昭和25年(1950)
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【デキゴト】
01・01 マ元帥 「日本国憲法は、自己防衛の権利を否定せず」 と声明
01・07 聖徳太子肖像の “新千円札” 発行
01・15 初の 国家公務員試験 実施 競争率 3倍
01・19 社会党が 右派 (片山 哲) 左派 (鈴木茂三郎) に分裂
01・30 米 トルーマン大統領 水爆の開発・製造を 命令
01・31 米統合参謀本部長 沖縄および日本の軍事基地強化を声明
02・05 川崎競輪で八百長レース 2万人が暴徒化 全国に波及 続発
02・08 第1回 「さっぽろ雪祭り」 中学・高校生制作の6点を展示
02・09 米上院でマッカーシー共和党議員が 「国務省に57人の共産党員」 と演説
後 全米に いわゆる 「マッカーシー旋風」 が吹き荒れることとなる
02・10 GHQ 沖縄に恒久的軍事基地を建設と 発表
02・14 中・ソ 友好同盟相互援助条約 モスクワで調印
02・22 牛乳・バター等 乳製品の価格統制を廃止
02・27 フランス アメリカにインドシナ戦争への軍事援助を要請
03・01 民主自由党と 民主党連立派が合同して 「自由党」 を結成
03・01 池田蔵相 「ドッジ不況で中小企業の倒産は 已むを得ない」 と答弁
03・14 短期大学 113校と 同志社他 3大学に 大学院の設置許可
03・14 ニセ千円札 第1号 京都で発見
03・15 原水爆絶対禁止要求 (ストックホルム・アピール) 5億人が署名
03・17 インドのネルー首相 米ソ角逐とは別に 非同盟政策を提唱
03・22 吉村公三郎・新藤兼人ら 「近代映画協会」 を設立
03・22 岩手県 平泉・中尊寺で 「藤原氏四代のミイラ」 調査を開始
03・25 炭労加盟の360組合 約31万人が ストライキに突入
03・27 京大・花山天文台が 初の 「火星のカラー写真」 撮影に成功
04・04 甲府市で 天皇・皇后を迎え 「第1回全国植樹祭」 を実施
04・06 米トルーマン大統領 アレン・ダレスを対日講和担当顧問に任命
04・12 東京都営住宅の公開抽選 最高倍率は300倍
04・15 内閣 公職選挙法を公布
04・21 京都府知事に 社会党から出馬の 蜷川虎三が当選
04・22 山本富士子が 初代ミス日本に選出される
04・25 池田蔵相ら訪米 (~05・22に帰国)
04・28 国民民主党結成 (最高委員・苫米地義三ら7名)
05・03 マ元帥 憲法記念日の声明で 共産党の非合法化を示唆
05・03 吉田首相 全面講和主張の南原東大総長を “曲学阿世の徒” と批難
05・11 国鉄 東海道本線 東京~大阪間に特急 「はと」 を運行
05・19 岡山県が 全国初の 「有害図書取締り条例」 を制定
05・22 沖縄初の大学 「琉球大学」 で入学式 挙行
05・24 井伏鱒二・斉藤茂吉 らが 「第1回 読売文学賞」 を受賞
06・01 東京警視庁 本格的に “パトロール・カー” を導入
06・04 第2回 参議院選挙 自由52 社会36 緑風9 国民民主9
06・04 日本写真家協会 (会長・木村伊兵衛) 結成発足
06・06 マ元帥 共産党中央委員24人全員に追放指令 所謂 レッドパージ
06・15 郵政省 初の 暑中見舞いハガキを発売
06・16 国家警察本部 全国的に デモ・集会を禁止
06・25 朝鮮半島 北緯38度線で軍事衝突 「朝鮮戦争」 勃発
06・25 国連安保理 北朝鮮に敵対行為の即時中止を要求 ソ連欠席
06・26 マ元帥 共産党機関紙 「アカハタ」 を発禁 のち無期限に…
06・27 米トルーマン大統領 韓国軍援助のため海空軍に出撃命令
06・28 プロ野球 巨人・藤本英雄 日本初の 「完全試合」 を達成
06・28 南下した北朝鮮軍 韓国・ソウルを占領
06・29 朝鮮戦争により 北九州一帯に警戒警報・灯火管制を実施
07・01 北朝鮮の南下を阻止 韓国軍支援のため 米海空軍に出撃命令
07・02 京都金閣寺 徒弟 林承賢の放火で全焼 犯人の母親保津川に投身自殺
07・07 “ハス博士” 大賀一郎が2000年前の “種子” の発芽に成功
07・08 マ元帥 吉田首相宛書簡で警察予備隊(7万5千人)の創設・海上保安庁拡充
(8千人)を指令 警察予備隊は後に自衛隊となる これこそ押し付けであった
07・11 日本労働組合総評議会 「総評」 が結成される
07・24 民間企業でも いわゆる レッドパージが始まる
08・10 警察予備隊令 公布 月給5千円と優遇に応募者38万人が殺到
08・15 大阪・千日前に 初のアルバイト・サロンが出現
08・26 黒澤 明監督が芥川龍之介の短編による映画 「羅生門」 を発表
08・27 朝日新聞 潜行中の共産党幹部伊藤 律との会見捏造記事を掲載
09・01 閣議 公務員にもレッドパージを実施
09・01 全国の小学校学童に 「完全給食」 を開始
09・03 ジェーン台風 四国・近畿に猛威 死者・172 行方不明・10930 家屋倒壊・56131戸
09・15 朝鮮戦線で国連軍 突如仁川に上陸 反撃を開始
09・21 第2次 シャゥプ税制勧告を発表
10・01 国勢調査 総人口 8319万963人 世帯数 1658万2千戸
10・01 中国 周恩来首相 「侵略戦争粉砕すべし」 と督励演説
10・03 国連・韓国軍 38度線を突破して北上 中国政府 抗議
10・13 政府 1万90人の公職追放を解除 発表
10・25 中国人民義勇軍 鴨緑江を越えて参戦 戦局一変 米韓軍劣勢に
10・28 東大外科医学部 宇治達郎 オリンパス光学と共同で 初の胃カメラを開発
11・07 天野貞祐文相 修身科復活・国民実践要領の必要を表明
11・10 政府 旧軍人の追放解除 3250人
11・18 国鉄京都駅から出火 大正3年建築の駅舎が全焼
11・22 マ元帥 吉田首相宛て書簡で 「電力の9分割再編促進」を指示
11・22 プロ野球 セ・パ優勝球団対決の “日本シリーズ” 開幕
11・30 米トルーマン大統領 朝鮮戦線で 「原爆使用もありうる」 と発言
12・07 沖縄の米軍政府 米 「民政府」 と改称
12・07 池田蔵相 またも 「貧乏人は麦を食え」 と 衆議院で放言
12・13 地方公務員法 公布 (政治活動・争議行為の禁止 等)
日本人の平均寿命 男性 : 58歳 女性 : 61.4歳
【物 価】
国鉄運賃 上野~青森 720円 新橋~大阪 620円 煙草 (ピース) 50円
ビール (720ml瓶) 125円 → 132円 → 115円 (値下げ)
朝日新聞 月ぎめ購読料 53円 → 70円
【新製品】
国産テープレコーダ Sony G 型(45kg) 東京電気工業(ソニー) 168000円
ナイロン・ストッキング 800円
【流行語】
レッドパージ アルサロ 曲学阿世 一辺倒 糸へん金へん 朝鮮特需
エケチット とんでもハップン BG
【ベストセラー】
帰 郷 大 佛 次 郎 毎日新聞社
石中先生行状記 石 坂 洋 二 郎 新 潮 社
チャタレー夫人の恋人 D・H・ローレンス 伊藤 整 訳 筑摩書房
少 年 期 波 多 野 勤 子 光 文 社
文 学 入 門 桑 原 武 夫 岩 波 文 庫
【流行歌】
イ ヨ マ ン テ の 夜 作詞・菊田一夫 作曲・古関祐司 歌手・伊藤久雄
星 影 の 小 径 作詞・矢野 亮 作曲・利根一郎 歌手・小畑 実
ベ サ メ ・ ム ー チ ョ 作詞・作曲 コンスエロ・ベラスケス 歌手・アイ・ジョージ
サンフランシスコのチャイナタウン 作詞・佐伯孝夫 作曲・佐々木俊一 歌手・渡辺はま子
越 後 獅 子 の 唄 作詞・西条八十 作曲・万城目 正 歌手・美空ひばり
【野 球】
プロ野球 優勝 セ・リーグ 松竹ロビンス パ・リーグ 大毎オリオンズ
日本シリーズ 大毎オリオンズ 4勝 2敗
第22回 選抜高校野球大会 静岡・ 韮山 4-1 高知商 ・高知
第32回 全国高校野球選手権 北四国・ 松山東 12-8 鳴門 ・徳島
【邦 画】
また逢う日まで 今井 正 監督 岡田英次 久我美子 ら
帰 郷 大庭秀雄監督 佐分利 信 木暮実千代 ら
暁 の 脱 走 谷口千吉監督 池部 良 山口淑子 ら
羅 生 門 黒澤 明監督 三船敏郎 森 雅之 ら
執 行 猶 予 佐分利信監督 佐分利 信 木暮実千代 ら
【洋 画】
自 転 車 泥 棒 ヴィットリオ・デ・シーカ監督 ランベルト・マッジョリーニ ら
赤 い 靴 マイケル・パウエル & エメリック・プレスバーガー監督 モイア・シャラー ら
わが谷は緑なりき ジョン・フォード監督 ウォルター・ピジョン モーリン・オハラ ら
イースターパレード チャールズ・ウォルターズ監督 フレッド・アステァ アン・ミラー ら
情 婦 マ ノ ン アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督 セシル・オーブリ ら
無 防 備 都 市 ロベルト・ロッセリーニ監督 アルド・ファブリッツィ アンナ・マニャーニ ら
3 人の妻への手紙 ジョセフ・L・マンキウィッツ監督 ジーン・クレイン リンダ・ダーネル ら
靴 み が き ヴィットリオ・デ・シーカ監督 フランコ・インテルレンギ ら
虹 を 掴 む 男 ノーマン・z・マクロード監督 ダニー・ケイ ヴァジニア・メイヨ ら
白 雪 姫 ウォルト・ディズニー製作 の 長編カラー・アニメーション
【この年】
復金インフレは収束したものの、その反作用で 厳しいデフレ不況をもたらしたドッジは、代わりに 1ドル=360円という安い固定為替レートを 置き土産にして去った。
4月25日に池田蔵相は、約1ヶ月もの長い渡米を行っているが、これは 貿易に活路を見出そうとする吉田内閣が、輸出入金融の仕組みづくりを設けるために アメリカ要路の諒解を取り付けようとした旅で、頭越しの折衝は GHQの妨害を受けつつ 「日本輸出入銀行」 の創設となって実り、後の 「朝鮮特需」 に際し、大きな役割を果たす。
マッカーサー元帥の主導に依ったとはいえ、新憲法は “主権在民” “戦争の放棄” を盛り込み、その新鮮さにおいて 世界でも例のない画期的なものであった。だが 朝鮮戦争が代理戦争的様相を帯びるに従って、アメリカの対日占領政策は180度反転する。このことは既に24年の解説部分でも触れた。
君子は豹変し、マッカーサーは、吉田首相に 警察予備隊や海上保安力の新設・増強を求めた。これこそ 押し付けと言わなければならない。逆コースの風潮は、戦犯の減刑・釈放、旧軍人や保守勢力の追放を解除する一方、広範なレッドパージを指令して、左翼・共産主義者を弾圧した。
朝鮮戦争は 6月25日、10万の北朝鮮軍が 38度線を越えて、突如 南側に侵攻してきたことで始まった。3日後には韓国の首都ソウルが陥落し、韓国軍は雪崩を打って敗走 半島南部のプサンまで追い詰められた。“安保理” の決議を受け 米軍中心の国連軍は、9月 インチョンの上陸作戦で形勢を盛り返して北上、鴨緑江まで攻めあがったところで 中国人民義勇軍が参戦、戦局は二転三転して膠着状況に陥った。板門店での停戦会議は難航 休戦協定の締結までに3年を要した。(未だ調印されていない)
この朝鮮戦争には、ベルリン封鎖をはるかに超える莫大な武器と物資が投じられたが、その兵站を担ったのが日本であった。不況で滞留していた在庫が捌け、繊維・鉄鋼産業等に 実需を伴った景気をもたらし、日本経済を潤すことになる。いわゆる 「朝鮮特需」 である。
もうひとつ この年、日本にとって大きな動きが起こりつつあった。講和に向けての胎動である。米側は既にアレン・ダレスが担当に任じられていたし、日本では、ソ連も含めた 「全面講和」 か、アメリカを中心とする各国との 「単独講和」 か、論が分かれていた。
この年、洋画の項に10本もの 記憶に残る名作を並べたが、実際 この頃から数年にかけて、外国映画のみか日本映画にも 数々の良質な作品が登場した。木下恵介、黒澤明、小津安二郎、今井 正 ら、洋画ではウイリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダー、アルフレッド・ヒッチコック、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ルネ・クレール、デヴィッド・リーン、ヴィットリオ・デ・シーカ、指折り数えれば切りがないほど 名監督が名を顕わしたのだ。黄金期と言っていいだろう。戦争が終わって、日本人の心にゆとりができてきていたが、庶民にとって 映画は唯一の娯楽だった。
洋画10本の中の 「白雪姫」 は、ウオルト・ディズニーの製作になる 世界初の長編カラー・アニメーションである。彼自身が開発したマルチ・プレーン・カメラを駆使して、スタティックで奥行きの深い背景を描き そのなかでSnow-white と Seven dwarfs が実に精密アニメイトされていた。そのころは まだ漫画映画など 市民権を得ていなかったから、あまり論評されなかったが、私にとって鮮烈な印象を与えられた作品ではあった。
【 世 相 ・ ア ル サ ロ 】
世相を示す言葉の “アルサロ” とは、アルバイト・サロン。第1号店が登場したのは大阪の娯楽街 千日前の 「ユメノクニ」 だった。30倍もの 競争率の中から選ばれたホステス 30人が、全員 素人という触れ込みに、店は連日 賑わったという。
ホステスにとっても、ラーメン一杯が25円の時代に 固定給が月1万円、あとは チップの稼ぎ放題のシステムは魅力だった。彼女らは自称 “未亡人” が多く 別名 未亡人サロンとも呼ばれたが、戦争で夫を亡くした女性が 子供を抱えながら、なかなか働き口が見つからなかった時世、実際の未亡人にとっては 格好のアルバイト先になった。
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