流意識” を抱かせた。この層が膨らむにつれて “大量生産・大量消費” を促し、その間に介在する流通システムに大きな変革を生じせしめた。スーパーや複合ショッピングセンターの出現を、人々は 「流通革命」 と呼んだ。
池田内閣は、時として 景気過熱と輸出入のアンバランスで 国際収支の天井に突き当たり、綱渡り的な財政運営を強いられることもあったが、このようにして 日本は “ゴールデン・シックスティエイジ” の繁栄を謳歌したのである。
この間 義務教育を終えた少年の 高等学校進学率が、´50年=42.5%から ´60年=50.0%に増加し、四年制大学入学者は、´60年の10%が ´70年には24%に達している。若者の8割が高卒であり、4人に1人が最高学府で学べるようになっていたわけで、何気ない数字のようだが、これは凄いことだと思う。
東京国立競技場の拡充、首都圏を中心とした 高速道路網の完成も近づき、第18回東京オリンピックの開催が翌年に迫っていた。オリンピックといえば、昭和15年(1940) 日中戦争で 東京がアジア初のオリンピック開催権を已む無く辞退・返上する破目に陥ったとき、たまたま競争国の立場にあって 東京の開催権を引き継ぐことになっていた、(結果的に 第2次世界大戦で枢軸側について敗戦の憂き目を見実現しなかった) フィンランドが 戦後の荒廃から立ち直り、戦争直後のロンドン大会 ローマ大会に続いて 1956年 第16回ヘルシンキ大会を成功させた8年後に、 漸く 因縁の東京に迎えた国家的イベントであって、日本の国際社会への復帰をシンボライズする意味を持つものであった。
さて 話がちょっと横に逸れるようだが、この年2月28日 名古屋高裁で、50年間 無実を叫び続けてきた吉田石松が、再審・無罪を勝ち取り、“日本の岩窟王” と呼ばれた。
彼は、大正2年に名古屋で起こった 繭小売商人殺害事件の主犯として逮捕されたが、警察の如何なる拷問にも屈せず 無期懲役に処せられていたのだ。そして 22年間を服役ののち 昭和10年3月仮釈放になってからも、天皇直訴を含め再審を請求しつつ、独り真犯人を追い求め、遂に共犯2人の所在を突きとめて その告白と詫び状を証拠に 昭和37年10月の再審開始に漕ぎつけたのであった。
無罪を言い渡した名古屋高裁小林裁判長は、「被告人 いな ここでは “吉田翁” と呼ぼう。我々の先輩が翁に対して犯した誤審を ひたすら陳謝するとともに、実に半世紀の久しきにわたり、よくあらゆる迫害に耐え、自己の無実を叫び続けてきた その崇高な態度、その不撓不屈の まさに驚嘆すべき、類なき精神力 生命力に、深甚なる敬意を表しつつ、翁の余生に 幸多からんことを祈る」 と述べ 3人の裁判官とともに立ち上がり、被告席の吉田に深々と頭を下げた。 (事件史探求より) 無罪を勝ち取ったとき、吉田は 「万歳」 と叫んだというが、既に84歳に達しており、その9ヵ月後 安らかに永眠した。吉田の墓石には “人権の神 ここに眠る” と刻されていると言う。
前に述べた 帝銀事件で犯人とされた 平沢貞通 は、このとき75歳。昭和30年5月に最高裁で上告が棄却されて 死刑が確定したのちも、無罪を主張しながら、刑は執行されぬまま、更に獄中で20年を過ごし 昭和62年 老衰死した。
世間には、このような過酷な運命を背負った人もいたのである。吉田翁を含めて、 鳴呼…………無惨。
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