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旅への憧憬 (B) 毎日が日曜日

 つ づ き                       

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 以前、ある著名な重工業の労働組合が、定年時期が近づいた組合員を 奥さん同伴で集めて 「退職準備のためのセミナー」 を、何泊かかけて開いたことがあった。離職表の取り扱い方や 年金裁定申請の手続きなどを ひととおり説明したあと、夫婦の班それぞれに、退職後の毎日について、日ごとの時間割を、一週間分だったか、一か月分だったか、作らせたのだそうだ。

 奥さん連中は、家事をはじめ、買い物、趣味の集い、コンサート、生涯学習会など、いとも簡単に すらすらと記入していったが、旦那グループはとみれば、食事、散歩、新聞、読書、入浴、テレビに就寝と、思いつくかぎり桝目を埋めてはいったものの、連日のタイムテーブルとなると、それこそ “毎日が日曜日” で、同じパターンのくり返し、与えられた用紙に 広々と余白を残して、うーん、うーん、と 唸るばかりだったという。

 勤めていたときには、たまにしかとれない休日が待ち遠しく、やっと休めても、子供が幼かったころには、やれ海だ山だ 遊園地だと、引っぱりだされて 専ら家族サービスにあて、中年肥りが目立つ年代になると、取引先や会社仲間とゴルフ場通い、仕事とはまた別の忙しさに追いまくられたものだった。そのころは、貴重この上なく思った余暇・自由時間、つまり 可処分時間が、ある日突如、どかっと 目の前に積み上げられてみると、その厖大な量に誰しも茫然となる。

 もう、どこからも指示・命令はこないし、タイム・リミットもない。これから毎日、この大量の時間をどのように使っていったらいいものか、実際、途方にくれる。

 時計の針は、「早や……」 ではなく、いつも 「まだ……」 という時間を指すのだ。

 趣味ひと筋にとか、ボランティアに挺身するとか 言っても、なかなかそれだけで 毎日の時間を使いこなせるものではない。第二の職場に就く人だって、いままでのように フルタイムの勤務ができるとは限らず、せいぜい三年か 五年、遅かれ早かれ やっぱり 同じ思いをするはずである。

 人生80年といわれるが、人間みな 等しなみに授けられた 1日24時間を乗じて、これを 総時間で表わせば、驚くなかれ、実に 700,800時間にのぼる。私たち男性の場合、平均寿命は76,5歳だそうだから、それでも、えんえん670,140時間をこの世で生き長らえる勘定になる。

 この莫大な時間を、私たちは、生活のなかでどのように使ってき、これからさき、いかに費消することになるのか、NHKの 「国民生活時間調査」 と、総務庁統計局の 「社会生活統計指標」 を下敷きに、分析・推測してみた。前者はバブル発生前の昭和55年度、後者は その泡がはじけて、日本経済が混迷の度を深めはじめた平成4年度の資料を用いた。

 論文ではないので、ごく大雑把にいうと まず睡眠時間、「オレは一日に4、5時間しか眠らない」 というナポレオンみたいな人もいるが、統計に表われた数値は、国民平均7時間53分で、人生の三分の一は “オン・ザ・ベッド” の常識どおりであった。尤も この数値には、生まれて間もない乳幼児の睡眠時間を含んでいるし、地域や職業、年齢層によってかなりの差異がある。たとえば、60歳以上の高齢者は、8時間32分とあって、意外によく寝ていることに驚いた。年寄りは早起きというが、その分早めに床に就いたり、午睡をとる傾向があるせいだろうか。

 次いで食事や入浴、洗面、ひげ剃りなど、生活上 必要不可欠な時間、これは当然のことながら、かなり男女差が見受けられるが、成人男子は概して2時間半ぐらい。これら生活必需時間と睡眠時間だけで、1日の44 ないし48パーセントを占めている。

 遊んで育つ幼児期が過ぎると 学びの年代である。保育園や幼稚園は まだ遊びの延長といえようが、小学生、中学生ともなると、通学や塾通い・習いごとなど、好むと 好まざるとにかかわらず、義務として拘束される時間が増え、やがて 学窓を巣立って社会に出れば、ますます拘束時間のウエイトが高まる。

 農漁業に従事する人や 商工業を自営する人など、職業によって大きなバラつきが認められるが、雇用労働者、つまりサラリーマンに限ってみれば、通勤と残業、昼食の時間を含めて、全国平均で労働拘束時間は1日当り10時間6分、24時間対比42パーセントになるけれども、休日や休暇日数分を除くと、年間では34 ないし36パーセント程度だろうか。

 通勤時間が 片道2時間を超え、日々、残業につぐ残業で 「過労死」 ギリギリまで働いて、睡眠もまともに取れなかった人にすれば、このパーセンテージは、「とても、そんなものではない」 と思うだろうが、週休2日制が 中小企業にまで普及しつつあること、職住が接近している 地方の統計などを合算した平均としては、こんな結果におさまる。

 このほかに、私たちの生活のなかには、新聞を読んだり、食事の後テレビをみたり、人により状況により長短はあるが、恒常的に何となく費やしている、生活必需でもなければ、拘束型の時間でもない、潤滑油的な “息抜きタイム” がある。家族と団欒し、ゆったりとした気分のなかから、明日の日への活力が生まれてくるのだ。

 さて、企業などに勤める大学卒のサラリーマンの場合、転職をあわせて、60歳になるまでの勤続年数は、およそ38年、この間の総時間数は、332,880時間だが、もちろん もっと長く働く人もいる。この総時間数から、述べてきた睡眠と生活必需時間、それに労働拘束時間、息抜きの時間を差し引いた、のこりの約43,300時間弱が、在職中のいわゆる余暇時間で、38年間 おりおりのステージにおいて、休養や娯楽、スポーツ、趣味、教養、学習、知人・縁者との交際に当てられ、自らのアイデンティティの確認、よりよき明日へ向けての活力をリ・クリエイトしてきたわけだ。なかには、病気や怪我の療養にとられていたという気の毒な話も聞くが、そんな人は、不本意な不自由時間が余暇に食いこんでいたことになる。

 単純に計算すると、これら在職中の余暇は、1年当り約 1,140時間だ。

 これに対して、定年退職者には、このあといったいどれほどの自由時間 (言葉を代えれば、ヒマという時間) が、目の前に立ちはだかっているのだろうか。人それぞれに生き方があるから一概にはいえないが、ひとまず、次の四通りのケースで考えてみよう。

 既述のごとく、隠居したとはいえ 日々の身嗜みにかける生活時間は 現役時代とほぼ同じ、会社へ出勤を気にする必要がなくなり、ちょっと寝坊していることを考慮にいれて、今後生きていくことになる16.5年間、時間に換算して144,540時間のうち、自分の裁量で自由に過ごすことのできる時間を、

(1) 季節の移ろいに合わせて、郷里の山畑を相手に晴耕雨読、寿命のある限り無理をせず、一日に4時間程度 汗をかいたあとに残る 自由時間は、およそ52,700時間。(1年当りにすると3,200時間)

(2) これまでの専門知識や 技能を活かして再就職し、65歳までは現役と同じように バリバリと働くケースでは、残存自由時間 約59,000時間。(年平均4,000時間)

(3) 自宅近くに探した職場で 65歳までパートタイム勤務。週30時間ぐらいを働くとすると、残余の自由時間は 約69,000時間。(同4,200時間)

(4) これといって拘束される仕事に就くことなく、趣味に明け暮れる生活を送る場合は、まるまる76,000時間が勝手気ままな自由時間。(同4,650時間)

と 試算した。(4)のケースを1日当りにすると、12時間44分にもなる。

 自由時間のなかには息抜きタイムも含めているが、これを多いと受け止めるか、それとも少ないと考えるかは、論の分かれるところである。しかし国際比較では、まだまだ相対的に過多とされている わが国の雇用労働者の年間総労働時間――1,910時間と見比べてみれば、なまなかな時間ではないといえる。

 さし当り 生活上の不安がなく、健康で、老後に打ち込むことのできるライフワークを持っている人にとっては、悦楽のゴールデン・エイジ、至福のときが到来したといえよう。

 だがしかし、たとえ経済的には恵まれていても、これまでは仕事ひと筋で無趣味・不器用、日々、自らの時間を律する 「知恵」 を持たない人々にとって、これほど辛いものはない。

 誰からも 掣肘されることのない時間とはいえ、それはもはや、余暇として “悠々自適” できるような 呑気で優雅な シロモノでは、決してない。譬えていえば タイタニック号から放り出されて 泳ぐ術を知らず、果てしない氷の海を押し流される遭難者のように、茫漠とした “自由時間の海” に溺れもがき、ときとしては 深い絶望の奈落に 沈みこんでしまいかねないからだ。

 労働性悪説を唱える人がいるが 果たしてそうだろうか。翻って 現役時代を回顧すると、必ずしも然りとしない。仕事の上で 辛かったこと 苦しかったことは多々経験した。二進も三進も いかなくなったこともある。だが、誰も へこたれてしまいはしなかった。食わんがために、マズローのいう 「生存欲求」 のレベルで歯を食いしばり、ついで、認められたい出世したいという、月並みな 「社会的欲求」 に駆られ、そして いつしか、ある種の使命感、目標達成の喜び、つまり 「自己実現欲求」 に突き動かされて頑張ってきたものだ。

 波瀾万丈でもなければ、赫々たる功績をあげたわけでもない。平凡なサラリーマン人生であったけれども、総括すれば、働き甲斐があった。と顧みる人のほうが多いのである。

 年金生活者となって、おたがい 異なる環境にあるものの、せっかく手にした自由な時間だ。これをどのように裁量すべきか、自由に出来る可処分時間を律する知恵は、現役のころに抱いていた目的意識とか使命感、くだいていえば、「いまの生活における夢と張りあい」 を見つけることではなかろうか。受身でいれば愚痴のみ募って、積極的な創造性は出てこないから、小さなことでいい、自分にとって生甲斐になるものを見出し、そのことを中心にして、充実した時間を送りたいものだ。

 それにつけても、残る歳月を息災で、病床なんかに 便々と拘束されるような 「不自由時間」 にはしたくないものと、心密かに願う。

                                           つ づ く

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コメント

(4)旅への憧憬 を拝読いたしました。

 定年後の時間の分析は、とても面白く、なるほどと思うところが多かった。

 小生は、いま65歳で、来年66歳になったばかりで定年ですから、(3)の場合にあてはまる、と思います。

 ところで、たとえばこの春休み、多くの時間をどう費やしていた、と思われますか?

 何と、睡眠時間などを除いた自由時間の3分の1ぐらいを、喫茶店で過ごしました。

 ぼくは、昔から喫茶店が好きで、そこで本を読んだり勉強したりするのが、家にいるよりも効率的、能率的なんです。
 それでこの休み中は、行事のない日は、ほとんど朝食が終わると、喫茶店に出かけるのです。
 車で30分の距離、大学舎の近くにあるのですが、この店がお気に入りで、ここなら何時間でも私が長時間ねばるのを許してくれています。

 いちばんうれしかったのは、半年前にノートパソコンを買って、これで勉強しようと思ったのですが、その喫茶店「ぱるちざん」で、恐る恐る、「あのう……、お店でノートパソコンを使わせていただいて、いいでしょうか」と尋ねたら、「どうぞ、どうぞ。電源もありますから、ご自由に」と言ってくださたこと。

  そこで小生は、ノートパソコンの入った紙袋と、勉強道具(本やノートなど)を車に満載して、その店にゆき、お昼前から夕方まで、心ゆくまで本を読み、文章を書くのです。

 その代わり、もちろん、お店に迷惑をかけないように、お昼の高い食事をとり、珈琲ももう一杯注文するなど、それなりのお金は落とすように注意しています。

 そのおかげで、夏からとりかかっていた松本清張の歴史小説についての本が一冊、書けました。ただし、出版社は、目下、探し中です。
 「松本清張 歴史小説の愉しみ」というタイトル予定なのですが、新聞の全国紙に広告を出してくれる出版社、というのが、今度の小生の決心、野心なんです。
 うまくいくかどうか……。

 さて、こうした暮らしをしている小生が定年になったら、どうするか?
 一番の問題は、喫茶店に行く資力が確保できるだろうか、ということがあります。

 今は現役ですから、まあ、お小遣いぐらいには、有難いことに心配しなくてもいい。
 しかし、喫茶店で1日、1650円を毎日のように支払うというのは、定年後の収入では難しいでしょう。
 そうすると、喫茶店に行かなければ、どこへ行ったらいいのだ?
 午前中、図書館に用があって行きますと、大勢の男の老人たちが、ソファに座って、新聞や雑誌を読んでいる。
 それはいいけれど、やはり、毎日そうする気にはなれません。机もあるけれど、毎日、そこへ自分勝手な勉強をしに行くわけにもいかないし……。

 我が奥さんなぞは、ほとんど毎日、クラブ活動に出てゆきます。そのうちいちばん多いのが社交ダンス。これは健康にいいそうです。それからヨガ。さらに、連句(俳句をつらねたようなもの)。
 まったく、退屈はしていないようです。
 その彼女の報告に、「男の人は、情けない。みんなのグループに入ってこれる人は、ほんのわずか。あとは、それまでの社会のようにいかないので、やめてしまう人が圧倒的。男は適応性がない、と。

 その点、小生も、本を読んだり書いたりするのは好きだけれど、友人を作って一緒に遊んだりするのは、苦手です。
 結局、家の中でごそごそするだけの男になってしまうんかなあ、と思っています。

 奥山さんは、自分というものがしっかりあるから、こうしてブログを立ち上げ、自分の文章を公表し、得意な写真も載せて、さらに、大きな、海外旅行という楽しみがある。

 そんなことを考えました。
 今日は、自分のことばかり書きました。
 また、くわしい感想をお書きします。
            3月29日夜

投稿: 森本 穫 | 2007年3月29日 (木) 22時44分

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