昭和29年(1954)
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【デキゴト】
01・02 皇居に参賀38万人 混乱した二重橋で将棋倒し 死者16人・重軽傷69人
01・06 国鉄 青森~函館間の 「青函海底トンネル」 起工
01・07 米アイゼンハワー大統領 年頭教書で 「沖縄基地は永久保持」 と言明
01・09 東京都 街頭宣伝等対象の 「騒音防止条例」 を公布
01・10 行方不明だった “放浪の画家” 山下 清 鹿児島で発見
01・12 文化財保護委 と 奈良県教育委 平城京の本格的発掘調査を 開始
01・15 憲法擁護国民連合 (委員長・右派 片山 哲) 結成
01・16 札幌で 男子スピードスケート世界選手権大会が 開催される
01・17 吉田首相 緊縮予算編成で 国民に “耐乏生活” を要請
01・20 東京地下鉄 丸の内線 池袋~お茶の水 間が開通
01・21 米 世界初の原子力潜水艦 “ノーチラス” を建造・進水
02・01 映画スター マリリン・モンローとプロ野球選手ジョー・ディマジオが新婚来日
02・02 日本航空の国際定期便 就航 サンフランシスコ~東京 間
02・19 プロレス人気の力道山・木村組 米シャープ兄弟に挑戦
02・22 政府 政治的中立 教育2法案 国会に提出 6/3 各 公布
02・23 衆議院 自由党 有田二郎議員の逮捕を許諾 「造船疑獄」 始まる
02・28 東京地検 造船疑獄で 自由党幹部池田隼人から 事情聴取
03・01 静岡・焼津港のマグロ漁船 第五福竜丸 ビキニの米水爆実験で被曝
03・08 日米相互防衛援助協定 (MSA) に 調印
03・10 経団連など 日米生産性向上委員会の設立を 決議
03・12 初の 日本語吹き替え ディズニー映画 「ダンボ」 封切
03・12 自由党 憲法調査会 (会長・岸 信介) 発足
03・13 ホー・チ・ミン軍 ベトナム北西部 要衝地を攻撃 5月 仏軍敗北
03・16 読売新聞 第五福竜丸の水爆被曝を 「死の灰」 とスクープ
03・17 沖縄の米民政府 地代の一括払いで 実質収容を構想
03・28 緒方竹虎副首相 自由・改進両党の解党 保守合同構想を発表
04・01 東京で 世界平和者日本会議開催 「原水爆禁止平和宣言」 を決議
04・07 オーストリアの指揮者カラヤン来日 NHK交響楽団を指揮
04・09 第五福竜丸の被曝について アメリカが遺憾の意を 表明
04・10 衣笠貞之助監督の映画 「地獄門」 カンヌ映画祭でグランプリ受賞
04・18 エジプトに ナセル政権 成立
04・20 第1回 東京モーターショー 開催
04・21 犬養 法務大臣 指揮権を発動して検察庁の自由党佐藤栄作幹事長に
対する逮捕許諾請求を阻止… 所謂 「造船疑獄事件」 の捜査は頓挫
04・21 犬養 健 法相 指揮権発動の責任をとって 辞織
04・26 黒澤 明監督 東宝映画 「七人の侍」 封切
04・27 オードリー・ヘップバーン主演 「ローマの休日」 封切
04・29 ベビーブームの影響で 小学新入生が 前年比100万人 増加
05・24 報道写真家ロバート・キャパ ベトナム・ハノイで地雷に触れ死亡(40歳)
06・03 衆議院 警察法を巡って大乱闘 警官隊が始めて院内に…
06・04 近江絹糸労組 「人権スト」 に突入 9/16 組合側 勝利
06・08 警察法改正 公布 県警・自治警 一元化・中央集権 強化
06・09 防衛庁設置法 自衛隊法 公布
06・27 ソ連 初の工業用原子力発電 開始
06・28 中国・周恩来 インド・ネルー 両首相 「平和5原則」 を発表
07・01 陸海空の自衛隊 発足 MSA協定に伴う秘密保護法 公布
07・07 安藤国務相の 水爆実験中止申し入れに対し 米側 「必要」 と拒否
07・09 建設省 「建設白書」 発表 戦後10年で住宅建設 360万戸
07・10 宮城県など “ツバメ飛来減少は 農薬が原因」 と 林野庁に報告
07・15 総評大会 高野 実 33票差で事務局長に4選
07・16 輸入タイ米からも 大量の “黄変米” 発見 配給停止命令
07・21 インドシナ休戦協定調印 ジュネーヴ会議 終了
(仏軍撤退・ベトナム独立・2年以内に統一の為の総選挙実施)
07・21 国立東京第1病院が “人間ドック” 費用 6日間で 1万2千円
07・27 チェコスロバキア国際映画祭で 新藤兼人監督 「原爆の子」 が受賞
08・06 天皇皇后両陛下 戦後地方巡幸の最終コース 北海道へ出発
08・08 原水爆禁止署名運動 全国協議会結成 (事務局長・安井 郁)
08・23 岩手県陸中海岸・鹿児島県屋久島・長崎県西海が 「国定公園」 に…
08・31 北海道・釧路の 海底炭鉱でガス爆発 作業員 39人が死亡
09・02 オランダの万国数学者会議総会で 小平邦彦がフィールズ賞 受賞
09・06 東南アジア条約機構 (SEATO) 創設
09・07 黒澤明監督 「七人の侍」 溝口健二監督 「山椒太夫」 が
ヴェネツィア国際映画祭で “銀獅子賞” を受賞
09・10 吉田首相 目黒の公邸で ダレス米国務長官と 会談
09・15 木下恵介監督の映画 「二十四の瞳」 封切
09・18 東京・蔵前に 国技館が完成 落成式
09・19 鳩山一郎・重光 葵 ら6者会議 反吉田新党結成で一致
09・20 中華人民共和国憲法を採択 (主席・毛沢東 首相・周恩来)
09・23 第五福竜丸機関長 久保山愛吉 「死の灰」 放射能被曝症で死去
09・26 吉田首相 欧米7ヶ国歴訪に出発 ~ 11/17 帰国
09・26 台風15号で 青函連絡船 「洞爺丸」 転覆沈没 死者1698人
10・01 沖縄に初の民間放送 “琉球放送” が開局
10・06 “憲政の神様” と言われた 尾崎行雄 死去 (95歳)
10・06 日本相撲協会 欲綱審議委員会 栃錦を第44代 “横綱” に推挙
10・14 イギリス・エジプト協定調印 英軍のスエズ基地撤退期限が確定
10・15 三重県四日市市で石油タンクが爆発 35時間 火災続く
10・20 経済同友会 保守合同を要望
10・28 日中 日ソ 国交回復国民会議 結成
10・30 日本赤十字の招待で 中国紅十字代表団 来日
11・01 アルジェリア民族解放戦線 対仏闘争宣言 独立戦争始まる
11・03 奈良・法隆寺 金堂解体修理完成 落慶法要が挙行される
11・05 ビルマとの平和条約 賠償 及び経済協力協定 調印
11・08 自由党 岸 信介・石橋湛山を 除名
11・15 全国農業協同組合中央会 東京で設立総会を開催
11・20 社会党 左右両派 「共同政権の新政策大綱」 を発表
11・20 少年自衛隊員の募集を開始
11・24 日本民主党 結成 (総裁・鳩山一郎)
12・01 帝国ホテルの新館 落成 営業開始
12・02 米上院 マッカーシーの非難決議を可決 荒れ狂ったマッカーシー旋風終焉
12・02 東欧8ヶ国 欧州安全保障会議で モスクワ共同宣言に調印
12・07 吉田内閣総辞職 自由党新総裁に 緒方竹虎
12・10 第1次 鳩山一郎内閣成立 外相に重光葵
12・25 原子力海外調査団の 第1陣 羽田空港を出発
【物価】
ビール大瓶 120円 たばこ(ピース10本1ケース) 45円
朝日新聞 超夕刊セット月ぎめ 330円
【流行語】
ロマンスグレー 死の灰 スポンサー シャネルの5番 アプレゲール
ヘップバーン・カット
【ベストセラー】
愛 は 死 を 超 え て ローゼンバーグ夫妻 光 文 社
潮 騒 三 島 由 紀 夫 新 潮 社
は だ か 随 筆 佐 藤 弘 人 中央経済社
新聞の読み方 十二章 笠 信 太 郎 筑 摩 書 房
カ ロ リ ー ヌ セシル・サンローラン 鱒 書 房
【流行歌】
ひばりの マドロスさん 作詞・石本美由紀 作曲・上原げんと 歌手・美空ひばり
高 原 列 車 は 行 く 作詞・丘 灯至夫 作曲・古関祐司 歌手・岡本敦郎
お 富 さ ん 作詞・山崎 正 作曲・渡久地政信 歌手・春日八郎
岸 壁 の 母 作詞・藤田まさと 作曲・平河浪竜 歌手・菊池章子
原 爆 許 す ま じ 作詞・朝田石ニ 作曲・木下航ニ 歌手・上条恒彦
【野 球】
プロ野球優勝 セ・リーグ = 中日 パ・リーグ = 西鉄
日本シリーズ 中日 4勝 3敗
第26回 選抜高等学校野球大会 長野・ 飯田長姫 1-0 小倉 ・福岡
第36回 全国高等学校野球選手権 愛知・ 中京商 3-0 静岡商 ・静岡
【邦 画】
二十四の瞳 木下恵介 監督 高峰秀子 天本英世 笠 智衆 月丘夢路
女 の 園 木下恵介 監督 高峰秀子 久我美子 高峰美枝子 ら
七 人 の 侍 黒澤 明 監督 志村 喬 三船敏郎 加藤大介 宮口精二
黒 い 潮 山村 総 監督 山村 総 津島恵子 ら
近 松 物 語 溝口健二 監督 長谷川一夫 香川京子 ら
山 の 音 成瀬巳喜男 監督 上原 謙 原 節子 ら
晩 菊 成瀬巳喜男 監督 杉村春子 沢村貞子 ら
勲 章 渋谷 実 監督 佐田啓二 香川京子 ら
山 椒 太 夫 溝口健二 監督 田中絹代 花柳喜章 ら
忠 臣 蔵 大曽根辰夫 監督 松本幸四郎 高田浩吉 ら
宮 本 武 蔵 稲垣 浩 監督 三船敏郎 八千草 薫 ら
ゴ ジ ラ 本多猪四郎 監督 志村 喬 河内桃子 ら
【洋 画】
ロ ー マ の 休 日 ウィリアム・ワイラー監督 オードリー・ヘップバーン グレゴリー・ペック
帰 ら ざ る 河 オットー・プレミンジャー監督 ロバート・ミッチャム マリリン・モンロー
赤 と 黒 クロード・オータン=ララ監督 ジェラール・フィリップ ダネエル・ダリュー
ダイアルMを廻せ アルフレッド・ヒチコック監督 レイ・ミランド グレイス・ケリー ら
波 止 場 イリア・カザン監督 マーロン・ブランド エヴァ・マリー・セイント ら
嘆きのテレーズ マルセル・カルネ監督 シモーニュ・シニョーレ ラフ・ヴァローネ ら
素晴らしき哉 人生 フランク・キャプラ監督 ジェームズ・スチュワート ドナ・リード ら
ケイン号の叛乱 エドワード・ドミトリク監督 ハンフリー・ボガート ホセ・ファーラー ら
麗 し の サ ブ リ ナ ビリー・ワイルダー監督 オードリー・ヘップバーン ウィリアム・ホールデン
グレン・ミラー物語 アンソニー・マン監督 ジェームズ・スチュワート ジューン・アリスン ら
裸 の 伯 爵 夫 人 ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督 エヴァ・ガードナー バンフリー・ボガート
オ ズ の 魔 法 使 ヴィクター・フレミング監督 ジュディ・ガーランド フランク・モーガン ら
恐 怖 の 報 酬 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督 イヴ・モンタン シャルル・ヴァネル
裁 き は 終 り ぬ アンドレ・カイヤット監督 ヴァランティーヌ・テシエ クロード・ノリエ ら
第十七捕虜収容所 ビリー・ワイルダー監督 ウィリアム・ホールデン ドン・ティラー ら
アンリエットの巴里祭 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督 ダニー・ロバン ミシェル・オークレール
【この年】
3月、南太平洋のビキニ環礁における アメリカの水爆実験に遭遇した、静岡県焼津の漁船 第五福竜丸の、いわゆる “死の灰” 被曝で、久保山愛吉機関長をはじめ 乗組員に死傷者が出、日本人は改めて “核” の恐怖を認識 「原水爆禁止運動」 は 盛り上がった。
敗戦の翌年から 政権の座についてきた吉田首相は、米軍による占領期間を通して 専ら経済の復興を優先し、疲弊のどん底に沈倫していたわが国を 徐々に回復軌道に乗せ、漸く 連合国と講和条約の締結に持ち込んで、主権を有する独立を為し遂げた。憲法第9条 戦争放棄の理念は、激化する米ソ冷戦の情勢に合わせて 巧みに路線を修正、米・核の傘下で軽武装を容認しつつ 引き続き施政の方針を 産業の振興と経済力の涵養に充てたことは、今にして 正しかったと言える。
和装・白足袋にステッキ、葉巻を咥えたダンディな短躯・童顔と 癇癪もちで頑固だが 不撓の精神力の塊、ウィットに富んだキャラクターは、“ワンマン” と呼ばれて 戦後の保守政界に君臨したが、実際、あの時期、当面していた日本の難局・混乱を采配するには、彼を措いて “人” はいなかったと思う。
だが、第5次の内閣を編成するに至り、7年有半の治世に 人々は倦んだ。4回の解散、5度の組閣の挙句、 2ヶ月に近い 大時代な外遊を終えた彼は、緒方竹虎副総理の造反 子飼い池田隼人の諫止にあって、“朽ちた巨樹が倒れる” ように、12月 総辞職した。
この年 「造船疑獄」 が持ちあがった。戦争中に壊滅状態に陥った海運業に 全額政府出資の造船計画が進んでいたが、朝鮮特需の終了と共に 海運と造船業界には不況の嵐が吹き 「外航船建造利子補給法」 の制定をめぐって、“吉田学校” の俊才 池田隼人・佐藤栄作らが収賄の容疑を問われ、2月末 池田が東京地検の事情聴取を受け、4月 当時 自由党幹事長だった佐藤栄作に逮捕の手が及ぶ寸前、犬養 健法務大臣が “指揮権” を発動して検察の訴追を絶ち、わが国の法曹史に一大汚点を残した。
犬養は責任をとるとして 翌4月21日に辞職しているが、指揮権の発動は、首相たる吉田の指示だったのか、或いは 犬養の独断専行か、謎である。 幹事長の逮捕は 自由党を揺るがすものではあったが、吉田が命じたものとも思えない。吉田は元来 金銭には恬淡としており、後の自民党とは違って、金で養うべき派閥も形成されていなかったし、池田・佐藤も まだ いわば “部屋住み” の存在だった。確実とはいえないが、犬養を唆したのは 岸 信介だったという説もある。後に “昭和の妖怪” ともいわれる岸の教唆に 彼らと同グループの犬養は 抗し切れなかったのではあるまいか。
いうまでもなく、佐藤栄作は 岸の実弟である。
明治の元勲 山県有朋は長州藩の軽輩出身、若い頃から金に卑しいところがあったという。大正時代から昭和初期にかけては、シーメンス事件 (山本権兵衛内閣) や、帝人事件 (斉藤実内閣) などで 内閣が吹っ飛んでしまったような事例もなくはない。しかし、戦後60年 政治権力を握り続けた自民保守政界は、爾来 醜悪な汚職のヘドロを撒き散らしてきたが、前年の 「昭電疑獄」 と並んで 「造船疑獄」 は、この党のその後に打ち続く涜職事件の嚆矢となった。
池田・佐藤両名とも吉田学校の優等生、戦後政治に大きく貢献して 足跡を残すのだが、生家は共に中国地方の造り酒屋、小役人のように金に困窮していたわけでもあるまいに…、強いて言えば、権力を手にした者の驕りだったのか。結局 吉田は、自らが発掘し 育成した後継者に対し、政治家として 最も心得るべき “倫理観念” までもは、薫陶できなかったと いうことなのだろう。
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